「あそこの坊ちゃんは 九大に行きよんしゃる」
そういう言い方に、九大生になれば なんか思いっきりロックやれそうと
鮎川 誠(あゆかわ まこと)
「シーナ&ロケッツ」リーダー
昭和49年 農学部農政経済学科卒

Q … 鮎川さんは、一九七四年農学部農政 経済学科のご卒業です。シーナ&ロケッ ツ以前に所属していらっしゃったバンド、 「サンハウス」の結成が一九七〇年。皆さ んに聞かれるでしょうけど、バリバリのロ ックギタリストだった鮎川さんが、どうし て九大に入ろうと?

鮎川… これまでいろんな音楽雑誌で不謹 慎にも話したことですが、思いっきりロック をやろうと、そればっかり思って九大に入 りました(笑)。浪人時代、ロック仲間に混 じって活動して味しめて、もう思い切りや りたくなって、これは大学に入るしかない と思ったんです。大学に入っておけば思い っきりロックできると、そればっかりで。記 念講堂であった入学式で総長のお話が終 った途端、仲間が出ていると聞いていた中 洲のクラブに行ったら、みんながワーッと寄 ってきて「どうしたとー」「今日、九大に入 ったけん」「そうか、そんなら今から一緒に やろう」と。ほかのバンドのギターを借りて、 その日の夜から思いっきりやってました。

Q …なぜ他の大学でなく、九大だったのでしょうか。

鮎川…それがですね(笑)、それが先ず久留米から飛び出すのに、純粋に勉強したいわけじゃなし、東京へ行くのは大変やし、 経済的なこともあって、久留米から通える月謝の安い大学はどこかということで九大になりました。九大やったら、近所の人 が「あそこの坊ちゃんは九大に行きよんしゃる」と、当時はそういうノリでした。そういう言い方に、九大生になればなんか思いっきりロックやれそうという感じを持ちました。一年目に経済学部を受けたんですがコロッと落ちて、全然歯が立たないと思い知らされ、浪人時代ちょっと頑張って、「お、農学部には地学がある」と、自分がそのころ好きだった地学や歴史などが試験科目にあったので、次の年農学部を受けました。

Q …N H K のドラマ「ちゅらさん」で、ロックを始めようとする主人公の弟にロック道を指南する場面がありました。鮎川さんがギターを手にされたきっかけを教えてください。

鮎川…(明善)高校に入ったのは一九六四年ですが、ビートルズが日本でもブームになり始めて、アニマルズやローリングストーンズも出てきた頃です。映画「ヤア、ヤア、ヤア」で動くビートルズを見たり、ビートルズの来日公演があったりすると、久留米でもアッという間にギターを持つ人が増えました。中学までは、ラジオから流れてくるのは、ポップスやプレスリーやレイチャールズといったスーパースターと言われる人たちの音楽でした。それが高校に入るといきなり、兄ちゃんくらいの人たちが自分たちで曲作って自分たちでギターかき鳴らして演奏してみんなを熱狂させている。そういう姿にしびれました。憧れました。高校三年でギターを手に入れ、自分もギターかき鳴らして曲作って、久留米のプールサイド(注)で初めて仲間と人前で演ったらもう病みつきになって、それが忘れられず学校に行っても頭の中はそのことばっかりでした。
総長室でのお二人

(注)久留米のプールサイド鮎川さんが高校生だった頃、(財)久留米文化振興会が運営していた公認の50 メータープール(ペリカンプール)は、観客スタンドの向かい側に水上ステージを設け、当時流行していたエレキバンドに演奏させていた。プールは石橋美術館別館建設のため取り壊され、現在は飛込み台だけが残る。

Q …九大生時代は「サンハウス」の活動と重なっています。どんな学生生活だったのでしょうか。授業や試験はちゃんと出ていらっしゃいましたか?

シーナ…最初の三年間はちゃんと行ったでしょう。三年のとき私と知り合って、その頃からあまり行かなくなってしまいました(笑)。
九大はデートコースで、二人で掲示板見に行ったり生協で食事したり、構内をウロウロしていました。

21世紀交流プラザ(箱崎理系)前でROCK!

鮎川…昼は大学に行って、夜は「アタック」というバンドの仲間と合流して中洲で演奏して、十時半の最終で久留米に帰るという毎日でした。入学してすぐ(一九六八年)大学の構内に米軍のジェット機が落ちて建物に引っかかった。それで学生運動に火がついて、六本松の教養部が学生に占拠されてロックアウトされました。僕たちは大学に行っても掲示板見て食堂で友だちとたむろしたり。大学の授業が滞ってい た時でもありました。
卒業した七四年は、「サンハウス」のレコードデビューが決まった年です。卒業できたのは、大橋教授や栗山助教授など先生方のおかげです。「ロックで忙しかろうから、単位は何とかなるけん卒論書いて卒業せんか」とおっしゃっていただきました。テーマは農民詩というジャンルなんですが、本を紹介していただいて、「これ読んで思うたことを書いてみろ。音楽をやっとるんやから、通じることもあろう」と。一生の感謝です。

Q …卒業されて数年で上京。以来今日まで、ギターを手にされてからは三十年以上ロックをやってこられたわけです。鮎川さんにとってロックとは何なのでしょうか。ずっと続けてこられた、そのエネルギー源は何なのでしょうか。

鮎川…三十年以上になりますね(笑)。たかが音楽ですが、高校のとき出会った大好きな音楽のそばにいることができて、ずっとそれをやれる歓び。それは自由とスリルに満ちていて、たくさんの仲間に出会うたびにうれしいし、やれるだけやろうという気持ちで今に至っています。ロックがなぜそうなのか分からないけど、ストーンズやジミヘンなんかの音楽に感動して、そういう彼らがいるのと同じ世界に自分もいたいという想いですかねェ。
ロックが自分を自由にしてくれたというか、そういう想いがあります。人は一人一人みんな違うんだ。バラバラ、同じ人は一人もいない、だからサイコーなんだ。人間生まれてきた以上は、一人一人違うから、それを祝い合い、愛し合う。そういうことを投げかけてくれるものがロックにはあります。真実も虚構もセックスの歌もあるけど、音楽によって多くの人と出会えて、音楽という言葉で話し、うち解けられる。ロックというだけでワーッと心からうち解けられるような。いろんな人がいますが、ロックの好きな人は、愛に満ちていると思います。

Q …シーナさんにお尋ねします。普段の、例えばご家族の皆さんの中での鮎川さんは、どんな感じなのでしょうか。ロック以外のご趣味は?

シーナ…家で?このまんまですよ。最近はインターネットをやっていて、ホームページを作ったり、ロックの歴史をたどって文献を読んだり、ロックのルーツになった四十年代の音楽を聞いたりしています。やっぱりロックとつながっているわけですけど、インターネットで捜すと、ロックを中心にいろいろなつながりが見えてきて面白いですよ。我が家はみんなパソコンを持っていて、彼はどこへでも持って行きます。だから壊れるのも早い。食事時にはみんながパソコンを開くと、立てた教科書に隠れて食事しているみたいなので、食卓では禁止しています。

Q …シーナ&ロケッツの音楽と鮎川さんの存在自体がメッセージだとも思われますが、あえて、九大生にメッセージをお願いします。

鮎川…それはもう、どげん言うても今がサイコーなんだから、「九大生、君らラッキーだぜ!」と言いたい。九大のキャンパスで思いっきり輝いてほしい。本当に今が最高だと思う。久しぶりに九大へ来て、自分はここでいっぱいエネルギーをもらったんだと、改めて感じました。今君たちは、仲間と語り、研究対象にぶつかってもいけるし、自由を手にしている。思い切り羽ばたいてほしいと思います。

インタビューは、開所式が終わったばかりの箱崎理系地区「二十一世紀交流プラザ」二階のテラスで行われました。コンサート直後で、鮎川さんもシーナさんも汗びっしょりでしたが、お二人とも一生懸命お答えくださいました。つまり、鮎川さんは高校時代にロックに出会って夢中になり、三十年以上ずっと夢中でやってきたとおっしゃるのです。お二人とお話しした後に感じた爽快感は、その生き方に秘密があるのかもしれません。「九大生、君たちはこんないい先輩を持ってラッキーだぜ!」と言いたい。


鮎川さん自ら制作している「シーナ&ロケッツ」のホームページは、[http://www.rokkets.com]。のぞいてロックしてみては?


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