今回のお一人目は、応用力学研究所の伊藤教授です。プラズマ・核融合理論がご専門で、その成果は「仁科記念賞」など数々の賞を授賞されるなど、高く評価されています。総長補佐も務められた伊藤先生の魅力的なお人柄に接することができたと同時に、物理学の理論が生まれる現場をのぞかせていただきました。

頼れるのは自分だけ。
ならば、好奇心を失わず、チャレンジして、
自分を可能な限り
向上させるしかないではありませんか。

Q…先生は愛知県のお生まれですが、高校は都立国立(くにたち)高校のご卒業ですね。
伊藤…父が裁判官で二年ごとに転勤があり、小学校は三回転校しました。高校に入ったのは学校群制度最初の年です。先生方も他校を意識して熱心で、都立高校のレベルはとても高かったのです。勉強は一生懸命やりましたが、バスケット部に入ったり校内マラソン大会で入賞したりもしていました。数学はできましたが、物理はそうでもありませんでした。それにどうしても一番にはなれなかった。

Q…東京大学の物理学科に進まれたわけですが、どうして物理を?
伊藤…小学生のときにキュリー夫人の伝記を読んで、「ブツリ」という語呂に憧れたのです。東京大学の理科一類に入りましたが、新入生約千人の中に女子は数人でした。天文と物理は人気があって、物理学科に進むためには、教養課程で平均八十点くらい取る必要がありましたが、どうしても行きたいと思って今度は進学勉強に励みました。物理学科では徹底的に基礎教育が行われ、「学部学生に論文は無理」ということで卒論もありませんでした。プラズマの研究は修士課程に入ってからです。

Q…ご専門は「プラズマ物理学・核融合理論」ということですが、分かりやすくご説明いただけませんか。
伊藤…プラズマの基礎物理を研究しています。(ライターに火をつけて)この炎の中にもプラズマがいます。プラズマというのは、固体、液体、気体というのと同様に状態を意味します。それまで結びついていた分子がばらばらになった状態が気体で、さらにその分子がイオンと電子に電離しているのがプラズマという状態です。高温になれば何でもプラズマ状態になります。さらに高温になれば核融合が起こり得ます。太陽はプラズマ状態で核融合反応が起こっていて、あの熱エネルギーが生じています。オーロラもプラズマです。宇宙飛行士の毛利衛さんも元は北海道大学で核融合を研究されていて、日米科学技術協力事業の同じ一期生として渡米することになり、知り合いました。その縁で、授業に使うからとスペースシャトルから撮影したオーロラの写真をいただいたりしています。

研究室で

理論物理という学問は、
美の追求みたいなところがあるのですが、
エレガントなものは
決してエレガントには生み出せません。

Q…平成四年に九州大学応用力学研究所の教授に就任され、「日本原子力学会論文賞」を受賞、平成五年に物理学分野で最も権威のある「仁科記念賞」を受賞。その後も「プラズマ・核融合学会賞」、「日本IBM科学賞」、そして平成十年にはドイツの「フンボルト賞」を受賞され、さらに平成十三年には英国物理学会からフェローの称号を授与されていらっしゃいます。賞の対象となるような理論は、どこでどのようにして生まれるのでしょうか。ある時ふとひらめくのですか。
伊藤…フッと思いつくのですが、それまでがたいへんなのです。仁科記念賞の対象になった「Hモード理論」のときもそうでした。
 実験で観測されていた「Hモード」という現象があって、そこで何が起こっているのかという理論的裏付けや理論モデルは、多くの人が挑戦したけれどまだ完成していませんでした。昭和六十二年、その現象の発見者であったドイツ人のワーグナー先生から三ヶ月間ドイツに招かれたとき、「Hモード理論に挑戦します」と、自分を追い込む癖がありまして、言ってしまいました。
 そして一週間、考えに考えて計算モデルを作って持っていきましたが、ダメ、ダメ、ダメ。毎週毎週二ヶ月半もそんなことをやっていると、その現象が亡霊のように頭に着いて回って、山を見てもその現象特有の格好に見えてきます。ミュンヘンに滞在していたのですが、週末はアウトバーンを百キロくらいドライブして、どこかの街を歩き回ったり、小さなブリュワリーでビールを飲んだりして気分転換していました。
 三ヶ月の期限も終わりに近づいた九月の初め頃、ドイツに一緒に来ていた主人(伊藤公孝氏。文部科学省核融合科学研究所教授)と、ミュンヘン近くの世界最古のビール醸造所へ行って、ビールを飲んでディスカッションして、ボーッとして庭のベンチに座っていたら、モデルができたのです。そのときはいつも持っている鉛筆も紙も持っていなかったので、主人とディスカッションしながら、ベンチの下の砂利に木の棒でグラフを書きました。それは「見つかっていないものの予言」だったわけですが、その後世界中で実験され、それは実際「ある」ということが証明されました。そのモデルはビアガルテンの庭でできたのです。そのときのこととそのベンチは、今もよく覚えています。
 他の人が言っていないような新しいことを言うのは勇気が必要ですし、いろいろ否定的なことを言われるようなこともあります。しかし新しいことを言うということは、勇気をもってやらなければいけないと感じます。「Hモード」のときには、がむしゃらに、それをただやっていました。

筑紫地区キャンパスにある応用力学研究所

Q…自分を追い込むとおっしゃいましたが、物理学科といい「Hモード」といい、むつかしいと分かっていて挑戦するということを、ご自分に課していらっしゃるのですか。
伊藤…自分を追い込んで、やりますと先に宣言して、ひたむきにやる。自分でそうしようと思ってやっています。主人に言わせると、私は研究に限らず一つ一つがどれもそうだそうですが(笑)。若い頃は、国際会議で目立つために、とにかく発言しようと決め、目をつむって手を上げていました。若い女性が手をあげているというのでよく指されまして、震えながら質問していたのを覚えています。何回かやるうちに慣れてきました。頼れるのは自分だけだと、本当にそう思っています。誰も助けてくれない、ならば、そこに安住することなく、好奇心を失わず、できそうもないことにチャレンジして、自分を可能な限り向上させるしかないではありませんか。
 学生には「限りない向上心を持ちなさい」「手を抜くな」「自分を磨け」と言っています。手を抜いたら、エレガントな解答は得られません。理論物理という学問は、美の追求みたいなところがあるのですが、エレガントなものは決してエレガントには生み出せません。どんな偉い先生も、泥臭い計算を何万回も積み上げて、そのうち一つからエレガントなものが出てくるのです。
 私の学生の頃と比べて今は、考える教育が不足しているのではないでしょうか。マニュアル化されたものには強いけれど、手本がないと動けない人が多い。知識でなく、知力を鍛える教育、徹底的に考えさせることが必要です。梶山新総長が、学生におっしゃりたいこととして一言「勉強せい」とおっしゃっていましたね。私も「手を抜かず、基礎学力はしっかりつけておきなさい」といいたい。それから学生の皆さん、今からでも遅くない。私のところへいらっしゃい。しごいてあげます。

苦闘のあとを物語る鉛筆たち
キャビネットには表彰状や表彰盾が並ぶ

知識でなく、
知力を鍛える教育、
徹底的に
考えさせることが必要です。

Q…何万回も計算して、まだ見つかっていないものを予言するお仕事。ストレス解消はどのように?
伊藤…本当に、もっぱら机の上で紙と鉛筆を使って仕事をしています。ボールペンやシャーペンではだめで、使い切って小さくなった鉛筆はいくつも瓶に入れて取っていますよ。確かに机の上で計算してばかりではもたない。趣味と言えるのは散歩かな。二百二十円(帰りの電車賃)を握りしめて博多駅まで歩いたり、太宰府、天神、埠頭、志賀島一周、相島、大島、芥屋崎など、週末や何もないときには、歩いたりしています。私の青空教室です。頭をリフレッシュできて、ごたごたしていたことが整理できることもあります。それとビール。

Q…ご主人も物理学者でいらっしゃるのですね。
伊藤…大学の同級生で、賞は全て主人といっしょにいただいたものです。私が直感型なのに対して主人は知恵と論理のかたまり。直感だけだと失敗もありますから、ロジックが噛み合ってうまくいくということは多いのです。私の二十個のアイデアから、一瞬のもとに論理で不要なものを消してくれますから、プロセスも早くなります。

Q…ご夫婦で研究されるというのは、キュリー夫人のようですね。
伊藤…ありがとうございます。

 好奇心と向上心で疾走される伊藤先生ですが、このインタビューにはコチコチに緊張されたそうです。今は新しい理論に取り組んでおられ、コンディションは上々とおっしゃっていました。新たな成果を期待しています。


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