お二人目は、シーホークの嶋田さんです。嶋田さんは、平成十二年五月の大学サミット、平成十三年十月の第二回アジア学長会議と、九州大学が主催した二つの大きな会議を、舞台裏で支えてくださいました。平成三年法学部のご卒業で、在学中に北京大学へ留学されています。ホテルの宴会営業主任として活躍される嶋田さんに、九州大学時代のこと、就職活動のことなどお話いただきました。

やりたいことがあれば、
それを思い続けて、
アンテナを張って行動していけば、
必ずきっかけや運をつかむことができる。

Q…まず現在のお仕事について教えてください。
嶋田…会議やパーティなどでシーホークホテル&リゾートをできるだけ多くの方にご利用いただくための営業です。それも学校、病院、企業が担当で、九州大学へはほとんど毎日、学生時代よりも足繁く通っています(笑)。平成十三年十月の第二回アジア学長会議の他にも、学会やパーティなどで九州大学の皆様にはたいへんお世話になっています。

Q…ご出身は大分県だということですが、九州大学に入学されたきっかけは?
嶋田…大分の羽室台(はむろだい)高校の一期生です。どこの大学にいこうというのはあまり考えていなくて、親から「東大でないのなら九州内で」と突然言われまして。法学部と経済学部とどちらにしようかということで、何となく。

Q…その何となく入学された九州大学では、自活されていたそうですね。
嶋田…入学のとき、父親から私名義の通帳を渡されて、「必要なものはこれを使い、なくなったら自分でやんなさい」と言われました。反抗ばかりしている娘でしたので、そんなお金を用意していてくれたことに驚き、初めて感謝の気持ちが湧いたのを覚えています。そのお金で入学金や授業料を払い、すぐ教養部の学生掛に行って家庭教師や塾講師の口を紹介してもらいました。月曜日から土曜日まで、最盛期には一週間毎日三件、家庭教師や塾講師をこなしていました。

「第2回アジア学長会議」でも嶋田さんの活動があった。

Q…それは勉強との両立はたいへんだったのではないですか。中国留学も経験されたとうかがいましたが。
嶋田…語学は中国語を第一外国語に選択しましたが、それはよかったと思っています。最初の中国語の先生でクラス担当でもあったのは岩佐昌●(●は日へんに章)(現言語文化研究院長)です。先生が毎年春に企画されていた中国研修旅行へ参加しようと旅費を貯めていたのですが、別に必要なことができてがっかりしていましたら、掲示板で見て応募した台湾研修に合格して、どこかに神様はいるんだなァと思いました。それは日本中から大学生が参加する二週間の研修でしたが、参加をきっかけに、漠然と国際的な仕事をしたいと思うようになりました。国際政治を教えていただいた石田正治先生には、福岡で最初のコンベンション会社のアルバイトをご紹介いただきました。
 四年生の夏は、総務庁の事業である国際青年の村のボランティアに採用され、企画やプログラム作成をやらせていただいて、それはすごく面白かったのですが、そのため就職活動はできずに、企業よりも公的な仕事をしたいと受けたJICA(国際協力事業団)の受験には失敗して、就職浪人を覚悟しました。その冬の夜、西村重雄先生(法学研究院教授・現留学生センター長)から突然お電話をいただき、「北京大学に留学しませんか。受け入れ枠があります。明日までに決めてください」とのこと。驚きましたが、行かせていただくことにしました。

Q…北京大学での留学生生活はいかがでしたか。
嶋田…ものすごく面白く、あの一年間は、何年分かに当たる貴重な経験ができたと思います。天安門事件の翌年で、キャンパスにはまだ緊張感が漂っていました。大学も講義が再開された頃で、改革開放が進み始めており、中国の社会環境が大きく変化した一年でもありました。
 最初の半年は語学留学コースでした。新聞を読んで過去の歴史や現代について学ぶのですが、これはとてもためになりました。後の半年は法学部でした。学生は、皆エリート官僚候補で、講義は、法整備を進めつつある国の施策が実験的でなくリアルに反映したものでした。例えば環境法。公害に関する法律ですが、自然環境は人間のためにあるという発想が原則にあり、学生はそれを検討したり批判したりするのでなく教えられることを丸暗記する。驚きでした。留学最後の一ヶ月は、夏休みを利用して西はカシュガルの国境近辺、南は重慶、上海と全土を旅行しました。ウイグル自治区では「どこから?」と聞かれ「香港」「それは同胞、同胞」と歓迎されるなど、たのしい旅行でした。

Q…帰ってこられたのは六年生の夏ですね。それからシーホークへの就職活動ですか?
嶋田…帰国して、以前石田先生からご紹介いただいたコンベンション会社のアルバイトをまた始めて、卒業とともにそこへ就職しました。その会社には、結局アルバイト時代を含めて四年間お世話になり、会議の運営に関する仕事や営業を経験しましたが、もっと大きな仕事をしたいという気持ちがあったのと、シーホークができるということを知っていましたので宴会営業部に応募しました。でも不採用。

Q…不採用だったのですか?
嶋田…書類の段階で不採用でした。「学歴、経歴に不足はないはず」と思いまして、「今後の参考のために理由を教えてください」と人事課に電話しました。たまたま電話に出たのが課長さんで、改めて申請書類を見ているようでしたが「不足はないのですが、今回は結婚式の打ち合わせができる人を募集していましてね。機会があればまた電話します」と。コンベンション会社にはもう辞めると言っていましたし、困りました。
 そこで、徹夜で、これまでの経験や意気込みを書き連ねてその人事課長さんあてに送りましたら、一週間後に「面接したい」と。そして、そのまた一週間後に「採用します。いつから来ていただけますか」。平成七年のゴールデンウィークがシーホークのオープンで、私は六月一日に入社しました。その日のことは忘れられません。オリエンテーションを終えて夕方所属部署である宴会予約へ連れて行かれましたら、一次面接を担当した支配人が「あなたが来たの?男性が欲しいと言ったのに」泣きそうになりました。当時は宴会と結婚式と両方担当しており、結婚式予約の電話が鳴り続けでデスクに座る間もありませんでしたが、七月からは分かれてやっと「本業」の宴会担当になり、ユニバーシアードやアジア開発銀行総会など大きな国際会議を担当することができました。ただ、帰りは毎日夜中の二時、三時でした。今でも零時前に帰ることはありませんが。

嶋田さんが勤めるシーホークホテル&リゾート(右)と福岡ドーム

Q…大学サミットを担当した国際交流課の職員が、会議前日は真夜中まで準備だったと言っていましたが、体力的にもたいへんなお仕事ですね。会議やパーティーの営業は、アルバイトなどで経験を積んでこられたわけですが、九州大学時代に学んだことが今役だっているということはありますか。
嶋田…大学時代はESSに所属していまして、法学部での勉強と合わせて、論理的な思考が鍛えられたと思います。それは、今もいろいろな問題を解決するのにとても役立っています。例えば、お客様の要望や必要に対して、これまでのやり方やセクショナリズムではお応えできない場合があります。それにお応えするためにはどうすればいいか、何を排除し何を加えなければならないか。解決策を検討する段階で必要なそういう思考法は、学生時代に培われたものです。

Q…プライベートなことをお尋ねします。お忙しそうですが、余暇はどう過ごされていますか。ご主人も九州大学ご出身とうかがいましたが。
嶋田…主人とはESSで知り合いました。工学部動力機械出身で、井上雅弘先生に仲人をしていただきました。現在九州松下電器でプリンタの開発を担当しています。彼も忙しく、二人とも午前様です(笑)。
 今は企業戦士ですが、学生時代からの熱帯雨林の植樹を行うボランティア活動を続けていまして、昨年の夏は自分のスケジュールを調整して、タイでのマングローブの植林に参加しました。これはこれからも続けていきたいと思います。それから中学、高校時代バレーボールをやっていまして、住んでいる大野城でソフトバレークラブを結成して、キャプテンとして週一回、勝てるチーム作りを目指して練習しています。

Q…最後に、九州大学そして後輩たちにメッセージを。
嶋田…仕事上の必要もあってホームページや「九大広報」はしょっちゅう見るのですが、今は交換留学制度やC&Cなど学生がチャレンジできる制度がたくさんあって本当に羨ましいですね。特に、入学した後、自分で計画を立てて学部を越えて学びながら専門を決めていくという二十一世紀プログラムは、私のときにあったらぜったい挑戦しています。
 私の大学時代に比べて特に女子は就職難で、同情します。私は学生生活を送りながら「社会の人の役に立ちたい」「国際交流活動に貢献したい」と思い続けていました。それが、いろいろなことを経て、思っていたのとは少し違う形でですが実現できていると思います。やりたいことがあれば、それを思い続けて、アンテナを張り行動していけば、必ずきっかけや運をつかむことができるのではないでしょうか。「ああやっておけばよかった」とか「ま、いいか」はダメですね。必ずまずい方向に行きます。気が付いたらやり直してでも、後悔しないように頑張っていただきたいと思います。また、人との出会いを大切に。私の場合は、九州大学の先生方やアルバイトでお世話になった方々との出会いが、今日へ導いてくれました。
 学生時代はもちろん、今は仕事で九州大学にとてもお世話になっています。仕事を通じて少しでもご恩返しができればと思います。また、新キャンパスに移転されたら、大学から一番近いのがシーホークです。これからもぜひよろしくお願いいたします(笑)。

 心身の強いパワーで、自分の道を切り拓いてこられた嶋田さん。学生の皆さんには頼りになる先輩がシーホークにいらっしゃいます。九州大学のESSで一緒だったというご主人の話題になったときの笑顔が印象に残りました。


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