今回の「九大人」は、社長、副社長としてご夫婦で福岡を代表するお菓子屋さんを経営していらっしやる森恍次郎さんと森純子さんです。九州大学応援菓「いも九」 の売り上げの一%を、九州大学学生の課外活動費としてご寄附いただいています。また社長さんは、昨年発足した「九州大学後援会」 の理事も務めていらっしゃいます。お二人にお忙しい時間を割いて、経営者として九州大学の先輩として、興味深いお話をしていただきました。

Q 森さんは、「筑紫菓匠 五十二萬石如水庵」の社長として十六代に当たられるということで歴史の長さに驚いたのですが、会社の創業はいつ頃なのですか。

恍次郎社長:初代の庄右衛門は庄屋ですが、農業のかたわら菓子づくりを始めたのは天正十五 (一五八七)年で、福岡の神社仏閣の御供物調進所として代を重ねてきました。私の曾祖父である十三代の森千太郎は、これを九州・山口一円の寺社へと広げ、明治天皇からご紋菓を注文いただいたこともあります。落雁づくりを続けてきたわけですが、木の型はたくさん残っていて、一部は福岡市博物館へ寄贈させていただきました。
 昭和二十六年、私の両親の代に、当時福岡には「鶴の子」や「にわかせんべい」はあったのですが、うちでも何かお菓子を作ろうということになり、金沢に加賀百萬石というお菓子があったので、黒田家からいただいたお城の瓦から藤巴の紋を起こして黒田五十二萬石というもなかを作りました。そのとき屋号も「株式会社五十二萬石本舗」としたのです。「如水庵」はその販売会社の名前で、「五十二萬石」はなくなったのかとおっしゃる昔からのお客様もいらっしやるので、今は屋号を「五十二萬石如水庵」としています。

Q 社長さんは昭和四十五年経済学部卒、副社長さんは昭和四十三年医学部附属看護学校卒と、お二人とも「九大人」でいらっしゃるわけですが、どのような学生時代を過ごされたのでしょうか。またお二人の出会いをお聞かせいただけますか。

純子副社長:私は熊本の出身で、三つ上の兄が体が弱かったこともあり、小さい頃から看護婦になりたいと思っていました。一人娘でしたので、父は外に出したがりませんでしたが、九州大学に受験に来て、緑の中に重厚な建物が散在する雰囲気が気に入って入学を決めました。看護学校は時間がかなり拘束されて忙しい三年間でした。アルバイトなどは一回も


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