していないのですが、仏教青年会という
サークルに入って、日常的に夜問診療に
加わったり、夏休みに日之影や椎葉など
山間の村へ診療に行ったり、施設の子ど
もたちに影絵をして見せたり、一生懸命
活動しました。 Q 社長さんは、大学を出てすぐ会社を継が れたのですか。 恍次郎社長:昭和四十五年の八月に父が 病気で亡くなり、私は十月にたった一人 で経済学部を卒業して店を継ぎました。 実は継ぐ気は全くなかったのです。その 理由は三つあって、まず当時マルクス主 義に傾倒していましたから搾取階級にな りたくなかった、そんなに儲けもないの に両親が朝早くから夜遅くまで働いて苦 労しているのを見ていましたのでそれは イヤだった、自分が子どもの頃体が弱か ったのは菓子を食べ過ぎたからではない かという疑念から菓子づくりは男子一生 |
の仕事たり得ないのではないかと考えて
いた。本当は商社に就職したかったので
す(笑)。 Q 潰れるまでやろうと半ば絶望してお継ぎ になったお店を、今は福岡を代表するお 菓子屋さんに発展させられました。経営 者としてのご苦労の一端をお話いただけ ませんか。 恍次郎社長:社長の仕事で一番大切なの は、共通の目標を掲げ社員に浸透させる こと、いわば経営の理念を作って皆に示 すことだと思います。実感として、社員 がその日標の実現に向かって燃え、痺れ ないと、何も始まりません。その次に来 る事業計画は、むしろ社員が自主的に立 てるようになるといいのです。いきなり |
経営戦略ではダメなのです。私は、二〇 〇一年を第二創業と位置づけて、その年 の新入社員とともに、最高峰の菓子づく り、信頼される世界一の老舗、社会文化 の発展への寄与など三つの経営理念を決 め、一品一品ベストな菓子づくりを目指 して挑戦しています。 Q 会社の経営には、社長を支えていらっし やる副社長さんのお力も大きいと思われ ますが。 純子副社長:ちょうど十年前の平成四年 に、会長であった母が急逝しまして、私 はそれから会社に入りました。結婚して すぐ男の子が四人続けて生まれましたの で、暫く工場に見習いで務めたり、各店 に雰囲気づくりのため花を生けたりはし ましたが、それまではずっと専業主婦で 子育てに専念していたのです。 私が育った家庭では、朝食夕食は家族 一緒に食べるのが当たり前でしたが、結 ![]() |