特別企画  東京座談会2003.


九州大学への深い想い

中野   前回の座談会(九大広報第十号) から三年が過ぎ、梶山総長を中心とす る新しい体制が発足して一年が経過い たしました。この間九州大学は、組織 改革や新キャンパス移転計画などを、 粛々と進めて参りました。また、平成 十六年四月に実施される国立大学法人 化という新たな環境への準備も始まっ たところです。そのようなタイミング を捉えて、第二回の東京座談会を開催 して先輩のお話を伺い、次のステップ に歩を進める私どもを勇気づけていた だきたいというのが今回の座談会開催 の趣旨です。まず、梶山総長からご挨 拶をお願いいたします。

梶山   このように、日本の各界を代表 する方々が一堂に会するということは 不可能なのではと考えておりました が、皆様のご協力によって実現いたし ました。本当にありがとうございます。
 今、大学が一挙に大波乱を起こして おります。特に九州大学の場合は、法 人化という設置形態の変化に加えて、 新キャンパスの建設という大事業も進 めております。また、平成十五年十月 を目途に、九州芸術工科大学との統合 計画を進めています。九州大学には工 学部はありますが、芸術の分野、いわ ゆる感性の領域はなかった訳ですか ら、この統合は新しいものを生み出す ものと期待しています。
 九州大学のこのような状況を踏まえ て、人材育成、社会貢献と国際性、そ して新キャンパスなどを軸に、皆様か らご意見をいただきたいと思っていま す。

中野   続きまして、諸先輩の自己紹介 を兼ねたご挨拶をお願いいたします。 九州大学時代の思い出などを加えてい ただければと存じます。卒業年次順と いうことで、三菱重工の増田会長から お願いいたします。

増田   三菱重工業の増田です。私の学 生時代はまだ、皆がお腹を空かせてい た時代でした。私も寮で、コッペパン をかじりながら喧々囂々討論していた ことを懐かしく思い出しております。 ただ、懐かしくと申しましたけれども、 それが、その後の私の人間形成に大い にプラスになりました。

古川   古川です。内閣官房副長官を七 年と十ヶ月勤めており、在任期間とし ては最長となりました。九州大学の思 い出を言えば、久留米にあった第二分 校におりました頃、筑後川の氾濫で橋 が流れてしまい、渡し舟で通学してお りました。『朝日ジャーナル』に渡し舟 で通う大学と写真で掲載されたことが ありましたが、先日同期会にたまたま その当時の『朝日ジャーナル』を持っ てきた人がありまして、たいへん懐か しくその記事を見ました。

箱島   私は筥崎宮のすぐ近くに住んで おり、自宅から歩いて通学をしており ました。卒業は昭和三十七年ですが、 五年間、念入りに大学に通いました。 と申しますのは、家が小さな商売をや っており、父親が早く亡くなったもの ですから家業の方が忙しくなりまして、 一年間休学したからです。そういうわ けで、経済学部の講義にはなかなか出 ることができなかったのですが、新聞 部に入っておりました関係から、各学 部に原稿をもらいに行ったりすること が多く、経済学部以外の先生ともお付 き合いいただくことができました。実 はこの春、その頃原稿を頂戴した哲学 の先生と四十年ぶりにお会いして、た いへん懐かしくお話をすることができ ました。OB同士の付き合いは今も続 いております。

藤井   私の在学当時、法学部は定員二 百人でしたが、女性はたったの五人。 それでとてももてたのですけれど、い ざ就職というときになりますと、高度 経済成長期で男性にはたくさん就職口 がありましたが、女性にはまったく求 人がない。そこで、司法試験と公務員 試験とを受け、公務員試験の方が受か ったので労働省(現、厚生労働省)に 採用していただいて、以降三十年ちょ っと労働省で仕事をしました。職業生 活は充実していたなと思いますが、こ う言うと総長にはお叱りを受けるのか もしれませんが、これもひとえに九州 大学で四年間のびのびと学生生活を送 らせていただいたお陰だなと思います。
 私が大学に通っていた頃は学園紛争 の真っ最中で、建築中の五階建ての建 物にファントムが墜落して引っかかっ ていたのが、大学時代の一シーンとし て思い出されます。九州大学に対して は非常に深い感慨を持っております。

九大人を育てる

「九州大学の役割は、人材育成と 秀でた基礎研究にあると言えます。 応用研究は、基礎研究がきちんとできて はじめてできるものです。」
(梶山)

中野   ありがとうございました。少し ずつ時代が違うということで、九州大 学のそれぞれの時代を検証していただ いたような気がします。
 それでは座談会の骨格部分に入って いきたいと思います。最初は、人材育 成をテーマに、まず梶山総長から九州 大学の現状をご説明し、その後で先輩 方のご意見を頂戴したいと思います。

梶山   現在の大学の規模からご説明い たします。学部の学生の数は、二〇〇 二年五月一日現在で一万七百人ですか ら、一学年二千五百人ということにな ります。
 九州大学の大学院制度はとてもユニ ークなものになっております。例えば、 東京大学などでは「研究科」があり、 そこに先生が所属して研究をしながら 学生に教えるという形で、教育と研究 が一体になっています。しかし九州大 学では、大学院の学生が教育を受ける 場を「学府」と言い、先生が所属して 研究をする場を「研究院」と言って分 けております。従来の一体型の固定的 な組織に対して、研究と教育が柔軟に 結び付いた組織となっています。その メリットは、教育の場と研究の場とを 別々にしておくことで、先生は所属組 織を変えることなく自分の研究をその まま進めながら、新しい教育に対応で きることです。平成十五年四月に設置 が予定されるビジネス・スクールもそ の一成果と言えるでしょう。大学院の 修士の学生数は三千五百人弱、博士の 学生数が二千三百人、合わせて五千八 百人です。大学院に重点を置く大学と いうのが九州大学の現状です。
 教官数は、教授、助教授、講師、助 手を合わせて二千三百人。職員数、こ こには一般の事務官、技官、看護師な どが入りますが、二千百人です。これ らを合わせますと九州大学は二万人の 所帯ということになります。皆様がお られた頃に比べますと、大学の規模と してはかなり大きくなったと思います。
 九州大学の役割は、基本的に人間性、 社会性、国際性を備えた学生を育てる ということです。もう一つの使命は、 秀でた基礎研究をするということです。 ここでは独創性、先端性、そして、企 業に対する波及効果などが重要になり ます。つまり、九州大学の役割は、人 材教育と基礎研究にあると言えます。 応用研究は、基礎研究がきちんとでき てはじめてできるものです。優れた人 材教育と基礎研究を通して、社会連携 や産学連携、応用研究を行っていきた いと思っています。法人化という体制 変化があっても、これは守っていきま す。
 ユニークな人材育成の例としては、 二〇〇一年から始めた「二十一世紀プログラム」があります。まだ、定員が 二十人程度なのですが、学生は特定の 学部に所属せず、個別指導と少人数教 育を基本とするカリキュラムによって 分野を横断して学んでいくうちに、自 分で専攻テーマを決めていきます。選 抜の仕方もユニークで、大学の先生の 講義を聞いてレポートを書き、それに 関して発表し、ディベートを行い、そ して面接です。このような選考方法で すから、自分で物事を判断し解決する 能力を持っている人には向いていると 思います。その結果、入学する人の七 割以上が女性です。現代社会の女性の 勢いを象徴しています(笑)。これは、 修士課程までの六年間のプログラムと 考えており、その間の一年間は大学の 費用で外国留学させたいと思っていま す。このプログラムから、創造力ある、 国際的な嗅覚の鋭い人材が育ってくれ ることを願っています。学生たちは意 識が高く、自分でどんどん勉強を進め ていきます。ただ、このプログラムに は非常な時間とお金がかかります。九 州大学としても、これらの学生がどう 育つかということでは実験段階にあり ます。私どもが試験されている状態で すね(笑)。
 学生の創造性を育むということでは、 学生の独創的な研究プロジェクトを全 学的に支援するC&C(チャレンジ・ アンド・クリエーション)という制度 もあります。平成十五年度からはビジ ネス・スクールがはじまり、十六年度 にはロー・スクールができる予定です。 高い専門性を有し、創造性と国際性を 身につけた学生を育てていくことが、 九州大学が目指す方向です。

21世紀プログラムの学生たち

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