「考古学の芥川賞」とも言われる濱田青陵賞を受賞した宮本一夫先生。考古学という手法を用い ながら、広範な視野に立って日本文化成立のプロセスを解明しようとする研究と行動力は、学 界でも高い評価を受けています。九州大学21世紀COEプログラム「東アジアと日本:交流と変 容」でも大きな役割を担っている宮本先生にお話を伺いました。 考古学を広範な視野で 濱田青陵賞の受賞、おめでとうございます。考古学では権威ある賞と聞いていますが。 ありがとうございます。濱田青陵は日本の考古学の創始者とも呼べる人物で、 京都大学に日本で初めて考古学の講座を開きました。後に京都大学総長にもなり、 また広範な視野で考古学を研究された著名な方です。私も京都大学の出身であり、 広範な視野を持った考古学を常々心がけています。その意味では、受賞はたいへ んうれしく光栄に思っています。 「広範な視野」の言葉通り、先生のご研究は幅広い地域にまたがっていますね。 中国大陸や朝鮮半島の研究をすることで、日本の古代文化を明らかにしていき たいと考えています。日本列島の諸文化は、もともと大陸から入ってきたもので す。東アジア全体の中から日本を見つめていかないと、本当の意味での日本列島 の歴史的位置づけはできないと思います。 東アジアから日本を研究するという視点は従来からあるものでしょうか? 文献として日本に残る史料は比較的新しく、古代を研究するにはどうしても中 国の文献の研究が必要です。また九州は大陸文化の門戸であり、東アジアを研究 しないと正しい理解はできません。その意味では東アジア研究は考古学の「王道」 とも言えますが、実のところそんなに研究者が多いわけではありません。非常に 広範な地域を網羅して、各地域の調査結果を丹念に、しかも科学的実証的につな ぎ合わせていかねばならないので時間も手間もかかります。またそれぞれに政治 体制の異なるアジア各国にまたがっているので、研究するのが難しい分野になっ ているからです。
先生が考古学に興味を持たれたきっかけは何でしょうか? 私は島根県の松江の生まれなんです。ご存知の通り、出雲大社があり、神話が 現代にも生きている地域です。小さい頃から神話や古代の話が身近にあり、遺跡 の発見や古墳の発掘にも関心が高い土地柄です。その中で自然と古いものに興味 を持ち、高校時代には東洋学を志しました。京都大学に入学後、考古学研究会に 所属して本格的に考古学を始めました。 世界のあちこちに発掘調査に行かれているようですね。 学生時代を送った八〇年前後は中国が改革開放路線を打ち出してきた頃で、七 九年から正式に中国に留学できるようになったんです。学術交流も盛んになり、 やっと発掘品の実物が見られるようになって、ますます興味を持ちましたね。九 十年代には外国人も直接発掘調査に参加できるようになり、私もこれまで内モン ゴルや湖北省、江蘇省などで発掘調査を行なってきました。またロシアの沿海州 南部、ウラジオストックの近くですが、ここでも二年間にわたって発掘調査に参 加しています。 ベトナムでも調査しています。実はベトナムの考古学研究はまだ未解明の部分 の方が多いのです。紀元前二世紀頃、東アジアの中心的存在は漢王朝で、これが 次第に東アジア全体に勢力を広げていきます。北の朝鮮半島に楽浪郡という漢王 朝の領域がありました。南のベトナムにもこれと同じように漢王朝の領域が広が っていたので、朝鮮半島の楽浪郡の解明には、ベトナムとの比較研究が必要なの です。しかしベトナムにとって中国は古来から征服者と被征服民族の関係にあり、 このような古代の遺跡に関心を持とうとする人が少ないのです。わずかに戦前の 発掘資料がアメリカのハーバード大学やベルギーに残っていて、私は実際にこれ らを調査に行きました。これはベトナム国内でも行われていない研究なのです。 やはり東アジアでは中国の影響が強いのですね。 東アジアの文化というと、中国大陸がひとつの中心となって、それが周辺に波 及していったと一般的に考えられています。いわゆる中華思想ですね。けれども 私は中国大陸には南北に二つの文化系統があると考えています。南は比較的保守 的ですが、北はそうではありません。北は古くから東西交流を行っています。そ の違いは石器の技法や、青銅器の扱い方にも伺われます。南北二つの文化がぶつ かる地域で農耕が生まれ、中国歴代王朝も元や清など北からの流れで新しい王朝 が生まれてきました。つまり二つの文化が交錯しながら、新しい文化、新しい王 朝が生まれてきたのです。面白いことに現在の地域間紛争や民族間紛争も、この 二つの流れの交錯と非常に似通った図式になっています。 日本列島にも二つの文化が影響しているのですか? これは青銅器などを見れば分かるのですが、日本は弥生時代前半までは北の流 れの影響を強く受けています。その後、南の文化系統である漢王朝との交渉が生 まれ、その刺激を受けるかのごとく古代国家が誕生して行くのです。
九州大学二十一世紀COEプログラム「東アジアと日本:交流と変容」における先生の役割をお教えいただけますか。 私の専門分野が東アジア考古学ですので、東アジアにおける日本の基層部分を 明らかにすることが役割です。現在の社会がどのようにしてできたのか。地域国 家が成立する要因は何なのか。そこを研究しないと現在の我々の社会は理解でき ず、また価値観を変化させることもできません。どんな社会も成立過程に何らか の要因があり、どの社会が進んでいる、遅れているということではないのです。 この「東アジアと日本」のテーマにおいては、地道な調査をしようと心がけて います。具体的には中国の青銅器の起源を探るべく、残された古い青銅器の実測 などをして資料化する地道な作業です。平成十五年度からスタートし、中国社会 科学院考古研究所の人たちと一緒にやっています。 考古学を研究することで、現代も見えてくるというわけですね。 考古学とは、残された物質から人間の社会や文化を復元する研究です。それに より歴史の本質を探ることができ、ひいては現代のことが理解できます。また、 歴史書などの文献史料はもともと為政者の立場から書かれたものですので、改変 されている可能性も多くあるのですが、物質文化は庶民の文化をリアルに反映し ています。その意味では貴重な資料と言えます。
九州各地でも積極的に調査活動を行なっていらっしゃいますね。 大陸との関係を探るため、日本国内でも毎年一回は発掘調査をしています。こ れまで対馬、唐津、糸島、五島列島などで調査を行ないました。九州の歴史も、 大陸との関係で考えていきたいと思っています。大陸から日本列島を見るという 私の研究には、大陸文化の門戸である九州は最適な場所です。また地の利もあり、 アジア圏なら飛行機でどこでもすぐに行けます。例えば中国での会議に出席した としても、どうかすると中国国内の人が自宅に戻るよりも私の方が早く福岡に帰 り着きます。実際の研究ができる一番いい場所ですね。 九州では考古学をやる人も多いですね。 古くからの歴史がありますから、九州の考古学には根強いものがあります。た だ地域ナショナリズムと言いますか、どうしても一部分の歴史、例えば邪馬台国 の時代などに偏ってしまう傾向があります。もっと幅広い視野を持って、日本列 島の歴史のみならず、世界から見た九州の役割を解明すべきだと思います。九州 は研究対象としては面白い土地で、まだまだやることはたくさんあります。 それは先生おひとりでは大変ですね。 もともと考古学はひとりではできない学問です。他分野の人とのネットワーク があってはじめて共同研究で新しい成果を生むことができます。その点、九州大 学は多彩な先生がいらっしゃいますから、さまざまな共同研究の可能性があり ます。現在、人骨研究の方々と組んで、遺跡から発掘された人骨のコラーゲンを 調べることで年代を測定する研究をしています。また植物や気温など、遺跡の環 境についての調査研究も他分野の先生と組まないとできないことです。こうした 多彩な分野の研究や成果を総合化する、プロデューサー的な仕事も考古学には必 要だと考えています。
今後はどのような研究をお考えですか? 弥生時代に成立した水稲農耕は日本社会の根幹ですが、この誕生の起源を探り たいと思っています。これまでの研究で、中国山東省あたりが水稲農耕の起源地で はないかと考えています。ここはちょうど南北二つの文化の中間地点で、華北の アワ・キビ文化と南部の稲作文化が交錯して複合的農耕が行われた地域です。こ れが朝鮮半島を経由して日本に入ったと考えられます。そのプロセスを明らかに してこそ日本の歴史が明らかになります。 そのほかでは、青銅器、小麦、車馬の起源などについても解明していきたいと 思っています。人の移動だけでなく、こうした文化の移動を明らかにすることも 重要です。東西交流で生まれてきたこれらの文化を研究することで、東アジア、 さらには世界の歴史、文化が解明できると思います。人間のいるところはどこで も考古学の研究対象なのです。 最後に九州大学の学生に対してメッセージをいただけますか。 九州大学には考古学を志す学生が多く、みな優秀です。ただし、一定のテー マではいい結果を出すのですが、少し広がりのある研究テーマになると難しいよ うです。多角的な視野を持って、自分の研究のレベルアップを志してほしいと思 います。また即効性を求める学生が多いのが残念です。これは今の世の中全体の 風潮ですが、学問には人生をかけて追い求めるものがあるはずです。そうした息 の長い学問を考えてほしいと思います。 現代は即効性を求める風潮がありますが、人生をかけて追究する学問があることを、学生のみなさんに考えてほしいですね。 |