君、喜びたまふことなかれ
文学部長 今西 裕一郎
このような題を掲げて、九州大学に合格した君たちの値打ちを貶めようとして
いるのではありません。大学へも行かず目先の快楽追求に余念のない私の甥や姪たち
に較べると、君たちの姿は、すばらしい、の一語に尽きます。
しかし、そんなに喜ぶことはないのです。なぜならば、君たちは九州大学の試験に通
るべくして通った、すなわち合格は当然の、あるいは予期された結果であり、奇跡が
起こったのではないからです。周りから「合格おめでとう」とお祝いの言葉をかけら
れても、軽く「おかげさまで……。ありがとうございます。」と答えて、普通の顔を
していましょう。
二千何百人の合格者の中には、高校時代の成績からすると九大に受かるのは難しか
ったのだが、まぐれで通ったと思っている人がいるかもしれません。しかし遠慮する
事はないのです。そういう人は「運も実力の内」という諺(ただし市販の「ことわざ
辞典」には載っていません)を肝に銘じて、遅まきながら自分には「運」という実力
が備わっていたことに目覚め、努めて冷静にふるまいましょう。
なぜか。現在の君たちの立場は、たとえて言えば百メートル競走で入賞を果たした
といったところでしょう。けれども人生という競技場では、さらに千五百、五千、一
万メートルの競争が待っているからです。百メートルで入賞しても、その力が千五百
や五千の競技でも通用するとはかぎりません。
九州大学に入学しただけで前途洋々、という時代ではもはやないのです。『東大生は
バカになったか』(文芸春秋、二〇〇一年刊)の著者、立花隆さんの言葉を借りれば、
いい大学に入ったからといって、その大学の単位取得制度にのっかって、卒業資
格さえとれば社会人としてやっていく資格十分ということには全くならない。同
様に悪い(といわれる)大学に入ったからといって、オレにはいい高等教育が得
られないと嘆く必要も全くない。
という時代なのです、今は。
願わくば四月から九州大学での授業を受けるその前に、「東大生」を「九大生」に置
き換えて立花さんの『東大生はバカになったか』(すなわち『九大生はバカになったか』)
を読んでおいて下さい。
(いまにし ゆういちろう/国文学)
※四月一日付けで、今西裕一郎先生は国立大学法人九州大学の理事に就任し、
新しい文学部長に川本芳昭(かわもと よしあき)教授が就任します。
|