3月1日(月)、九州大学と九州日仏学館との共催により、フランスのドミニック・ガルゾー・ド・ヴィルパン外 務大臣の講演会が開催されました。

今回の講演は、初来日したド・ヴィルパン外務大臣が学生や市民との交流を希望して実現したものです。これに 対し九州大学は、これまでのフランスとの交流実績などにより、同外相に九州大学名誉博士の称号を贈りました。

講演のテーマは「フランスと日本―新しい国際的脅威に直面して」。フランス語による同時通訳付の講演でした が、イラク戦争前の国連安全保障理事会でイラク攻撃に反対する論陣を張ったド・ヴィルパン外相の講演とあって、 会場となった医学部百年講堂は、600名を超える聴衆や報道関係者で満員でした。


ド・ヴィルパン フランス外務大臣
九州大学で講演

(講演と質疑応答の骨子)

かつて九州大学で講演したポール・クローデル(※)の二つの予見は正しかった。つまり、「九州大学の発展」と「福 岡は、フランスがその存在を表明しておくべき、日本における重要な地域となる」ということ。

日本とフランスは同じ価値観を分かち合っている。例えば19世紀のフランスでジャポニズムは大流行したし、黒 澤、大島、北野の映画は広く受け入れられている。大量破壊兵器の不拡散や、新たな段階を迎えたテロへの対策、 イラクの復興などに、日仏は協力して「平和」「民主主義」の理想を追求している。

戦争によって世界の安定を図ることはできない。世界には多くの極があり、それぞれの国々にルールがある。他 国のルールを尊重し協力することで、共通のルールや問題の解決策を見いだすことができる。ASEANなどアジアの国々と対話する機 会を持てるのはうれしいことだ。対話を進めるための日本の役割に期待するし、それは必要である。政治だけでなく環境問題などでも 日仏の果たすべき役割は大きい。

イラクは最も難しい問題だ。国連で各国は大量破壊兵器不拡散で団結し、その存在を確認するために査察を行うことを決めた。それ は正しい道だったが、戦争で意見が分かれた。どちらが正しかったかは歴史が決めるだろう。今は復興を急ぐべきであり、フランスは その成功のためには、イラク人の主権を尊重すべきだと考えている。

なぜ福岡に来たか?福岡が歴史的にも世界に開かれた土地であり、ダイナミックな活動をしており、日本の現実を知ることができ る土地だから。昨晩は旅館に泊まり、今朝は太宰府や光明禅寺をお参りした。7年間にわたってともに仕事をしている日本好きな人物、 シラク大統領の言葉「日本の扉をあけるのは、福岡からが良い。それは、日本では外国文化は西から伝わっているから。」に従ったの です。(拍手)

(※)Paul Claudel 詩人・劇作家で、外交官として駐日大使も務めた。彫刻家カミ ーユ・クローデルの弟。1924年11月に九州旅行の途中九州帝国大学や旧制福岡高等 学校を訪問し、医科大学で総長や県知事などと午餐をともにした。

◎九州大学とフランスの交流

九州大学が初めて交流協定を締結した海外の大学が、フランスのボルドー大学(第1、第2、第3大学。1981年2月4日) であり、この協定締結は、その後の交流協定締結の動きを加速させる契機ともなった。

研究者交流については、数として多くはないが共同研究が展開されている。

学生交流は、断続的に行われてきたが、最近数年は毎年語学研修中心の派遣が実施されている。

他のフランスの大学との学生交流では、グルノーブル・コンソーシアムやストラズブール・コンソーシアムとの学 部学生交流協定をそれぞれ1999年10月に締結し、毎年学生交流が行われている。また、競争率が高いルノー財団によ る奨学生として本学の大学院生が毎年3名ないし4名採択されており、財団側の本学学生への評価は高い。

また、日仏高等教育シンポジウムが過去3回、東京(1998年)とストラスブール(2001年)と京都(2003年)で開催さ れ、それぞれ、総長が参加して発表を行った。


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