| 就職試験用に撮影したもの(昭和28年) |
Q: アルバイト組合とはどんな組織なのですか。
近藤: これは「学窓会」とは別のものです。あちこちからの求人申し込みを受け付け、アルバイトを希望する学生に振り分けるのが仕事です。事務局の玄関に、歳末のくじ引きなどで使われる抽選器を置いて、ガラガラ回して抽選していました。当時の学生は仕送りも当てにならず皆金がなくて困っていましたから「繁盛」していましたよ。
ある時、日本緑化運動なるところからアルバイト依頼があって、夏休みでしたし晴耕雨読ができるような気がして、じゃ行ってみるかと何人かで参加しました。ところが仕事は板付飛行場(今の福岡空港)に敷く砂利取りで、作業員宿舎に入れられた。何日かたったら雨が降り出して仕事ができず、飯は食べさせてもらえましたが給料が出なくなりました。そんな話は聞いていないということで、やめて帰ると申し出て大変もめたこともありました。
Q: それはおいくつくらいの時でしょうか。今の学生と比べて随分大人でいらっしゃったように感じますが。
近藤: 二十二、三才です。今になって思えば、当時の学生連中は大人だったという気はします。今日、卒業する皆さんを見て、自分たちもあんなにかわいらしかったかな、と思いましたよ。それは時代のせいもあったのです。当時は学生と言ってもいろいろな経歴の人がいました。海兵・陸士出身者や、浪人経験者、落第経験者など。年のいった人も結構多く、学生は今と比べてもうちょっと大人っぽかった。あの時代の大学特有の雰囲気がありました。
| 昭和27年頃の箱崎キャンパス | 新しい業界で働く
Q: そのような大学生活を経て就職されたのが日本ヘリコプター輸送という会社ですが、どのような理由でそこに決められたのでしょうか。
近藤: 戦後しばらく航空事業は禁止で、再開されたのは昭和二十七年になってからです。国策会社として日本航空がスタートしたのですが、実際の運航はノース・ウェスト航空でした。同時に東京と大阪に民間会社ができて、東京が日本ヘリコプター輸送、大阪が極東航空です。戦時中の航空輸送は軍の補助で行われていましたので、純民間は戦後になって初めてということで新聞で話題になっていました。それで面白そうだと興味がわいたのだと思います。
当時まだヘリコプターは珍しく、輸送に使えるのではないかという発想だったのですが、やはり飛行機でなければ難しいということになり、後に極東航空との吸収合併を経て全日本空輸株式会社という全国規模の航空会社になりました。私たちが付けているANAのバッジの絵柄が、レオナルド・ダ・ビンチの描いた今のヘリコプターの原型とも言える飛行物体をもとにしているのはそのためです。同級生たちからはヘリコプター輸送とは変な会社に入ったなとからかわれましたが。
Q: 初めて開かれた分野のお仕事ということで、ご苦労もあったのではないでしょうか。
近藤: どの仕事も、誰もそれまで経験したことのない新しいことばかりです。管轄の役所である運輸省へ提出する書類作りも、誰もやったことがないということで、新入社員である私が運輸省へ行って作り方を聞いて作成しました。社内の誰も教えてくれない、何でも初めてだから知っている者がいない、自分から仕事をしないと何も進まないという状況です。しかしそれは結果としてよかったと思っています。自分で苦労した分、仕事のやり方がしっかり身につきました。
仕事を一生懸命やっていると、目的が見えなくなることがあります。目的と手段の区別がつかなくなるのです。仕事は、何のためにやるのかはっきりつかんでから取りかかる必要があります。一段二段上に立って、高いところから見渡さないと物事は見えてこないし、そうすることで異った答えを見つけることができる。これは何事においても大切なことです。
先輩として経営協議会委員として
Q: 平成十六年四月一日に国立大学法人九州大学が誕生しました。大学の経営面を協議する機関として「経営協議会」が設けられ、委員の半分以上は学外有識者とされています。その委員に就任される抱負をお聞かせください。
近藤: 国立大学がこれからどこへ行くのか。母校の経営協議会委員就任ということで、私なりに勉強してみましたが、的確には掴みきれないところもあります。しかしそれは別にして、この大きな変化に対応していくために一つ言えることは、九州大学はもうちょっと自分を売り込んでいかないといけないということです。そもそも東京から離れた九州にあるということで損をしている面がある。新聞も九州版にはよく出ているようですが、全国版ではほとんど九州大学の文字を見ることがない。どんなに立派なことをやっていても人の目に触れないと、存在が重く見られないということがあります。いかにして全国版のマスコミで扱って貰うかはこれからの大きな課題ではないでしょうか。このことは経営協議会でも申し上げようと思っています。
また、私は法学部の東京同窓会長を務めていますが、かねてから学部毎の同窓会では活動や影響力に限界があり全学同窓会でやらないといけないと感じていました。幸い大学も同様な考えであったようで、五月には全学的な東京同窓会が設立されます。今年卒業された皆さんを含めて、年齢や肩書きに関係なく、東京にいらっしゃる九大OBの皆さんの交流がもっと大きく広がることを望んでいます。
Q: 本日の卒業式で、「良い意味のエリート意識を持って、目標を高く掲げよ」「人間性を高め判断力を磨け」「全てに前向きな発想で事に当たれ」の三つをはなむけの言葉とされました。後輩である九大生たちに、その他にメッセージを頂戴できますか。
近藤: 今、若い人たちの間に、「九州でいいんだ」という風潮があるように聞きます。後輩の諸君に特に申し上げたいのは、ぜひ、九州を飛び出して日本、そして世界を視野に入れて活躍する気概を持っていただきたいということです。そうでなければ、九州大学は九州の九大に成り下がってしまいますよ。
(平成十六年三月二十五日(木) 事務局貴賓室にて)
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