東京同窓会の設立を祝う
東京同窓会理事 田坂 和義

◆設立総会◆
 平成十六年五月十四日(金)、東京千代田区にある経団連会館の経団連ホールにて開催された「二十一世紀COEプログラム拠点形成発表会」終了後、同じ会場で午後五時五〇分から「九州大学東京同窓会設立総会」を開催。
 議長に設立準備幹事会代表の田坂和義(法学部東京同窓会事務局長)を選出の後、設立提案に至る経過を報告。その後、「設立趣意書」「会則」「事業計画」「役員」の各議案を付議、それぞれ承認を得た。議事終了後、近藤秋男会長(全日本空輸(株)最高顧問・昭和二十九年法学部卒)の会長就任挨拶、梶山総長の設立お礼の挨拶があり、無事設立総会を終了した。
 今回設立した東京同窓会は、年会費の徴収はせず、事務局、事務要員を置かないもので、甚だ不完全なものであるが、杉岡総長時代から数年来の懸案であった東京における学部横断的な全学同窓会がようやく設立されるにいたった。まず入れ物ができたわけで、今後内容を順次充実させていかなければならない。

◆設立祝賀会◆
 設立祝賀会は会場を同会館十二階のダイヤモンドルームに移し午後六時三〇分から開始。
 近藤会長、梶山総長の祝賀挨拶に続き、冨浦梓副会長(東京工業大学監事・昭和三十一年工学部卒)の音頭により乾杯の後、九大コールアカデミーOB三十名による男声合唱。「大学祝典序曲」「松原に」「春の賛歌」の三曲を力強く、かつ素晴らしいハーモニーで合唱。このとき、コールアカデミー生みの親、荒谷氏(指揮者・昭和二十八年法学部卒)が登場。自ら指揮棒を取り「野バラ」の合唱指揮のあと「法学部と文学部卒業の私としては何れの会に出るべきか困ったが全学の会ができたので、これからは同窓会に積極的に参加したい」と挨拶され、拍手喝采。
 懇親が続く中で、杉岡前総長ほかの祝電披露と大学よりご参加の七名の理事をご紹介。瞬く間に時間が過ぎ、恒例により全員で青春の学生歌「松原に」を斉唱のあと、高島勲副会長(昭和化学工業相談役・昭和三十八年農学部卒)より閉会の辞が述べられ、名残を惜しみつつ、記念の祝賀会を閉じた。二百余名(法学部五十三、経済学部四十二、工学部六十、農学部二十一、文・教・理・医・歯・薬計二十六名)の出席者で広い会場が一杯になったというだけでなく、雰囲気的にもこれまでのどの集いよりも盛会で、祝賀気分に満ち、待望の全学同窓会設立の集いにふさわしいものとなった。これからは関係者一致協力して、会の充実に努め、会員の生活の充実と大学の発展に役立つ存在となるよう頑張っていきたい。
 五月十五日の西日本新聞に「九大が東京同窓会設立」の見出しで設立総会・祝賀会の記事が掲載された。学部ごとにある同窓会の垣根を越えて効果的に母校を支援していこうという狙い、と報道している。

(たさか かずよし 昭和三十四年法学部卒)



岩本 桂(昭和三十年 経済学部卒)

 二十一世紀最初の年の一月に、偶然「古希」を迎えた者の心に「古希前、古希後」というキーワードが芽生えていた時、旧制高校記念館開館十周年の記念行事を知り、会館のある松本市の県(あがた)の森公園まで出掛けました。時は二〇〇三年六月十五日。十周年を祝った特別展示があり、その時撮った写真の一部を「報告」としてお届けします。

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A
@旧制高校生群像のシルエット
 シルエットを通して、知的にハングリーな青春の「内面世界」がアクティブに伝わってくる。

A旧制高校記念館
 全国の旧制高校OB達のカンパと松本市民の全面的協力により、一九九三年旧制松本高校の一角に建設され開館した。ここには旧制高校の魂が漲っている。

B旧制松本高校の本館をバックに
 私の貧しい人生で「至福の一時」を体験させて頂きました。ただただ感謝のみ。本館は松本市民の文化センターとして、化粧直しの真只中でした。

C福岡高校時代の檀一雄
 旧制中学時代から旧制高校時代への「連続の非連続」「非連続の連続」という人生の大事な過渡期を垣間見させる、今では得難い写真である。

D旧制佐高と旧制七高のシンボル
 旧制佐高のシンボルには「遙かなり十五畷」という台座があり、旧制七高のそれには「七高生久遠の像」が読める。両高校とも開校時の「時代精神」を反映して面白い。旧制七高は明治の精神を、旧制佐高は大正デモクラシーの精神を体現しているといえないだろうか。

(二〇〇四年四月十一日 記)

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