北京大学の許智宏学長が3 月下旬、九州大学大学院の学位授与式に来賓として出席するため初めて福岡を訪れました。これを記念して開かれた九州大学の梶山千里総長との対談では、教育と研究、アジアでの大学間ネットワークづくりについて活発な議論を展開。中でも許学長は、今や世界的工場・市場にまで成長した中国を支える人材を養成するためには、高等教育の国際化が必要だと強調しました。両氏は熱い語らいを通じて、今後の世界平和と長期的な経済的発展のためにも両大学の学生と教員の人的交流が不可欠であることを再確認したようです。対談後には学術交流協定の調印式が行われ、さらなる大学間交流の強化に向けて新たなスタートが切られました。



許北京大学学長。後ろは、九大OBで中国科学院初代院長の郭沫若の書。


中国人学生の「元気」の源とは何か。

柳原 まずは人材育成という点ですが、北京大学ではどんな人材を育てようとして、どんな教育をなさっているのでしょうか。
 現在、中国の学長たちは皆、人材育成に大きな関心を持っていて、21世紀の国家や世界に有用な人材をどのように養成していくべきか真剣に考えています。
柳原 一カ月ほど前、梶山総長が二〇〇四年のノーベル化学賞受賞者であるイスラエルのアーロン・チカノバー博士と対談した折に、中国人学生が世界でも例外的に活動的で力を発揮していることが話題になりました。中国の学生の「元気」の背景とは一体何でしょうか。
 私の考えでは、これは東アジア国家の特徴として言えることですが、教育に対して家庭が非常に熱心であるという背景があります。日本も中国もそうだし、韓国もそう。これこそがアジアの人々の元気の源になっていると言えるでしょう。
 しかし、中国では大学進学はかなりの狭き門なのです。毎年、大学統一試験を受ける学生は約千五百万人いますが、中国教育部が承認している正式な国公立大学は三十くらいしかないんです。各大学は平均して約五千人の新入生を募集しますから、三十×五千で十五万人、つまり大学統一試験受験者のうち百人に一人だけが国公立大学進学への切符を手にできるのです。ただでさえ厳しい競争率の中で、北京大学や清華大学などの名門校に入学することは、それ以上の、相当に厳しい競争をくぐり抜けなくてはなりません。
 もちろん、統一試験の点数で北京大学のような国公立大学に優秀な学生が集中してしまうことに対して社会からの批判もあります。しかし、この試験より有効な選抜方法がないんです。
柳原 少子高齢化社会にある日本では、大学進学を希望する若者の数と大学側の受け入れ人数がほぼ同数となる「二〇〇七年問題」が懸念されています。
梶山 問題は、大学生の質を確保しようとすると、かなりの数の大学がつぶれてしまうのではないかということなんです。裏を返せば、これからの大学教育のあり方が問われていることにもなります。
将来に対する大学長の責任は大きい。

現在の国際交流のあり方は、

将来の社会に直接影響を与えるでしょうから。

 九州大学で非常に力を入れて取り組んでいる教育に「インターンシップ」がありますが、これは大学での勉強だけでなく社会を知るということが重要であるという観点から、学生のうちに企業内で就業を体験するというものです。
 そしてもう一つが、自分で問題を提起して自分で問題を解決する「問題提起型」あるいは「自己啓発型」の教育。これが従来の国立大学には欠けていたということで、これからのカリキュラムに重点的に組み込んでいこうと考えています。
 また、学生以外にも大学で学ぶ人を増やさなくてはなりませんから、社会人をもう一度大学に呼び戻す、いわゆる「生涯教育」の促進やビジネススクールやロースクールといった「専門職大学院」の設置も進められています。中国をはじめとする外国からの留学生を増やそうということにも積極的なんですよ。
 昔は九州大学や東京大学に留学するには経済的な問題がありましたが、改革開放以後、経済的に負担できる学生が増えてきました。私たちとしても、中国の学生を海外で勉強させるチャンスをどんどん作りたいと考えています。
 私がいつも学生に対して強調しているのは、中国国内でも海外でも、どこで働くかにかかわらず常に幅広い見方をするべきだということです。国内にいても中国の問題を外側から客観的に見る力、逆に外国のことを内側から広く国際的な視野で見る力を身に付けることが大切なのです。
 われわれはいかなる国家であれ、人であれ、周囲の社会あるいは世界を切り離して生きることはできません。これからの世界を平和に作っていくためにも、若い人たちにはできるだけ外国を知っておいてほしいという気持ちがあります。そういう意味からも、将来に対する大学長の責任は大きいものがあります。現在の国際交流のあり方は、将来の社会に直接影響を与えるでしょうから。
梶山 重要なことは異文化や他国の事情を知るチャンスを、若いうちに作っておくということです。
 豊富な経験は人生の分岐点においてベターな選択を促し、最終的にはその人の人生をベストなものにする。また、現在地球上で起こっている摩擦や誤解というのは、異文化や他国の事情をよく理解していれば防ぐことができたのではないかとも思われます。これら二つの点で若いうちの異文化経験は非常に重要だと言えます。


産学連携に拠点大学としての使命担う。

柳原 では次に、産学連携について伺います。中国の大学の中にはベンチャーや上場企業を抱える大学も多いそうですね。
 まずは、なぜ大学がそういうベンチャー企業や上場企業を必要としているかについてですが、第一に、中国と日本では企業の仕組みに違いがあります。日本には企業独自の研究所が大学の研究成果を製品に転換させる役割を持ちますが、中国の企業と大学の間にはそうしたつながりがありません。だから、大学の研究者が自分で企業を興すしかないのです。
 第二に、大学の経済的基盤が弱く、大学が自らお金を稼がなくてはならないという側面もあるのです。

九州大学総長室で対談する(左から)梶山九州大学総長、許北京大学学長、柳原九州大学理事(副学長)。
壁にかかるのは中国の「国父」孫文が大正2年(1913)来学した折に書いたものと言われている。
梶山 北京大学の学内にはどれくらいの企業があるのですか。
 五年前に私がこの職に就いたとき、前任の学長に「うちの大学はどれくらいの企業を持っているか」と尋ねたところ、学長の答えは「一体いくつあるか分からないです」というものでした。というのも、北京大学の教員が大学の名前を利用して学外でひそかに会社を興すことがあるからです。最近では損失を出した場合の責任転嫁といった問題が表面化してきているので、国が大学と企業を切り離す改革に乗り出してきています。
 成功例は数少ないのですが、中にはかなり成功した例もあるんですよ。例えば、レーザー配盤技術を生かして事業を興した北京大学方正公司。この企業はパソコンの漢字キーの配盤技術に画期的な革命を引き起こし、日本をはじめ、韓国やシンガポールなど東南アジアの漢字主導の国でこの技術が活用されています。
 またもう一つの方法として、大学が地方政府とともに産学連携事業を行うこともあります。例えば北京大学は香港科学技術大学とともに、深市政府と連携して同市内に産学連携基地を作りました。その基地を大学間技術成果のインキュベーションセンターとして活用しています。
梶山 お話を伺っていると、私の持つイメージとずいぶん違うなと感じました。北京大学は文科系と基礎研究に強味があり、清華大学がベンチャーを含めた応用と、二つのトップ大学がその役割を分担していると思っていたんですが、北京大学がここまで熱心に産学連携を行っているとは知りませんでした。
アジアの将来のために必要なことは、

若い人たちがお互いをよく知り合うことです。

 確かに北京大学は基礎研究を重視しています。しかし、方正公司などの事業は基本的に基礎科学をもとに成り立っているので、北京大学は基礎のみで、清華大学が応用だとは言い切れません。それは要するに、工学系も文系を離れてはお互いに成立できないということなのです。
梶山 九州大学は日本の拠点大学の一つですから、あくまでも人材育成と基礎研究を重点的にやろうと思っています。ただし、本物の基礎研究というのは必ず応用につながる。これは、経験上知り得たことでもあるし、同時に私の信念でもあります。
 今年から、九州大学は福岡市の西部に新キャンパスを開校します。そして、そのキャンパスの周辺に学術研究都市「サイエンスパーク」を建設し、システムLSIやナノテク技術、未来のエネルギーである水素の利用技術など、九州大学の強みである部分を積極的に展開していこうと準備を進めています。
 私たちの産学連携に対する基本的な姿勢は、北京大学と非常によく似ています。それはお互いが拠点大学としての使命を担っていると考えているからでしょう。そういう意味で、これからは教育だけでなく産学連携の面でもぜひ協力できればと思っています。


今こそアジアンスタンダードの確立を。

柳原 それでは今日最後のテーマになりますが、アジアでのネットワークづくりについてお聞かせください。
 九州大学はアジアにおいて、欧米に次ぐ一つの極を作るという観点から、教育連携を含めたさまざまな事柄を発展させようとしています。例えば「アジア学長会議」を開催し、ブランチオフィスを設けるなどしてアジアのネットワークづくりを進めています。この会議には北京大学からも出席していただきました。
 このようなアジアの大学間連携について、北京大学は将来的にどのような構想をお持ちなのでしょうか。
 私どもは、さまざまな学長会議や組織に参加してまいりました。それは、アジア地域で大学同士の交流を進めることが今後ますます重要になってくると考えているからです。それらの会議を通して、学長同士がお互いに知り合い、大学の発展の度合いなどについて意見交換をすることは大変重要なことだと思っています。
梶山 許学長の話に加えて、アジアの大学がネットワークを作る意義について、もう一つ重要なことがあると思います。
 今、世界は教育や政治、いろいろなところでヨーロッパとアメリカ、アジアの三極で動いていると言えます。しかし、教育の場面で学生に資格を取らせること一つをとっても、私たちは現在のところアメリカンスタンダードやヨーロピアンスタンダードに合わせるしかないんです。
 例えば、技術士の資格を取得する場合、ABET(エイべット)というアメリカの資格しかありません。しかし私たちは文化が違う、民族が違う、宗教が違うといったアジア独特のものが存在するわけですから、独自の「アジアンスタンダード」というものを作るべきだと思うんです。今こそアジアの大学で、アジアの学長たちが集まり、教育の質の保証と資格を取るためのカリキュラム作成に着手する時期にきていると思います。
 そういう意味では、今まで以上にアジアの拠点大学が一緒になって強固なネットワークを構築していく必要があります。
柳原 最後に、九州大学の在学生や若い研究者にメッセージをお願いします。
 アジアの将来のために必要なことは、若い人たちがお互いをよく知り合うことです。若い世代の人たちがアジアの未来の発展のために、また、日本と中国両国の未来の発展のために手を取り合って頑張ってもらいたいと思います。
梶山 今日は福岡に着いてすぐのお疲れのところをありがとうございました。許学長からはこれから北京大と九大の交流をもっと増やしていこうという意見をいただき、私どもとしても学生や教職員の交流だけではなく、目に見える形の連携をやっていければと願っております。本日はどうもありがとうございました。


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