2005年3月20日(日)に発生した福岡県西方沖地震は、地震とは無縁と思われていた福岡及び周辺地域を震撼させました。九州大学の研究者たちは地震発生直後から、個人やグループで、また他大学や関連学会と連携して、様々な調査研究活動を実施し、ホームページやマスコミ等を通じて広く情報を提供し続けました。

 4月6日(水)には、それまでの調査結果を一般市民の方々に分かりやすく説明することを目的に、医学部百年講堂大ホールで、「震災フォーラムin九大 〜調査結果と今後の備え〜」が開催されました。
 これは、工学・理学・人問環境学・農学・医学など分野を越えた学会・研究者が集まって、それぞれ独自に行ってきた多面的な調査結果を持ち寄り、地震動、警固断層、玄界島の建築被害、市内中心部の建築物被害、土砂災害、液状化、災害医療などについて、総合的な視点から災害状況、地震のメカニズム、被災原因等について講演発表・意見交換を行うことで、今後の復旧にむけた対応策の一助としようと開催されたものです。
 今回の開催が新聞やテレビで予告されると大学には問い合せが相次ぎ、当日は一般市民など600名を超える参加者で会場は満員となって、市民の方々の関心の高さが窺われました。

 ここでは、震災フォーラムの中から五つの報告をピックアップしてご紹介します。



福岡県西方沖の地震
地震の特徴と活動の推移
理学研究院附属地震火山観測研究センター・教授


福岡県西方沖地震の発生
〈写真1〉地震による被害を受けた福岡県玄界島今回の地震を引き起こした断層の近傍に位置する玄界島では、負傷者10名、家屋の全半壊182棟など、大きな被害が出ました。
 2005年3月20日10時53分、福岡県西方沖の玄界灘で気象庁マグニチュード7.0(暫定値)の地震が発生しました。この地震によって福岡県福岡市と前原市、佐賀県みやき町で震度6弱を記録し、福岡市でブロック塀の下敷きになって1人が死亡、1000人以上の負傷者が出たほか、家屋や道路などにも多くの被害がありました。特に、震源に近い玄界島では被害が大きく〈写真1〉、島民は一ヶ月以上も島外での避難生活を余儀なくされました。また、福岡市内でもいまだに有感の余震が継続しています。
〈図1〉福岡県西方沖地震の震央分布と陸上地震観測点分布

3月22日23時から23日23時までの24時間に発生した余震の震央が赤丸で、それ以前の余震と本震の震央が黄色の丸でそれぞれ示されています。丸の大きさは地震の規模(マグニチュード)に対応しています。なお、この図では本震の震央が余震に埋もれて分かり難いため、本震の位置を白い星印で示しています。三角形は地震観測点を示し、赤三角はテレメータシステムによるオンライン観測点(大学による臨時観測点のほか、気象庁や防災科学技術研究所の常時観測点も含む)、黒三角はデータロガーによるオフライン観測点です。

全国大学合同地震観測班 地震観測点配置図 (気象庁・防災科技術の地震観測点を含む)
2005年4月1日22:00現在
 〈図1〉は、本震と3月23日23時までの余震の発生状況です。震源は、志賀島から北西方向に約25kmにわたって線状に分布しており、本震は余震分布の中央部やや北西寄りに位置していることがわかります。本震の発震機構は東西方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型であり、上記の余震分布と本震の発震機構から、福岡県西方沖地震を引き起こした断層は、北西―南東方向のほぼ鉛直な断層面を持つ左横ずれ断層であると考えられます。
緊急観測の実施
 九州大学大学院理学研究院附属地震火山観測研究センターは、この地震に伴う余震活動や地殻変動の詳細な把握と震源域の地殻構造研究のため、全国の地震予知研究計画関連の大学と連携して緊急余震観測を実施しました。この緊急観測は、陸上地震観測、海底地震観測、GPS観測より成り、このうち陸上地震観測とGPS観測については、現在も観測を継続しています。
〈写真2〉オンライン地震観測点の設置

オンライン地震観測点の設置衛星テレメータシステム(VSAT)を玄界島の玄界中学校に設置しました。地震データは地震火山観測研究センターに伝送されるとともに、地震活動監視のため気象庁にも提供されています。

 陸上地震観測は、鹿児島大学、京都大学、東京大学、東北大学、北海道大学と共同で行い、福岡市周辺と沿岸の島々に多数のオンライン観測点〈写真2参照〉とオフライン観測点を展開しています〈7ページ図1〉。観測データは、地震火山観測研究センターで検測処理等が行われ、結果は政府の地震調査委員会に報告されるとともに、HP上でも公開されています。

http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/2005-GENKAI/

 さらに、4箇所のテレメータ観測点の観測データについてはリアルタイムで気象庁へ伝送され、地震活動の監視に利用されています。
〈写真3〉海底地震計の設置

自己浮上式海底地震計が、余震域の直上とその近傍に設置されました。海底地震計は船から海中に投入され、回収時は船上からの音波による指令により、錘を切り離して浮上する仕組みになっています。

 また、今回の地震は海底下で発生したため、より精度の高い震源分布を得るためには震源域直上の海底における観測が不可欠でした。そこで、私たちは東京大学と共同で、11台の海底地震計を3月26・27日に九州大学庸船により設置し〈写真3〉、4月13・14日に福岡県水産海洋技術センター調査船「げんかい」によって11台すべての海底地震計を回収しました。海底地震計の設置位置を〈図2〉に示します。現在、海底地震波形データの編集と検測に着手したところであり、今後、陸上地震観測のデータと併せてデータ処理・解析を進めていく予定です。
 GPS観測点の配置を〈図3〉に示します。これらは、今回の地震による余効的な地殻変動を詳しく調べるために、北海道大学、鹿児島大学と共同で設置しているものであり、現在まで若干の余効変動が観測されています。
全国大学合同地震観測班 GPS 観測点配置図 (国土地理院Geonet を含む)2005年3月24日22:00現在
〈図2〉海底地震観測点の分布

海底地震計の配置が、震央分布に重ねて示されています。全部で11台の海底地震計による臨時余震観測が3月27日から4月13日まで実施されました。

〈図3〉GPS観測点の分布

福岡市およびその周辺にGPS受信機が設置され、地殻変動をとらえるための臨時GPS観測が実施されています。図には、私たちの臨時観測点のほかに国土地理院によるGPS観測点も示されています。

震源分布の特徴と活動の推移
〈図4〉福岡県西方沖地震の震源分布

上段は震央分布図であり、下段は震央分布図中のA−Bに沿った断面図です。本震の震源は星印で示されています。震源は、緊急余震観測のデータを用いてダブルディファレンス法により決定したもので、通常の震源決定に比べ、相対的な位置の精度が向上しています。

 本震および4月6日までのマグニチュード2.0以上の余震の震源分布を〈図4〉に示します。この震源分布は、緊急余震観測のデータも用いており、今回の地震について現在得られている中で最も精度の高い震源分布です。この震源分布から推定される震源断層は、ほぼ北西―南東の走向を持ち、北西端部ではその走向をやや北向きに変化させていることがわかります。南東端(志賀島付近)も、明瞭ではありませんが同様の傾向が見られます。この特徴は、両端部で発生する余震の発震機構とも調和的であることから、破壊は断層の中央やや北西寄りの地点(本震の震源)から北西と南東の両方向に進行し、断層両端部で向きを変えて停止した可能性があります。また、余震は、深さ約3kmから18kmの範囲に分布しており、これが震源断層のおおよその幅を示していると考えられます。余震の深さ分布の上限は北西部でやや深くなる傾向がありますが、被害の大きかった玄界島では震源は5km以浅まで広がっています。複数の機関・研究者により、本震の震源過程が推定されていますが、いずれの結果も玄界島付近の浅所において「すべり量」(断層のずれの大きさ)が大きいことを示しています。これらのことは、玄界島付近で震源断層が地表(海底)近くまで浅くなっていることを示しており、玄界島で被害が大きかった一因になっていると考えられます。
 福岡県北部には、北西―南東方向に延びる活断層が複数存在し、これらの活断層のうち、福岡市から筑紫野市にかけて延びる警固断層が今回の地震の震源断層の南東延長方向に位置しています。現在までのところ、警固断層付近ではほとんど地震は発生していませんが、本震発生の1日後より、余震域の南東延長部の海の中道周辺や福岡市東区の海岸付近で群発的な活動が始まり、3月末から4月初めにかけてやや活発化しました。また、4月20日6時11分に、余震域の南東端付近でこれまでの最大余震(気象庁マグニチュード5.8暫定値)が発生し、本震の震源断層が警固断層方向へ数km伸展したと考えられます。今後しばらくの間は、周辺部の地震活動の推移に注意が必要であると思われます。

 観測に際しては、福岡県、福岡市、新宮町、海の中道海浜公園、福岡県漁連、各漁協をはじめとする関係者の皆様に大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。

(しみず ひろし 地震学・火山学)



地盤と震災
地盤を知ることが減災へつながる
西部地区自然災害資料センター長・教授


 今回の震災の特徴をあげるならば、地盤に関連した被害が多いという点を指摘することができそうだ。玄界島の宅地・建物被害、警固断層に沿う建物被害、臨海部埋立地の液状化、港の施設の被害、志賀島の斜面災害など、いずれも地盤を抜きにしては震災のメカニズムを明快に説明することはできない。
〈写真1〉急斜面に建てられた家々の屋根にはブルーシートが(玄界島) 〈写真2〉擁壁・宅地が破壊し建物が宙ぶらりんに(玄界島)
 玄界島の宅地・建物被害では、急峻な南斜面に立地せざるを得ない島の自然環境から、擁壁を活用して宅地が造成されてきた。その上に、二百数十軒の家が建てられていたが、今回、ほとんどの家が被害を受けてブルーシートがかけられている〈写真1〉。地震により擁壁やその背後の地盤が壊れて土台から傾いて危険な状態にある家も少なくない〈写真2〉。家の基盤となる擁壁の構造や種類、宅地造成に問題はなかったのか、地盤工学的観点から調査が進められている。
〈写真3〉傾いた電柱とビル 〈写真4〉土層断面図
「福岡県西方沖地震における地震被害調査速報」: 地盤工学会(「福岡地盤図」:九州地質業協会)
 ビルなどの建物の被害〈写真3〉が警固断層に沿った赤坂、大名などの市街地の狭い範囲に集中している。このような例は阪神淡路大震災でも報告されている。地盤を東西に切って断面を描くと黄色で示された固い基盤の上に比較的やわらかい粘土や砂の層が互層に堆積している〈写真4〉。堆積層が地震動を増幅させたのか、基盤の形状がいわゆる「なぎさ現象」を引き起こし大きな地震動となったのか興味あるところである。
 臨海部の埋立地で液状化の発生を示す噴砂が多く観察された。液状化は緩く堆積した比較的きれいな砂が地下水面以下にある場合に発生する。臨海部の埋立地はこの条件にぴったりである。また、比較的新しい砂地盤で液状化が発生しやすい〈写真5〉。小戸・愛宕浜の人工海浜〈写真6〉・百道からアイランドシティまで五十数か所のスポットにおいて噴砂が確認されている。興味深いのは警固断層沿いでは噴砂が確認されていない点である。砂地盤の生成年代の影響があるのかもしれない。
〈写真6〉砂浜で見られた亀裂・液状化(愛宕浜) 〈写真7〉漁港の岸壁のはらみだし(玄界島)
〈写真5〉液状化によりガタガタになった歩道 (海ノ中道海浜公園 「光と風の広場」) 〈写真8〉漁港の岸壁のはらみだし背後には液状化の跡と亀裂が(玄界島) 〈写真9〉地震による斜面表土の薄層すべり。ブルーシートで覆われた西側の島周道路には20cm前後の段差が走る(志賀島)
 港の施設の被害は旧い港湾施設や西浦漁港、玄界島の港にみられた。岸壁の被害パターンは大体同じで、岸壁法線が前面にはらみだし背後のエプロンが沈下・陥没するというもの〈写真7・8〉。臨海部埋立地の地盤が液状化することによって被害を増幅した可能性が高い。耐震基準を満たさない既存施設の液状化対策が喫緊の課題である。
 志賀島の斜面災害は西側と東側の島周道路では趣が全く異なる。西側の島周道路の被害は斜面の表層部の土砂が地震によりずり落ちたと考えられ対策も比較的容易である〈写真9〉。東側の島周道路では大量の岩塊が道路を寸断しており、なお余震によって落石が続くなど危険な状態にある〈写真10〉。対策には一工夫を要しそうだ。
〈写真10〉東側の島周道路をふさぐ岩盤崩壊。余震により落石が続き危険(志賀島)
 最近わが国では地震が頻発しており、どこで地震が発生してもおかしくない。一般の人々は、「土地」という言葉を使うが、土地はあくまでも表面的な意味合いが強い。土地の下を構成する「地盤」をよく知ることが減災への近道ではないだろうか。
(ぜん こうき 地盤学)



玄界島の木造家屋の被害と
福岡市内の非木造家屋の被害
人間環境学研究院都市建築学部門・教授


耐震基準の変遷について
〈表1〉耐震基準の変遷
1968年十勝沖地震(M7.9,RC造の被害大)
1971年建築基準法改正(RC柱のせん断耐力を強化)
1978年宮城県沖地震(M7.4)
1981年建築基準法改正「新耐震」(地震の動的効果を考慮)
1995年阪神大震災(M7.3,新耐震以前の建物被害)
耐震改修促進法
2000年建築基準法改正(性能設計の導入)
(出所:建築学会)
 耐震基準は、建築基準法の中にあって建物を地震から守る設計の拠り所であり、大地震の都度、手直しされて発展してきた。近代的な耐震基準は、〈表1〉に示す1971年の改正建築基準法と言える。そこでは十勝沖地震の被災経験から鉄筋コンクリート造の柱のせん断強度の強化が行われた。1981年の改正建築基準法では、宮城県沖地震の被災経験やコンピュータによる動的シミュレーション技術の発達によって建物の動的応答の性質が耐震基準に取り入れられ、新耐震と呼ばれて現行基準の一つである。
〈図1〉阪神大震災における学校校舎631棟の被害状況
 さらに、2000年の建築基準法改正では、新耐震が仕様設計(構造材細部の仕様を規定する設計)であることに対して、性能設計(建物の性能そのものに目標を設定してそれを満たすようにする設計)が新たに導入、併記された。 〈図1〉は、阪神大震災のときの学校校舎631棟の被害状況で、水平軸は被害の程度、奥行きは時間軸で過去2回の主たる基準法改正で区切っている。この図から、昭和46年、つまり1971年以前に設計された校舎は倒壊・大破も多数あったが、昭和56年、つまり1981年の新耐震で設計された校舎は、倒壊・大破はほぼ無く、中破も非常に少ない。
玄界島の被災建物について
〈写真1〉玄界島の集落
〈写真2〉石垣の崩壊による建物の層崩壊〈写真3〉擁壁破壊により隣地建物への倒れ掛かり〈写真4〉老朽化した木造住宅の倒壊
 玄界島は、全231戸のうち危険と判定された建物が127戸である。玄界島の集落は南側の傾斜地に集中している。〈写真1〉は、4月1日の時点であるが、多く家屋にビニールシートが掛けられており、瓦の破損、落下が多数あったことが分かる。
 〈写真2〉は、玄界島の建物の一つで、1階が層崩壊を起こしている。この原因は、北側の石垣が崩壊して、建物を押し倒したためである。石垣は、丸石を積んだだけの不安定なものである。
〈写真3〉は、北側建物が擁壁の崩壊と共に南側の建物に倒れ掛かっている。擁壁の崩壊に伴う建物の損壊は非常に多く観察された。
 〈写真4〉は、大変古い住宅で土葺き瓦で完全倒壊している。老朽化した木造建物はシロアリなどによる木部の腐食が激しく、強度がかなり低下していたことが考えられる。
福岡市街地の被災建物について
〈写真5〉鉄筋コンクリート柱のせん断破壊
〈図2〉福岡市中央区の応急危険度判定結果〈写真6〉ガラスの飛散したビル〈写真7〉SRマンションの二次壁の破壊
 〈図2〉は、福岡市が行った中央区の応急危険度判定(4月1日)である。赤丸は危険と判定されたもので約30戸あるが、外装材などの落下物の警告が大半である。被害は警固断層上あるいはこれより東側に集中して分布している。
 〈写真5〉は、RC造(鉄筋コンクリート構造)5階建て共同住宅で1966年に建てられたビルの柱のせん断破壊である。この建物は、設計基準が未整備だった時期に建てられ、耐震性が不十分であったことが破壊原因である。
 〈写真6〉は、SRC構造(鉄筋コンクリートの中に鉄骨の芯を入れた構造)、地上10階、地下3階の店舗兼オフィスビルで、建設は1961年である。したがって、1971年以前の耐震基準で設計されている。このビルは444枚のガラスが割れて歩道に落下した。これは、窓ガラスが乾燥すると固化する形式の充填材で窓枠に固定された工法だったためである。
 〈写真7〉は、SRC造14階建ての共同住宅で、竣工は1997年で現行耐震基準に基づいている。ところが、住居の玄関回りの二次壁に大きなせん断破壊が生じ、玄関ドアが変形してしまった。せん断破壊の方向は、ラーメン(柱と梁で構成された建物)で抵抗する方向で骨組の変形が大きかったことが推定される。ただし、柱や梁などの主要構造材や耐震壁にはほとんど被害がなく、骨組の安全性には問題は無い。
  (かわの あきひこ 建築構造学)



福岡県西方沖地震における
災害救急医療
医学研究院・教授
医学研究院・助手


実態調査
〈表1〉救急搬送者 区別・日別傷病者数(福岡市消防局提供)

3/20 3/21 3/22〜4/1 4/6時点
割合(%)80%6%13%100%
12名1名1名14名
博多14名0名0名14名
中央34名1名4名39名
2名1名2名5名
城南5名0名2名7名
早良3名1名3名7名
西17名2名4名23名
合計87名6名16名109名
 この度平成17年3月20日に福岡県西方沖で発生した地震関連の災害救急医療の実態は、福岡県災害拠点病院会議あるいは福岡救急医学会災害対策委員会が、救急医師のほか福岡県および福岡市の医療関連各課、消防局などから構成される検討委員会を発足させ、特に(1)関連諸機関の初動体制(地震発生時の連絡・通信体制、各機関の広域初動体制、活動協力)(2)プレホスピタルケア、救急医療体制(現場活動、搬送手段、医療機関選定)について検討中である。
 福岡市消防局が提供した今回の地震のデータは、平成17年3月20日地震当日の地震に関連する救急車による搬送人数は87名〈表1〉、ヘリによる搬送は6名(玄界島から済生会福岡総合病院、九州医療センターへ)であった。地震翌日の地震関連搬送者数は6名であった。これには熱傷患者の転院搬送などが含まれている。救急搬送者の重症度累計〈表2〉は、重症21名(後に死亡した1名を含む)、中等症45名、軽症43名であった。年齢・性別は、65歳以上の高齢者の占める割合が約60%と高率で、また女性が全体の約60%であった〈表3〉。当然、外傷関連の疾病が多く、受傷機転については転倒が最も多く、落下物による打撲、骨折、次いで熱傷が多かった〈表4〉。
 九州大学病院受診者は当日3名(重症1名、中等症1名、軽症1名)、翌日重症1名であった。この数は、東区内の搬送者数が2日間で13名であり、本院が三次救急医療機関であること、救急隊が所有する災害時優先携帯電話が不通となったこと、交通事情などを考慮すると頷ける。なお、今回の行政区別負傷者は、総受診者数、救急搬送者数の約4割とも中央区の医療機関であり、城南区の福岡大学救命救急センターへの搬送も2名と少なかったことから、今回の現場でのトリアージ(※)の仕方や、後方病院の利用、情報ネットワークの機能など検証すべき点が多々あるように思われる。

※トリアージ
患者選別と言い、大災害で多数の患者が発生した時など、限られた医療機関の資源を最大限活用するために(最大多数を救うため)患者の重症度や治療の緊急度を考慮して治療の順番などを決めること。

〈表2〉救急搬送者 地域別重症度別内訳(福岡市消防局提供)

程 度 市内 玄界島 能古島西浦・
宮浦
志賀島合 計
負傷者等内訳死 亡1名0名0名0名0名1名
重 症19名1名0名0名0名20名
中等症37名4名3名1名0名45名
軽 症35名5名2名1名0名43名
合 計92名10名5名2名0名109名
〈表3〉救急搬送者 年齢別・性別内訳(福岡市消防局提供)
年代
0代3人2人1人3%
10代1人1人0人1%
20代14人5人9人13%
30代5人3人2人5%
40代8人3人5人7%
50代13人6人7人12%
60代18人6人12人17%
70代30人7人23人28%
80代10人2人8人9%
90代6人0人6人6%
不明1人1人0人1%
合計109人36人73人100%
〈表4〉 救急搬送者 受傷機転別内訳(福岡市消防局提供)
転倒による負傷31人28%
鍋等の転倒による熱傷19人17%
落下物による負傷19人17%
倒壊による負傷12人11%
ショック9人8%
その他19人17%
合 計109人100%
〈表5〉個人レベルでの災害対策例
準備
@日頃より応急手当法を身につけ、地域での防災訓練に参加する(顔の見える関係)
A懐中電灯や必要品を入れたリュックを準備しておく
Bその時何をすればよいかを理解しておく
C常用薬の情報を常備しておく。
(離れたところに居住する家族・親類などにも知らせておく)

被害の軽減化
@第一に身の安全を守る:机の下に隠れる、塀、棚、津波などを避ける(自助)
A落ち着いて行動する(頭の中でシミュレーション)
B二次災害の防止:火や電気、ガスを消す、避難路の確保
C協力して救助や避難を行う(互助)
D軽症の場合、被災地から少し離れた地域の病院を受診する
災害対策
 今日の生活は、ライフラインや電話や通信による情報交換、交通や物資の流通に大きく依存しており、核家族化、ライフスタイルの変化(24時間化)、人口集中などの社会的影響を受けている。こうした結果、従来自然災害、人為災害、特殊災害などに分類されていた災害は、複雑な様相を深めて、常に「進化」している。しかし、災害への一般的対策は予防、準備、発災時の被害軽減化であり、昔と特に変わらないことも多い。九州大学病院としては、災害拠点病院として、院内の初期対応や、受け入れ態勢の充実、病院間や消防局との連絡網の強化、一般市民の災害対策〈表5〉への啓蒙や防災訓練の支援に今後とも努めていく所存である。
*医療機関別総受診数は仮集計数であるため、呈示しない。
(はしづめ まこと 災害・救急医学)
(かんな ともお  災害・救急医学)



九大病院免震病棟の
地震時挙動について

「ぐらっと」きても、「安全・安心」な免震構造
施設部 施設企画課長


九大病院(南棟)の免震装置
〈写真1〉南棟外観 〈写真2〉積層ゴムアイソレータ
〈写真3〉鉛ダンパー 〈写真4〉鋼棒ダンパー
 九州大学病院の南棟は病院再開発整備のT期として、平成10年3月に着工し、平成13年10月に完成、翌年春に開院した。
 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上11階、地下1階で延べ面積53,500u、ベッド数620床の新病棟・診療棟である。〈写真1参照〉
〈図1〉免震構造の概念
 免震装置は116基の積層ゴムと地震時の揺れを吸収する2種類のダンパーと呼ばれる部材で構成され、9万トンもの建物を支えている。〈写真2、3、4参照〉
 地盤と建物を積層ゴムで縁切りし、ダンパーでブレーキをかけているため、建物への地震力が弱くなり、居住者はじめ備品類の「安全・安心」を確保してくれる。(図1参照)
免震装置の作動状況等
〈写真5〉計測台
〈写真6〉挙動履歴
 揺れの方向や変位幅を記録するため、免震階に設けた「計測台」(写真5、6参照)の記録から、今回の地震ではほぼ南北方向に各々15cm程度挙動したことが見てとれる。
 免震装置により建物の揺れが軽減され、人的被害はもちろん計器類の落下・転倒も発生せず、免震構造が強い地震に有効であったと判断できる。
 また、地震時の感想を聞いてみたところ、「縦ゆれもあったが特に横にゆっくり揺れて、不安にはなったもののパニック状態にはほど遠いものだった」とのことであった。


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