わんぱくで問題児だった少年時代
梶山 非常にお忙しいところ九州大学の講演会に来ていただき、本当にありがとうございます。今回は一般の方のほかにも約五百人の高校生が来場し、金元国務総理のメッセージを心待ちにしています。 金 若い人たちの参考になる話ができるかどうか心配ですが、せっかくのお招きですから、私のこれまでの経験を踏まえて話をしましょう。
梶山 一九九八年に九州大学にお見えになり、「韓日関係の過去と未来」と題して日本語でお話しされた講演会では、二千人にも上る教職員や一般の方々が深い感銘を受けたものでした。それ以後、本学は韓国との学術・文化交流拠点を目指す「韓国研究センター」を設立するなど、さまざまな取り組みを実践してきました。そういう意味では、本学は金元国務総理に韓国研究の基礎を築いていただいたといえるでしょう。
金 私は子どもの頃、相当なわんぱくで、村中の問題児だったんですよ。例えば、新しい家が建つ所に十二、三人の仲間を引き連れて騒ぎ回った揚げ句、わざと柱を汚して帰るなど、悪いいたずらをたくさんしました。中学以降は級長として、まじめな生徒になりましたがね。
教師を目指す道から国づくりの道へ 梶山 子どもの頃はわんぱくなくらいが将来は大物になると言いますよ。そのわんぱくな少年が、政治に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
金 小さい頃からの目標は高等学校の先生になることでしたから、師範学校に進学しました。政治家になるなんて思ってもみないことでしたよ。
梶山 韓国において最も日本の事情に精通しておられて、愛情も注いでくださる―。私は金元国務総理に対して、そういうイメージを持っています。これまでに日韓関係の歪みを埋め、また絆を築いてこられた中で何か印象深い出来事などございましたらお話しいただけますか。
金 一九五一年のサンフランシスコ講話条約により、日韓両国が会談という正式な場で話し合いを持って問題の解決にあたるという方向性が示されました。そして両国の代表たちはすぐに交渉を始めましたが、一九六一年までの十年間は何の成果も出せなかったんです。
これから韓日両国は、よりよき友人、よりよき隣人、
そしてよりよきパートナーであらねばならない。 自分を形作ってきたもの、それは何か 梶山 その後も朴正煕政権、金大中政権の下で国務総理を務められました。国の大事を担う立場として大きな重圧があったと想像しますが、金元国務総理は何を基準に判断を下してこられたのかをぜひお聞きしたい。例えば、若い学生が自分の人生をなかなか決められないというのはよくあることです。人間が生きていく上で判断基準としての” バックボーン“は不可欠だと思うのですが、それは金元国務総理の場合どのようなものだったのでしょうか。 金 私の場合は単純でした。豊かで、国民にあまり負担を強いない生活を保障すること。国がどう動けば皆がご飯を食べられて、民主的に国が営まれ、世界で尊重される価値ある国民として認められるのか。それらを将来にどうつなげていくのか。そういうことばかり考えて走り回っていました。 梶山 ご自身の中にある粘り強さとか相手のことを思いやる気持ちというのは、どのような成長過程で養ってこられたのでしょうか。
金 私は自分の主張や立場、都合、利便性ばかりを表に出さず、相手のことを考えながら結論を導き出す教育を受けたのです。それがこれまでの力となり得たと思います。 梶山 歴史だけではなくて、美しく素晴らしい文学作品を読んで、お互いの国のことを知る。そういうことを自分自身が動いて、やっていかないといけないですね。
金 フランスの笑い話にこういうものがありました。若い頃は読書家だった家庭の主婦が、結婚してからはまったく本を読まなくなった。「なぜ読まないのか」と尋ねると、「だってテレビが読んでくれるもの」と。 しかし、人が見せたり読んでくれたりしたものは、自分の精神や知識の深部には刻み込まれません。自分の目や耳でたどることが大事だと思うのです。 梶山 昔で言うところの「蛍の光、窓の雪」というところでしょうか。
金 「蛍雪の功」とも言いますよね。 梶山 「鉄は熱いうちに打て」という言葉がありますが、若いうちから心身ともに鍛えておくことが大切だということですね。
よりよき友人、隣人、パートナーとして
梶山 日本でも画一教育から個性重視の教育へと視点が移ったように、教育も社会の発展に伴って変わっていく部分があるのは事実です。しかし、最後までくじけない粘り強さや人を思いやるという気持ちの教育は、どこの国でも、いつの時代でも必要ですよね。 金 日本と韓国の間には紆余(うよ)曲折や起伏がありました。しかし私たちはこれからもずっと仲良くしていかなければならない間柄にあります。生涯を通じて、よりよき友人、よりよき隣人、そしてよりよきパートナーとしてやっていけるよう、若い人たちがお互い真剣に考えながら、両国の明日を開いていけたら―。私はそう願ってやみません。 梶山 金元国務総理、今日はどうも貴重なお話をいただき、ありがとうございました。 |