インタビュー「シリーズ九大人」
【芸術工学研究院 視覚情報部門・教授】源田 悦夫

1950 年東京生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業、東京芸術大学大学院デザインの基礎および理論専攻修了。東海大学助教授、九州芸術工科大学教授を経て、現職。マルチメディアCGを中心としたコミュニケーションデザインに関する研究および制作が専門。日本のCG 黎明(れいめい)期からのパイオニア的存在。
 九州大学はこのほど、平成十七年度文部科学省科学振興調整費による先端的デジタルコンテンツ創成支援ユニットとして映像コンテンツ産業の人材養成拠点に選ばれました。論理的な思考を背景に高度な芸術的感性を持ったコンテンツクリエータや研究者の育成を目指します。企業との連携や九州大学の包括協定を生かし、産学官一体となって、コンピューターグラフィックス(CG)やアニメ、ゲームソフトウエアなどの映像コンテンツ制作者を養成しようというもので、福岡をゲーム産業などの集積地とする取り組みの一環でもあります。プロジェクトの舵取りを担うのは、日本デジタルアート界の第一人者、源田悦夫教授。源田教授と、その教え子でCGの国際学会「ユーログラフィックス2005」でグランプリを獲得した韓国人留学生、崔智英さんに話を聞きました。


―まず、源田教授にデジタルアート第一人者への道程について伺います。どのようなきっかけから映像デザインの道を志したのでしょうか。

源田 私が大学に入学した一九七〇年代は、高度経済成長に伴う、さまざまな問題の反省から、技術の進歩の見直しが問われていた時期で「技術の人間化」を標榜(ひょうぼう)する九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)のようにあらたな芸術と技術との関係を求めた教育組織が生まれた時期でした。
 創成期の芸工大には私自身としても興味を持っていたのですが、いかんせん理系の大学。文系の私が選んだのは当時同じような背景の下に芸工大の一年前一九六七年に創設された武蔵野美術大学基礎デザイン学科でした。この学科は芸術と技術にまたがるデザインの専門性を各領域の水脈として捉えようとする学科で、「デザインの基礎を学ぶ」のではなく、「各分野を統合し、基礎となるのがデザインである」というアプローチが新鮮でした。
 ここは、阿部公正氏、向井周太郎氏らによって設立された斬新な学科で、デザインに関する感性的な学習ばかりでなく、記号論、位相論、サイバネティックス、情報理論、エルゴノミクスなど当時の美大では考えられないような論理的な思考を背景とした科目も配置され、デザインを広範に捉えていこうとするものでした。ここでの経験は現在の私のデザインに対する考え方に強い影響を与えています。

―どのような学生時代を過ごしたのですか。

源田 コンピューターグラフィックス(CG)には早くから関心がありましたが、当時はどこの大学にもコンピューターなんてない時代。唯一使えたのが通産省(現・経済産業省)の工業技術院(現・産業技術総合研究所)製品科学研究所でした。当時、デザイン課長だった出原栄一氏(元・北海道東海大学芸術工学部教授)が研究会を組織していて、日本でたった一台の研究用グラフィックコンピューターを我々研究生に開放しくれたのです。そこでプログラミングやデザイン評価の方法などを学びました。
 研究生には現在CG業界の最前線で活躍している河口洋一郎東大教授や高橋士郎多摩美術大学学長、大平智弘武蔵野美大教授、アスキーの創設者西和彦氏などの方々がいて、たくさんの出会いや知識を得ることができ、学校とは違った人材育成道場でした。

―「エンターテインメントを科学する」といった感覚はいつごろ芽生えたのですか。

源田 武蔵野美大でその基盤は学んだと思うのですが、卒業後、東京芸大の大学院へ進みました。そこで医者でもあり、絵描きでもあった中尾喜保先生の講義をうけ、人間をとらえるためには美術解剖学が必要なのだと気付きました。統計学や骨学、筋学の授業は特に面白かったですね。現在研究している人体CG化の大きな基礎にもなりました。
 大学院修了後は大学の非常勤講師をしたり、駆け出しのプランナとして「つくば科学万博」のパビリオンのくるま館や松下館、政府館などの展示企画にかかわって、デジタルプラネタリウム企画やCG制作などをしたりしていました。
 ほかにも、「レーザーデザイン社」という会社を立ち上げて、矢沢永吉やチューリップなどのコンサートやイベントのレーザーグラフィックスを制作していたこともありました。

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学生CG コンテストは全国で学生を対象とした財団法人画像情報教育振興協会(CGーART 協会)が主催するコンテストで、今年は1300 点以上の応募があり、静止画部門で西村昌史(九州大学芸術工学部画像設計学科4 年)がグランプリを受賞した。自ら作成した数理造形と呼ばれる手続き的なプログラムによって制作し、論理的思考に基づく芸術的感性をもったアート作品として評価された。彼は大学院に進学し、先導的デジタルコンテンツ創成支援ユニットのメンバーとして今後も制作に励む。

―そのころから先端芸術を産業化しようという発想があったのですね。

源田 このことは当時から興味を持っていたことでした。このころまだ実験的な素材であったレーザーやコンピュータアートを映像や演出に取り入れ、さらに商業化しようという試みは、今考えれば、芸術と先端技術の具体的な出会いともいえるかもしれませんね。
―文部科学省の認定を受けた「先導的デジタルコンテンツ創成支援ユニット」は、論理に裏打ちされた芸術の創造が前提となっていますね。まずは、このプロジェクトの意義についてお聞かせください。

源田 以前授業で、「シメジとエノキダケを同じ造形のアルゴリズムをつかってコンピューター画面上に描け」という課題を出したことがありました。簡単な関数を使えばできるかと思うのですが学生は全くできない。大学では難しい数学や物理学、高度なプログラミングなどを習っていても、自分の頭の中の簡単なイメージを手続化し画面上に描くという基本的なことができない。勉強したことが実際のコンテンツ制作やアートということとに結び付いてこないのです。
 だから逆に、メディアテクノロジーを背景に芸術的な感性が要求される分野に論理的な思考を持ちこむことによって、人間の表現能力をさらに拡大することができると思うのです。
 そして、人間の感性にかかわる評価という側面を取り入れ、エンターテインメントを科学として捉えていく発想を鍛えていけば、それは新しい研究領域になるし、日本が世界に対して誇り得る産業分野にもなると考えました。

―デジタルコンテンツ産業の位置づけをどのようにお考えですか。

源田 アジアを見据えた産業クラスターを九州の地に作るという意気込みで取り組んでいます。産業の受け皿を作って育てていくことが重要なのです。東京の下請けではなく、ここが世界一の産業を生み出す中心であるというような気概を持って。

 それに、このコンテンツ分野にはアジアからの留学希望者が多く、ほとんどが帰国後に教育者として指導に携わっていることを考えれば、九州大学からアジアのコンテンツ教育のスタンダードを発信できるということになります。

―具体的にはどのような教育を考えているのですか。

源田 カリキュラムの柱は数理と造形、対象の観察と芸術的表現、そしてコンテンツとしての具体化の三つ。産業化を念頭に置く上では、アーティストといえどもクリエータの側からの知的財産権やその流通に関して戦略上知っておく必要があります。このため、企業との共同プロジェクトによる長期のインターンシップなど実践的な経験を通して行っていきます。

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歌舞伎アーカイブは、源田研究室が伝統芸能のデジタルアーカイブプロジェクトの一環として進めている。文部科学省特定領域研究『江戸のものづくり』情報技術による研究支援システム研究の一環として、モーションキャプチャリングと他の時系列的な物理的情報や生体情報などを取り込んだ新しい手法の開発をめざしている。

―学内にベンチャー企業を立ち上げて、教育研究過程で生まれた作品やアイデアを活用したビジネス展開を考えていらっしゃるとか。

源田 これは当初考えていたものと形が変わってきていて、今後大学の知財本部とも相談し、有限責任組合を結成し、ここで生まれる知財や我々のアイデアやノウハウの具体化を背景としてファンドを取り入れようと考えています。アイドルファンドや映画ファンドみたいなものです。このファンドを原資に優秀な学生を起業させ九州の地で産業化を目指すという計画です。教育の成果を知財として流通させ、もう一度教育に還元させて自立的な財政基盤をつくるというのが、私が求める教育の成果なのです。

―大学の自立にもつながる発想ですね。

源田 これは九州大学の先端的な知恵と芸術的感性とを領域を越えて結びつけコンテンツとして具体化するもので、九州大学を特徴づけるユニークな分野になり得ると思います。そして大事なことは地元の産業として根付かせること。国の支援を受けて優秀な人材を育てても、それが地元に帰ってこないのでは話にならない。文部科学省のプログラムとして五年間やっておしまい、というわけにはいかないのです。

―先生の愛弟子である崔さんがグランプリを受賞して、また弾みがつきました。

源田 韓国の伝統芸能を題材にした「サムルノリ」という作品で、デジタルアーカイブ研究の一環で生まれたものです。伝統芸の技や所作を次代に継承するためにCGに何ができるのか、ということまで含んでいるのです。

―最後に、九大生や芸術工学部生へのメッセージをお願いします。

源田 「ダ・ヴィンチになれ」―と言いたいですね。彼は芸術家であり科学者でもあり時には、デザインもやる。人間や医学にも強い興味を持っている。彼のように各分野に専門家として複数かかわれる能力を持っていて、その上でクリエータになれと言いたい。何でもできるスーパーマンみたいな人間でありながら、高い芸術的感性を併せ持つ―そういう世界レベルで活躍できる人材を育成したいと思っています。

 芸術工学部の学生のみならず、他の学部の学生の参加も歓迎します。大学院では芸術工学府を志望し、合格後は、どの部門からでもユニットに参加できます。ゲーム、CG、映像など時代をリードする新たなコンテンツクリエータや研究者を育成します。




「ユーログラフィック2005 」CGグランプリ受賞学生部門最優秀賞受賞
崔 智英

芸術工学府(旧・九州芸術工科大学大学院) 博士課程

―崔さん、グランプリと学生部門最優秀賞の二部門受賞、おめでとうございます。早速ですが、崔さんが九州芸術工科大学でCGを勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

 初めは単純に、韓国の大学でデザインしていたテレビや冷蔵庫など、「モノ」のCG化を具体的に勉強したくて、日本に来たんです。源田先生は韓国でも有名な方でしたから、先生のいる九州芸術工科大を選びました。

―CG作品に韓国の伝統舞踊「サムルノリ」を採用したのは。

 こちらの大学で、初めてCGによる人間の動きとかヌードでの動きを見て、面白いなと感じていました。それに、音声や映像に代わる新しい記録方法である「デジタルアーカイブス」というテーマに興味を持ったこともあって、どうせやるなら韓国らしいものを題材にしてふるさとの文化を知らせたいと考えたのです。

―制作上の苦労などありましたか。

 「サムルノリ」は韓国人にとってとても身近な踊りであるけれど、私はサムルノリを習ったことがありません。ですから、動きを忠実に再現するには、まず、私がサムルノリを習うことが必要だったのです。
 そこで韓国・釜山の舞踊家に、一カ月間踊りのポイントを習い、体の動きや足の動き、楽器をどういうふうに奏でるか、リボンをどうなびかせるかを学びました。頭やひざの屈伸は予想以上に難しかったですね。

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―三次元デジタイザーなどの最新機器も使っての作業については。

 最も苦労したのは、人間の体の動きと、それに合わせてなびくリボンの動きをどうやって撮るか―でした。
 結局複数の方式のモーションキャプチャリングシステムや三次元デジタイザーを使って、二人の舞踊家に同時に踊ってもらい、体とリボンの動きを別々に記録させたのですが、少しでもずれればリボンと体を合体させたときにちぐはぐになってしまうので、慎重に慎重を重ねました。しかも、リボンは紙でできていますから、そのなめらかさや重量感といったものを表現するのも難しくて、だいぶ研究を重ねました。

―その渾身の作品が見事グランプリを獲得。受賞の感想を聞かせてください。

 表彰式ではまずグランプリを受賞。それで終わりかと思ったら、もう一つ「学生部門最優秀賞」を受賞できて驚きました。まさか二つもいただけるとは。ただ、四部門あって三つノミネートされていたのに、もう一部門は受賞できなかったことは、ちょっと悔しいですね。
 でも、「サムルノリ」完成までは本当に大変でしたから、専門家の方にも納得してもらえるものができて、それがグランプリまでもらって、日本に来て本当に良かったなと思いました。

―最後に、同じ志を持つ後輩や、これから将来を決める後輩へのメッセージをお願いします。

 今回のように、サムルノリをデジタルアーカイブスとして残すということは、専門家にとっても今までにない経験ですよね。専門家が納得する動きを再現するのには、歩き方一つとっても丁寧な作業が要求されるのですが、こういうデジタルアーカイブスというのは今後まだまだ開拓され得る未知の分野。そこにデジタル産業の魅力があると思うんです。
 CGの世界は本当に大変で、徹夜したり、結構肉体労働もあります。でも、学べることはたくさんあるし、困難を一つ一つクリアし、一つのものを仕上げるという作業はすごく面白いと思いますよ。




インタビュー「シリーズ九大人」
【工学府 職員】是永 忠志

是永忠志さんは、本学工学部の技官として30 年以上にわたって活躍してこられました。溶接・施盤・フライス盤加工・ガラス工作などの専門技術を使い、教員や学生の研究・教育のための実験装置を精力的に製作してこられました。周囲の教員や学生からは、「この研究室のことを全てご存じで、なくてはならない存在」と厚い信頼を得ておられる様子。2005 年6 月には福岡県中小企業経営者協会主催の市民教育賞を受賞された是永さんに、仕事内容などを語ってもらいました。
―本学の技官として働き始めたきっかけはなんですか?

是永 高校卒業後、九州通信産業という会社で溶接の仕事をしていました。そこへ、九州大学が溶接技術をもつ人を探しているとのことを聞き、自分の技術が生かせるのではないかと思い働くことになりました。

―仕事の内容を簡単に紹介していただけませんか?

是永 私は現在、工学府エネルギー量子工学専攻で再雇用職員の立場で働いています。そこで、研究室の教員や学生から依頼された実験装置を、全く白紙に近い状態から作っていきます。作り方や組み立て順序など誰も分からない状態から作らなければなりません。事前に何度も打ち合わせを行い、発想や着眼点を色々変えながら試行錯誤して製作していきます。しかし、学生の卒業論文の完成に間に合わせる必要があったり、研究のための時間が限られていたりする場合が多いので決して失敗は許されません。それに、もし作成した実験装置にコンマ一ミリ(十分の一ミリ)の誤差でもあれば実験に影響し、正確な結果を出すことができません。こうした難しい条件を克服しながら期限内に完成させる必要がありますので徹夜での作業になることがしばしばです。外注したら千数百万円するものでも、ここでは百万円程度の材料費のみで作ることができています。

―そんな大変な仕事を続けてくることができたのはなぜですか?

是永 なんと言っても物作りが好きだったからではないでしょうか。これまで、製作に一年もかかる装置を手がけたことがあります。普通なら二、三週間で仕事に飽きてしまうかもしれません。
 また、精密な実験器具を手作業で、しかも失敗せずに作るには集中力、根気、そして体力が求められます。一発勝負という緊張感もあります。
 学生から持ち込まれ、多くの難題を解決して完成した「作品」は、どのように作ったか、どのような順序で作る必要があるか、今でもすぐに思い出すことができますよ。

―これまでで印象に残る出来事は?

是永 平成七年度に四つの実験装置を同時に製作しなければならない時期がありました。一つでも大変難しいのに四つはさすがに困りました。でも学生たちはどうしても卒論を完成させなければならないといってきます。ここは「やるしかない」と決意しました。本当に大変な思いをしましたが、なんとか完成させることができました。その年の卒業式の日、式が終わるとすぐ学生たちが私のもとへ駆け寄ってきて「是永さんのおかげで無事卒業することができました。ありがとうございました。」と感謝してくれました。あの時は本当にうれしかったですね。苦労が報われた気がしました。
 そういえば、徹夜が続いたときなど、学生のお母さんがおにぎりを何個も作ってくれて、夜中に皆でそのおにぎりを頬張って励んだこともありましたね。

―九大生へのメッセージはありますか。

是永 ここ数年で学生の質が変わってきたように思う時があります。もっと自立心や責任感を持って人と接するようになってほしいと思います。また感謝する気持ちをこれからも是非持ち続けてほしいですね。

―今後の抱負をお聞かせ下さい。

是永 今でも、ものを作るのは大好きですし生き甲斐のように感じています。今後も、ものを作る仕事ができれば幸せですね。また、私はいつまでもここにいるわけではありませんので、職場の後輩に早く仕事を覚えてほしいと思っています。

※終始にこやかな表情で謙虚にご自分の仕事について語る是永さんからは、学生に対する愛情と、物作りに対する熱意を感じることができました。




インタビュー「シリーズ九大人」
【理学部生物学科 四年】山本 泰三

九州学生柔道優勝
地道な努力を続ければ、必ず弱点は克服できる。
―九月に行われた九州学生柔道体重別選手権(八十一キロ級)で九大生として四十六年振りに優勝。九大主幹で昨年夏開催された全国七大学総合体育大会の対東北大戦では七人抜きをするなど、十二年振りの優勝に大きく貢献しました。山本さんが柔道を始めたきっかけは何ですか。

山本 私は柔道を始めるまで、自宅近くのスイミングスクールで水泳を習っていました。小学二年生の秋頃だったと思いますが、親と一緒に町の柔道場を見学に行って、見学だけのつもりが道着を着て体験することになり、「結構面白いな」と感じて、柔道を始めました。家族の中で柔道をやっているのは私だけです。

―柔道歴は約十六年になるわけですね。初めて出場した試合や、優勝した九州学生選手権、七大戦で七人抜きをしたときのことなどを教えてください。

山本 初めて出た試合はあまり記憶にないのですが、対戦相手はもちろん周りも見えないくらいガチガチに緊張していたと思います。七人抜きをした七大戦の対東北大戦では、最初から勝ち抜きを狙っていましたが、途中で疲れから体が思うように動かなくなり、最後は「勝ち抜けるだけやろう」と自分を奮い立たせたことを覚えています。七大戦での優勝は十二年振りでしたので、OBの方々にも喜んでいただき、非常に嬉しかったです。九月に行われた九州学生では、応援に駆け付けていただいた方々から大きな声援を受け、初優勝を決めた瞬間は「やったぞー」と叫びたくなるほど大きな達成感・充実感が得られました。日本武道館で十月に行われた第二十四回全日本学生体重別選手権大会には九州代表として出場し、三位入賞を果たし、今年は充実した一年となりました。

―九州学生での初優勝は、新聞にも大きく取り上げられていましたね。山本さんにとっての柔道の魅力を教えてください。

山本 私にとっての柔道の魅力は、師範に指導いただいた「技」を「自分の技」にするために地道な練習を重ね、修得できた「自分の技」が試合で決まったときの達成感です。元々練習好きなので、これにつきますね。

―最近の柔道部の活動状況はどうなっていますか。

山本 女子を含めて部員は二十名程度で、大学に入ってから柔道を始めた人も結構います。曜日ごとに箱崎と六本松の体育館で、外部の師範に指導を受けながら熱心に練習しています。私は今四年生なので卒論に追われていますが、時間を作っては練習に駆け付けています。

―文武両道を実践しているわけですね。理学部の四年生ですが、今取り組んでいる研究内容などをお聞かせください。

山本 現在在籍している研究室では、細胞内におけるまだはっきりと解明されていない蛋白質の機能解析などの研究を行っています。高校生の頃には、医師になることを目指していて、今もその夢を諦めたわけではありませんが、これからも生物関連の研究を行いたいので大学院に進み、同じテーマで研究を続けていきたいと考えています。

―それでは最後に、後輩などに向けたメッセージをお願いします。

山本 まず、柔道を通じて感じたことですが、自分で苦手にしていることをそのままにしておくと、いつか行き詰まってしまうことがあると思います。地道な努力は必要になりますが、苦手なことを克服できれば一歩先まで物事が見えるようになると思います。二つ目に、大学生活において「これは頑張ってきたぞ」ということを一つでも持ってもらいたいです。スポーツや研究、ボランティアなど、何でもいい。このことが自信になって、色々なことにも頑張っていけるようになると思います。最後に、九大柔道部は経験問わず部員を募集しています。九大で一緒にキャンパスライフを楽しみましょう。


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