インタビュー シリーズ 九大人

A k i n o r i  K a w a z o e
川添 昭典
学務部学務課学生掛長(全学教育事務室)
40人しかいない越冬隊で、互いに支え合い、
毎日の生活を工夫しながら楽しむことを学びました。
川添さんは九州大学の事務官としては初めて、第43次南極地域観測隊(越冬隊)に参加し、 2001年末から南極で1年以上を過ごしました。 出発前にも「九大人」のコーナーに登場して抱負を語ってくれましたが、 果たして南極での体験はどのようなものだったのでしょうか。 日本に戻って半月足らず川添さんにインタビューしてみました。

想像以上に快適な生活

川添さんはどのくらいの期間、南 極にいらしたのですか。
 二〇〇一年の十一月二十八日に 飛行機で日本を出発し、オースト ラリアから南極観測船「しらせ」 に乗り換えて、約二週間かけて南 極を目指しました。昭和基地に着 いたのは十二月中旬です。基地に は二〇〇三年二月一日まで滞在し ましたが、すぐに日本に戻れるわ けではなく、次の越冬隊の基地運 営が確立するまで業務支援をしな がら半月ほど船の中で待機します。 その後、帰路につくのですが、船 で海洋観測をしながら一ヵ月以上 かけてオーストラリアに戻ります。 結局、福岡にたどり着いたのは今 年の三月二十九日でした。

一年以上を南極で過ごしたわけで すが、その生活はいかがでしたか。
 南極に行く前は、一年中吹雪い ているような非常に過酷な場所を 想像していたんです。ところが、 行ってみると思ったより快適でし た。特に基地の中は設備が整って いて、室温は二十度以上、湿度も 十五%ほどに調整してあります。 洗濯物もすぐ乾くし、お風呂は二 十四時間いつでも入れます。また、 屋外も夏場であれば気温四度ぐら いまで上がることもありますし、 日差しが強いので風がなければあ まり寒さを感じず過ごしやすいで すね。南極では季節が反対なので、 夏場というのは十二月頃です。真 冬はたびたび猛吹雪が訪れ、最低 でマイナス三十度ぐらいまで下が りますが、次第に寒さにも慣れま した。ひと冬越した後の夏は、む しろ暖かく感じたほどです。
 皆さん、あまりご存知ないと思 いますが、日本の昭和基地という のは南極大陸ではなく、大陸から 四キロほど沖の東オングル島とい う島にあります。大陸とは海氷で つながっているのですが、大陸沿 岸部に位置しているので比較的気 温が高く、過ごしやすい場所です。 その反面、大陸内部には想像して いた世界がありました。物資輸送 のため七台のそりを引いた大型雪 上車で四十日間かけて内陸部へ向 かったことがあります。雪上車に 寝泊まりしながら大陸内部を目指 すんですが、内陸へ進むといつも 吹雪いている状態で、雪面はかな り荒れていて、最大で二メートル ほどの段差がありました。マイナ ス七十四・五度という大変厳しい 寒さも体験し、軽い凍傷にかかり ました。最初は行くのをためらっ たのですが、本当の南極の姿を体 験できて良かったと思います。

昭和基地中枢部

基地での生活は意外に快適なよう ですが、何か不便なことはなかっ たのですか。
 テレビやラジオはありませんし、 インターネットもできませんから 日本からの詳しい情報も入ってき ません。今まであったものがない ので、最初はつまらなく感じまし たが、そのうち気にならなくなり ました。持ってくれば良かったと 思う生活用品はいろいろありまし た。今ならコンビニで簡単に手に 入るようなものばかりです。でも 南極ではないのが当たり前ですか ら、それぞれが工夫して生活する ようになります。例えば南極には 日本のような四季はありません。 そこで、食堂に作り物の花を飾っ て花見会をしたり、ツリーなどの 手作りの装飾を作ってクリスマス 会をしたり、自分たちで工夫して 季節の行事を楽しみました。夏場 には露天風呂を造ってみんなで入 りましたが、これはとても楽しか ったですね。オーロラの下、露天風 呂に入りながらお酒を飲んだりし て。こんな風に作る楽しさ、共有 する楽しさはいろいろありました。
 ただ文明からは隔絶された生活 ですから、最後は「マクドナルド のハンバーガー食べたいな」とか 「コンビニに行きたいな」とか、結 構くだらないことなのですが、そ んなことを考えてましたね

海氷上輸送〜日本から持ち込んだ1年分の食糧や建設資材等を雪上車で基地へ運ぶ

南極の自然の美しさ

出発前にオーロラを見たいと言わ れていましたが、実際に見た感想 は?
 オーロラは白夜が続く夏には見 えず、冬になって夜が暗闇になる 三月頃から本格的に見えるように なります。最初、慣れた人から 「あれがオーロラだよ」と言われて も「雲かな?」と思ってよく分か りませんでした。でも本格的に見 えるようになって、夜空を白いも のが覆いつくして、まるで生き物 のように動いている様子にはびっ くりしました。カーテンが風にな びいているようだと言いますが、 すごいスピードで変化する時もあ れば、ゆったりと動いている時も あります。刻々と変化するんです。 それを極寒の中、音もない世界で 身じろぎもせず見上げている。不 気味なほど迫力があって感動しま した。
 幸運なことに昭和基地はオーロ ラがよく見える場所に位置してい ます。オーロラ観測にはぴったり の場所です。

神秘的なオーロラをバックに記念撮影

そのほか南極ならではの体験は?
 やはり自然は美しかったですね。 晴れていると抜けるように空が青 いんです。その下で野球をしたり、 サッカーをしたりしました。蜃気 楼も見えます。地平線の向こうに、 実際には存在しない氷山がいくつ も並んで見えるんです。月の模様 が日本と反対だったり、南十字星 が見えたり、発見することはいろ いろありました。
 実は、出発前よりずいぶん太っ て帰ってきたんです。越冬隊には 和食と洋食、二人の調理隊員がい て本格的な料理を出してくれます。 閉ざされた生活ですから楽しみと いえば毎日の食事。食生活はかな り豊かでしたね。普段ではなかな か食べれない高価なものが結構あ りました。太って帰ってきたので、 周りからは「ラクしてきたんじゃ ないのか」と言われるほどです。 仕事は確実にやっていましたが、 それだけ毎日の生活が楽しかった ということでしょう。

ウェッデルアザラシ〜夏になると昭和基地付近の海氷上に姿を現す

四十人の取りまとめ役

川添さんは越冬隊でただひとりの 庶務担当だったということです が、具体的にはどんなことをされ たのでしょうか。
 簡単に言えば何でも屋です。隊 の報告書の取りまとめや、各種会 議の司会進行・議事録を作成した り、隊の行事予定を組んだり、日本 との連絡調整、その他事務に関す ること一切を私ひとりでやります。 隊長の補佐というか秘書的な仕事 もしますので、庶務室は隊長室の 隣にありました。広い部屋を一人 で使わせてもらい、こんなに贅沢 していいのかなと思いました(笑)。

庶務担当が一人ではお休みもない のでは。
 基本的に日曜日はオフでした。 ただし隊員は四十人しかいません から、それぞれが自分の仕事をき っちり片付けることはもちろん、 お互いの作業をサポートしていか ねばなりません。私も事務処理以 外に、重機を使った基地内作業や 観測業務のお手伝いをし、休日を 返上することはしばしばありまし た。私だけでなく四十人全員がお 互いの作業を支援しながら生活し ています。互いに助け合うという 意味では、大きな組織では得られ ない充実感があったと思います。
 越冬隊には観測業務を行う研究 者はもちろん、生活基盤を維持す るエンジニア、通信士、調理係、 ドクターなど、さまざまな人がい ます。いろんな業種から集まった 人たちですから、やり方も考え方 も違う個性を持った集団です。そ の個性的な集団でひとつの目的を 達成しなくてはならないので、全 体の調整がたいへん重要になって きます。この調整役も庶務担当の 大切な仕事なのです。どうしても 自分の仕事を中心に物事を考えが ちな人もいるので、こちらから積 極的に働きかけて作業が円滑に進 むようにしなければなりません。 全体がスムーズに進むよう考えな がら取りまとめる仕事は、いい経 験になったと思います。

その経験は今後の九州大学でのお 仕事にも生かされていくのでは?
 はい。南極での体験を通じてい ろいろなことを学びました。九州 大学では四月から学生掛の担当と なりましたが、人と接する大切な 仕事だと思っています。南極での 経験を活かして仕事をしていきた いですね。

内陸旅行中〜外に出るとこんなふうに(氷点下40℃)

チャンスを逃さずにつかむ

今回の越冬隊への参加は川添さん の強い希望があったのでしょう か。
 最初は九州大学の事務官に、誰 か総括事務の隊員として参加する 人間はいないかという話が国立極 地研究所からありました。それま で南極に強い関心があったわけでは ないですし、関係するような仕事 もしていません。でも、お金を積ん だとしても簡単には行けない場所 ですし、まして南極でひと冬を過ご りません。なかなか体験できない ことを経験できる好奇心から、自 分から参加を志願しました。何が 待っているか分からないけど、自 分の知らない世界を体験できると いうのは大きな魅力でした。私が 越冬隊に参加すると聞いて、周囲の 人間は意外に思ったでしょう。普 段の私からは想像できませんから。

南極は予想通りの魅力的な場所で したか。
 素晴らしかったですね。南極の 壮大な自然の美しさ、そして自分 たちで生活を創っていく楽しさ。 チャンスがあれば、ぜひ皆さんに も行ってほしいと思います。私も 「もう一回行きたいか」と問われれ ば、チャンスがあったらぜひ行き たいと答えます。ただ小学生の子 ども二人には一年半も父親に会え ず寂しい思いをさせました。家族 に対しては苦労をかけたので、実 際にはもう一度南極へ行くことは 無理でしょうけど。

最後に九州大学の学生たちに何か メッセージをお願いします。
 南極越冬隊への参加というチャ ンスがめぐってきた時、私はため らわずチャレンジしました。自分 の知らない世界を体験するのは素 晴らしい経験です。九州大学の学 生の皆さんも、機会があれば臆せ ずどんどんチャレンジして、チャ ンスをつかんでいってほしいです ね。思い立ったら実行に移し、た めらわず前へ進むことが大切だと 思います。


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