中国人民大学を訪れて

経済学部教授 細江 守紀



  高徳歩教授(左)とゲストハウスの前で

1998 年6 月21 日から10 日間,北京の中国人民大学経済学部を訪れた。同大学は協定校であり,私が派遣されることになった。人民大学は本来公務員を養成する大学であり,社会主義中国の重要な人材を養成する役割がある。 中国には3年前,南京大学に短期訪問したことがあり,大学の雰囲気はだいたい分かっていたのでそれほど準備にあれこれ時間を取らなかった。ただ,出発直前になって,講義は学部学生相手に30 時間といわれたので大変なことを引き受けたなと思ったが,体力が続くことを祈るほかなかった。北京空港には,渉外職員のマーさんと副院長の高徳歩教授,胡霞(フーシャ)助教授が出迎えにこられていた。  フーシャさんは日本の島根大学・京都大学で大学院を過ごされた農業経済が専門の女性の研究者であった。大変人当たりがよく,いきなり日本語で話をされた。ただ,次の日からの講義は専門用語が難しいので英語でしてくれとのことであった。宿舎は大学のなかのゲストハウスで新築されたばかりの4 階建てであり,通された部屋もホテル並であった。この建物は半分はロースクールとしても使われており,米国の大学とのシンポジウムの横断幕が入り口には張ってあった。
 翌日は午後に大学内のレストランで経済学院長主催のレセプションがあり,多くの人がかつて日本に来たと懐かしそうにしていた。次の日の講義は朝8時から始まるので,低血圧気味の私にとってこれは大変であった。講義は「経済システムの比較分析」で理論的な内容である。講義棟は歩いて10分程度のところにある古い建物で,その3 階に学生達は待っていた。半分位は女子学生で興味深そうに日本人の私を見ていた。真夏なので日が高くなってくると気温が上がり,しかも大変湿気は多くて首筋に汗が吹きだしてきた。確かに講義は体力勝負であった。 11時30 分に講義が終わると足早に外にでてキャンパスの外の莫当労と書かれたマクドナルドに駆け込んだ。ここで,フライドポテトとコーヒーを注文して一息ついた。開放政策のおかげでこのように一息つけるありがたみをしみじみ味わった。
 午後は3 時で終わり,学生にキャンパスを案内してもらった。大学の中は職員関係者などの住居がかなりあり,老人や子供が周りの食堂,雑貨店などの売店をのぞいていた。また,路上でも果物の出店や自転車修理などの商売をやっており,中国の大学の役割の特徴を垣間見ることができた。講義をして2 日目と思うが,二人の学生が部屋に遊びに来た。彼らは自分たちの将来のこと,中国の今後のことなど真剣に語ってくれた。こうした学生は現在の日本ではあまり見かけなくなった気がする。
 金曜日には講演「経済システムにおける規制と情報」を行なった。ここでは,20 名ほどの教官が集まっていた。私の報告は市場規制をいかに効率よくするかという問題意識からであったが,2,3 人の人から規制をどのように減らしていくべきかという観点から質問があり,中国の置かれた状況をよく反映しているなと思った。 講演のあと,若い研究者が3,4 人集まってきて専門的な点を含めて質問を受けた。彼らはミクロ経済学関連の担当教官であり,欧米の経済理論の動きもかなりフォローしているようであった。これを機会に彼らとの研究交流がこれから進めば素晴らしいだろうと思った。

  • 中国人民大学
    1937 年に当時の革命根拠地延安で設立された陝北公学を前身とし,一貫して党及び政府各級機関の幹部養成を主要任務として発展を遂げてきた。現在も人文社会科学,特に経済及び管理科学を研究・教育の主体とし,この分野においては名実ともに中国のトップレベルの大学である。九州大学とは1985 年に経済学部が学術交流協定を締結して以来,着実に交流を展開している。


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