[研究紹介]

植物の温度適応を調節する遺伝子の発見

理学研究院生物科学専攻植物生理学研究室 教授 射場 厚

 人間活動に起因する大気中の温室効果ガスの濃度上昇にともなって, 地表面付近の気温が上昇することが懸念されています。 これまで温暖化が植物の生態系や農業にもたらす影響を評価する研究は数多く行われていますが, 植物に高温環境への適応性を付与するための効果的なアプローチは見いだされていないのが現状です。

 植物細胞を形成する膜(生体膜)にはトリエン脂肪酸と呼ばれる脂肪酸が多く含まれています。 トリエン脂肪酸の量は植物の生育環境によって変化しますが, 小麦などの低温適応能力の高い植物では,生体膜に含まれる全脂肪酸の80 %以上を占めています。 一方,砂漠などの高温・乾燥地域に生息する植物の中には,高温環境において, 顕著にこの脂肪酸の量を減少させるものがあります。これらのことから, トリエン脂肪酸は植物の温度適応と密接に関係していると考えられてきました。 わたしたちは,遺伝子工学の新しい手法を用いて, トリエン脂肪酸を生成する酵素(ω-3デサチュラーゼ)の活性をコントロールし, 高温適応性の優れた植物を作り出すことに成功しました (Murakami et al.,Science 287,476- 479,2000 )。

 ジーンサイレンシングと呼ばれる生体防御機構を利用した遺伝子操作により タバコのω-3デサチュラーゼ遺伝子を眠らせると, 葉緑体のトリエン脂肪酸は低いレベルに抑えられます。 ふつうのタバコでは40 ℃以上の高温領域で光合成活性が低下しますが, トリエン脂肪酸の量が低下したこのタバコでは,光合成活性の低下は顕著に緩和され, 45 ℃においては,光合成活性はむしろ上昇しました。 また,このような高温(47 ℃)では,ふつうのタバコにおいて, 高温による障害(短期間に生ずる壊死)が生じますが,このタバコでは, そのような障害は見られませんでした(図A)。 さらに,比較的高い温度(36 ℃)で長期生育(60日以上)させた場合にも, このタバコは順調に生育しました(図B)。

 現在,遺伝子組み換え作物について活発な議論が行われています。 例えば,細菌などから得られた外来遺伝子を組み込んだ農作物では, その遺伝子の産物を大量に含むことになり,食用に用いた場合の安全性が問題となっています。 この研究では,ほとんどすべての植物種が持っている遺伝子を操作することによって, 高温に強い植物を作ることができました。このことは, 植物の環境適応のメカニズムを上手に利用することによって, 遺伝子組み換えに伴うリスクを最小限に抑えながら,有用な植物を開発できる可能性を示しています。 例えば,亜熱帯・温帯地域に分布する樹木は, 生育温度の上昇に伴ってトリエン脂肪酸の量を減らす傾向が見られます。 一方,亜熱帯・熱帯地域での生育適性の欠いた寒冷地に分布する樹木では, そのような傾向は見られません。 現在,樹木への遺伝子導入は難しいといわれていますが,将来,技術の進歩によって, この研究の応用として樹木の温度適応力の向上が可能になるかもしれません。また,近年, 地球温暖化が原因とみられる熱波が頻発し,小麦などの農作物への被害が拡大しています。 暑さに強い農作物の開発に,ここで得られた結果は役に立つのではないかと期待しています。

(いば こう 植物遺伝子工学)

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