研究紹介
[研究紹介]

新キャンパス予定地における生物多様性保全

大学院理学研究院生物科学部門教授
新キャンパス計画専門委員会 緑地管理計画サブグループ委員
矢原 徹一



   九大統合移転事業は「環境との共生」という理念をかかげて実施される。この理念がどこまで実現できるかは,九大統合移転事業の評価を左右する大きな要因の一つだろう。緑地管理計画サブグループ(SG 長:小川滋教授)の委員として生物多様性の保全対策に責任の一端を負うことになった私は,他の委員の方々とともに,造成工事にともなう生物保全対策が最善のものとなるよう努力を続けてきた。新キャンパス計画推進室のスタッフの方々をはじめ,多くの関係者の協力を得て,ようやく光明が見えてきたように思う。今後の努力を怠らなければ,キャンパス用地の造成・整備において「種の絶滅を起こさない」「森林面積を減らさない」という目標を達成できそうである。もしこの目標を達成できれば,九大統合移転は21 世紀型の先駆的事業として長く記憶にとどめられることになるのではないだろうか。このような目標を掲げた新キャンパス予定地における生物多様性保全事業について,紹介してみよう。


種の絶滅を起こさない
   私は環境庁植物レッドリストのとりまとめに責任を負う立場にあり,九大新キャンパス予定地において,レッドリスト記載の絶滅危惧種が見られないかどうかが,まず最大の関心事であった。第I 工区を中心とするこれまでの調査で,レッドリスト記載種であるシャジクモとナンゴクデンジソウの自生が確認された。これらについては,絶滅を防ぐための万全の対策をとる必要がある。しかし,ではこれら2 種だけ保全すれば,他の種は無視して構わないだろうか。1997年に公表された環境庁植物レッドリストでは,わが国に自生する植物の20%が記載された。8 月末に公表された環境庁植物レッドデータブックでは,この数字が24%に増加した。このように多くの種がリストされるに至った背景には,開発行為によって次々に自生地が失われていった事情がある。開発行為による自生地の消失が続く限り,現時点でレッドリストに掲載されていない種であっても,いずれ絶滅危惧種としてリストされるだろう。レッドデータブック記載種の数をこれ以上増やさないためには,大規模開発にあたって,開発地域内で種の絶滅を起こさないように対策をとる必要がある。新キャンパスにおいては,移転用地275ha のうち約100ha が緑地として残される。この緑地を活用すれば,移転用地内で種の絶滅を避けることができる。この目標を達成するためには,2 群の生物に保 全の努力を集中すればよい。
(1 )植物:植物は移動できないので,造成用地にしか生えていない種があれば,移植しない限り絶滅する。
(2 )水域の小動物:両生類の幼生・水生昆虫・小形節足動物・淡水貝類など。水溜りを土砂で埋めたてれば全滅する。したがって,植物と同様に移植によって絶滅を回避する必要がある。
   これら2 群以外の生物は移動力があるので,造成がすぐに絶滅を引き起こすわけではない。特殊な営巣環境を持つ一部の種を除けば,植物食の動物は,餌となる植物が残れば存続するし,動物食の動物は,餌となる植物食小動物の多様性が保全されれば存続すると考えられる。
   さて,植物種を絶滅させずに造成を行おうとすれば,どの種がどの場所に自生しているかを徹底して調べ上げる必要がある。ところが,この作業が大変なのである。個体数の少ない種は,当然のことながら275ha の用地中のごく限られた場所にしかない。これらをできるだけ見落としなく発見するための方法論は,実はこれまで整備されていなかった。
   今回私たちが採用した方法は,尾根線および谷線によって第I 工区を分割し,これらの境界線に沿って,両側2m 以内に自生する種を10m おきにすべて記録するというものである。この方法を「境界線センサス」と呼ぶことにした。この方法は,従来の植生調査法とは異なり,調査区内での環境の異質性をできるだけ大きくするように考えられたものである。
   九州環境管理協会の協力を得て,本年5 月に,第I 工区の植物調査を「境界線センサス」法によって集中的に実施した。総延長距離11757m におよぶ調査の結果,400 種の自生種と70種の帰化種が確認された。図は,400 種の自生種を出現頻度順に並べ,各種の出現頻度を棒グラフで表示したものである。ここで出現頻度とは,10m ×2m の区画に出現した回数(区画数)である。図から明らかなように,出現頻度はほぼ指数的に減少し,一部の種はごく少数の区画にしか見られない。1 区画にのみ出現した種は60 種(15%),3 区画以内にのみ出現した種は103 種(25%)あった。これらの中には,造成予定地にのみ出現した種もある。これらのデータをもとに,これまでに35 種の移植を行った。もちろん移植しても,移植先で定着し,さらに子孫が残っていかなければ,種の保全を行ったとは言えない。移植後の定着・繁殖に関するモニタリングが必要である。
資料    上記のデータからわかるように,個体数が少ない種の分布は,本来きわめて確率的なものである。つまり,たまたま個体数が減少し,分布が局在するようになったと考えられるものが多い。このように個体数が減少した種は,個体数の確率的なゆらぎによって,絶滅しやすい。3 区画以内にのみ出現した103 種は,造成時に注意を怠れば,容易に絶滅するだろう。35 種について緊急移植を行ったが,残る希少種についても,消失しないようにモニタリングを続ける予定である。




水域の生物の保全
    新キャンパス予定地は,丘陵が小さな谷によって刻まれた場所である。比較的水分条件の良い谷には,棚田が作られ,そ こに多くの水生生物が生息してきた。ゲンジボタルの発生地が各所にあるし,今春にカスミサンショウウオの産卵が確認された水域は25 箇所に及ぶ。しかしこのうち, 造成されずに残る産卵適地はわずかに2箇所である。この例に象徴されるように,造成は水域の生物の存続にきわめて深刻な影響を及ぼす。
    幸い,幸の神湧水のある大原川上流の谷は,源流部を除き,「生物多様性保全ゾーン」として残される。このゾーン内で,カスミサンショウウオ保全を主たる目的として 4 つの小さな池が造成された。この「カスミ池」では,ソーラーパネルを設置して電源を確保し,放棄された農業用の井戸から一日4 回水を汲み上げ,池に給水するこ とによって,水位と水質が確保されている。造成で失われる産卵地で採集された卵のうの一部は,カスミ池に移された。さらに残りの卵のうは箱崎キャンパスにある理 学部圃場の飼育室で飼育された。7 月にはこれらの卵から育った幼体を,「カスミ池」に放流した。
池のひっこし    「カスミ池」に続き,「生物多様性保全ゾーン」内の放棄水田を利用して,より多くの水生生物が生息可能な池を造成した。この池は,大原川下流で捕獲されたメダカが放流されているので,「メダカ池」と呼んでいる。造成工事開始直前の5 月末には,六本松・箱崎地区の学生の協力も得て,造成で失われる水域の小動物を網で捕獲し,「メダカ池」に移した。この「池のひっこし」の模様は,NHKニュースでも報道された。
   水域は,植物種の生息地と違って場所がすぐに特定できるので,以上のような方
法で各種の生物を捕獲・放流することは容易である。問題は,放流先で定着し,繁
殖するかどうかである。ミズカマキリ・タイコウチなどの発見しやすい種については定
着・繁殖が確認できているが,希少種であるコオイムシについては,定着したかどう
かまだ定かではない。今後のモニタリングを続けたい。



森林面積を減らさない
    種の保全だけでは,21 世紀を展望した生物的環境の保全対策としては,不十分である。野生種の大量絶滅とともに,森林 の減少をくいとめることが,国際的な共通目標として重視されている。九大新キャンパスにおいても,せっかく100ha の緑地を残すのだから,「森林面積を減らさない」 という目標を掲げたい。造成によって,森林(広葉樹林・針葉樹人工林)の面積は敷地の32%から14%へとほぼ半減する。しかし,造成せずに残される緑地は敷地 の39%に及ぶ。竹林や果樹園跡などの樹林化により,32%の森林面積を確保することは可能である。
    このような意見を考慮して,造成によって失われる森林を果樹園跡地などに移植する計画が検討されている。なにぶん,予算をともなう計画であるため,どの程度 の規模で実施できるかは私には判断がつかないが,可能な限り実施してほしい。その際,森林の表土を一緒に移すことが重要である。表土の移設によって,樹木と 共生関係にある菌類や,多様な土壌生物を守り,さらに土壌中に休眠している種子を生かすことができる。
    九州大学が元岡に移転した暁には,森林に接したキャンパスが実現する。春には美しい新緑に,自生のヤマザクラが彩りを添える。しかし一方で,100ha に及ぶ保全緑地の管理という問題が生じる。九州大学の予算と職員だけでこの保全緑地の管理を行うには無理がある。幸い,森を育てる活動への社会的関心は日増しに高まっており,福岡市内でもボランティア団体が雑木林の手入れなどの活動を行っている。このような団体の一つ,「福岡グリーンヘルパーの会」では,緑の街づくり交流協会が主催し,九州電力が後援している「グリーンヘルパー養成講座」の卒業生が集まって活動している。私はこの「グリーンヘルパー養成講座」の創設に関わった経緯から,毎年講座の講師をつとめさせていただいている。今年2 月に開催された2 回目の福岡講座で,九大移転予定地での植物や森林を守る活動への協力をよびかけたところ,「福岡グリーンヘルパーの会」として移転予定地の森林育成を応援していただけることになった。現在,演習林の薛孝夫助教授が九大側の窓口となって,「福岡グリーンヘルパーの会」の方々に森林に侵入した竹の伐採作業にご協力いただいている。また,私が担当しているコア教養科目「地球と生命」の受講生にも協力を呼びかけ,これまでに15名の学生が竹の伐採や,池のひっこしなどのボランティア活動に参加している。また,「カスミサンショウウオを守る会」「福岡植物研究会」の方々には,移転予定地での生物調査にご協力いただいている。
   このように,九大移転予定地では市民や学生による保全ボランティアが活動を始めているのだが,九大の教官や職員の参加がもっとほしいところである。環境に代表される公共財を守るには,「共有地の悲劇」と呼ばれる一種の社会的ジレンマを解決しなければならない。社会科学系の方が,フィールドワークもかねて参加していただけると,ボランティアの受け入れに大学らしい創意が加わるのではないかと期待している。もちろん,専門とは無関係に協力したいという方も歓迎したい。この記事がきっかけとなって,一人でも多くの九大教職員の方々に,移転予定地における生物種や森林の保全に関心を持っていただければ幸いである。

(やはら てつかず)


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