OBから
今回,村上幸人(むらかみ ゆきと)名誉教授から教育改善に関する御提言をいただきましたので,掲載します。
村上先生は,福岡県出身。超分子化学などを御専門とされ,工学部教授,有機化学基礎研究センター教授を歴任。その間,附属図書館長も務められ,平成7年3 月停年退官されました。

村上名誉教授 高等教育について思うこと
−化学の大学院教育改善についての一つの提言−

九州大学名誉教授
村上 幸人



   近年高等教育機関に対する基礎研究費については政府予算の中でも著しい伸びを示している。従って十分であるかどうかは別にして高等教育機関における財政的研究環境が改善されてきたのは事実である。また,特に化学の分野では実験室スペースが危険な位に狭隘でありかつ実験室の諸設備(研究に用いる機器設備とは別に)も実験環境上極めて劣悪であることが指摘され,その改善が求められている。これに対して高等教育なかんずく大学院教育の質的改善の重要性があからさまに指摘されたことはないようなのでここに改めて一つの提言をこころみるものである。優秀な人材の育成なしでは科学(化学)の未来は無いと考えられ,中央集中的ではなく適度に地方分散型の高等教育機関の再構築が是非ともなされなければならない。昔筆者がアメリカの大学院で経験したことおよび昭和30年代後半以降に九州大学において実行してきた経験をもとにしているが,特に化学の大学院教育の改善についてここに提言するものであり諸賢のご理解とご認識を得たいと考えるところである。
  終戦後昭和24 年(1949 年)に新しい大学制度がスタートした。形式的にはアメリカの大学の4学年制度に従ったとはいうものの,旧制高等学校と旧制大学とを融合させんがための苦肉の策として新しい大学においては最初の2年間を教養課程として旧制高等学校の教官が担当し,組織として教養部が設置された。学生は教養課程を修了した後に2年間を専門課程で過ごしこれには主として旧制大学の教官が教育にあたった。従って新制度に切り替わった当初の国立大学においては教官組織の中に差別があり,教官自身の意志にかかわらず学生を取って研究なるものができる専門課程の教官とそうでない教養課程の教官に分けられ,このような状態が長らく続いた。この学部課程の上に2年間の修士課程とさらに3年間の博士課程が設置されたが,当初この修業年限を短縮できるという柔軟性はなく,また旧制と同様な論文博士の制度は消滅することなく継続している。このように新しい高等教育制度は幾多の矛盾を含んだままでスタートしたわけである。
   ここでは特に大学院教育に焦点をあててこれまでの経験と筆者なりの理念に基づいて提言を行ってみたい。近年学部課程の単位の軽減化に伴ってその卒業者の実力は益々底の浅いものとなってしまっている。従って本当に役に立つ人材を社会に送りだすために大学院の責務はより以上に大きくなってきていると言わざるを得ない。新制の大学院がスタートした当初から,学生の実験遂行能力に期待するあまりに,講義の内容および単位を与える条件がいい加減となってしまっているのではなかろうか。アメリカの大学院ではきちんと講義がありそれに対する筆記試験も通常確実に実施されている。やはりきちんと筆記試験を行わなければ修学し習得したことにはならないのである。また学生が聴講するにあたっては指導教官のガイダンスも不可欠である。というのは一般的に言って色んな大学の卒業生を受け入れるわけであるから学生が習得した基礎学問の内容あるいは実力のレベルも様々である。そこで当大学院のレベルに会うように学生個別に査定し物理化学,無機化学,有機化学,分析化学など基礎学問の講義の単位をとるように指導すべきではなかろうか。しかも望ましくは大学院生にふさわしく良い成績であることではなかろうか(アメリカで筆者の経験ではB以上が要求された)。学部課程での実力が浅薄になってきた現在にあっては,大学院教育の主体は博士の学位をとらせることにあるといえよう。教官について求められる大学院学生に対する姿勢は研究理念の壮大さを認識させることは必要ではあるが,絶対に実験助手のような感覚で使わないことである。まず教育効果を挙げなければならないが,このことは学生を甘やかすことを意味するものではなく,良い学生を生み出すには厳しいトレーニングが不可欠であることを忘れてはならない。
   講義を聴いて必要な単位を取得する以外に博士の候補者として認定するための試験を課することも必要であろう。アメリカの大学院ではこれをpreliminaryexamination と称して複数の実施方法があるが,ここでは筆者の経験を通して次のように提案したい。この試験を博士候補者になるための資格試験と呼ぶことにする(略して資格試験)。

■ 資格試験
   博士の候補者として認められるためには論文提出と口頭試問を伴う次の2 つの資格試験に合格しなければならない。

1 .試験の内容
A.第一次試験
   最近発展しつつある化学の基本的に興味ある課題について関連ある文献を完全に網羅し総括すること。内容の構成,相関性,意図などをはっきりさせることに重点がおかれる。
B.第二次試験
   特定の課題について研究する立場から批判的に評価し,それに基づいて新たに研究課題の提案を行う。即ち本人が選んだ特定課題についてこれに関わる以前の研究について批判的に評価し,提案した研究課題について実験方法を示すとともに予測される結果についてその意義を明確にしなければならない。提案した研究課題が選定した特定の研究方法により新たな進展が期待できる必要がある。

2 .提案課題の選択
   第一次および第二次の資格試験の課題は学生の研究に直接関係がなければ化学の任意の分野から選んでよろしい。課題の選択は学生自身によりなされるべきであり,当該専攻の教官あるいは指導教官のガイダンスを受けてはならない。学生が適切な課題を選ぶ能力も試験にあたって評価の対象となる。

3 .試験時期および試験時間
   これらの試験は大学院の第2 年度目以降になる。何時準備が出来るかは予め学生が当該指導教官に申し出ておくことができるが,正確な日時は指導教官が専攻の教官と協議して決める。試験時間は必ずしも一定しないが,標準としては学生による内容の説明が30分であり,質疑が約1 時間を目安とする。

4 .試験の準備と提出
   これら試験の準備は学生自身によって行われるべきであり,指導教官や専攻の教官のガイダンスあるいは助けを求めてはならない。原稿の準備は参考文献,準備資料の十分な理解ができ内容について確信が持てるようになるまで控えること。また,原稿の準備は講義がない夏の期間などを利用することが望ましい。出来上がった原稿は設定された試験期日よりも少なくとも1週間前に提出すること。原稿は完全な文献リスト,これまでの知見,論議さらには本人の理念なども含んでいなければならない。その内容は試験に当たって極めて重視される。

5 .試験の趣旨と目的
   大学院における教育は学生が実験操作が上達し指導を受けている教官の研究の手助けになるだけであってはならない。あくまで学生の総合的実力が著しく向上して自立して良い研究が出来るようになるまで成長することが不可欠である。そのためには学生が担当している研究に関わる狭い範囲の知識あるいは理解力のみに止まってはならない。学生の直接関与する課題でなくても化学に関わる課題であれば理解できる能力と意欲を身に着けることになるように教育方針は取り計られるべきであろう。このことによって学生が将来研究者として自立した場合に自信をもって新しい研究課題に立ち向かうことができるようになると思われる。学位を取得して自立した研究者としてスタートしたときに,大学院時代の研究室の研究課題の枠から出ることが出来ないようでは先導的研究者になることは出来ない。博士の学位を授与するための大学院教育を行うにあたっては,実にこの点を大いに留意されるべきであり,基礎化学的にしっかりしてかつ意欲と信念をもった人材を育成することによってのみ世界の化学の分野で日本の存在感が初めて認められるようになるものと確信する。大学院教育にあたっては指導教官の強力な指導力が重要であり,このことについて指導教官が自信と確信をもっていなければ教育効果は期待出来ない。

■ 高等教育改善のための社会環境整備
   上記のような高等教育改善の効果を上げるためには個別の大学院が独自の試行のみに基づくものでは駄目である。社会の認識の変化と大学院教育の流動性が伴わなければ実現は不可能である。そこで次のような提言を行いたい。

1 .大学院入学についての規制
   アメリカの大学院では随分以前からそうであったように,大学学部課程を卒業した後大学院に入学するには基本的に大学を替わらなければならないとする。ただ単に単位の互換性を認めるよりもこのほうが教育効果があがると思われる。またこのことにより大学院に流動性が生まれる。

2 .大学院の転学の許容
   上で提言したように一つの大学院で博士候補者として認定されなかった場合には本人が博士取得を希望するならば大学院の転学が認められることが望ましい。博士の学位の内容に多様性があってもよいという観点から,転学して本人がさらに努力すれば学位取得の可能性がでてくるという希望を持たせた方が良いと思われる。ただ一度のチャンスのみではなく,転学することにより複数のチャンスが得られても良いのではないかと思われる。また,もう一つ大事なことは転学するということが落伍したという社会的認識にならないことである。

3 .学位取得者に対する社会的優遇
   現在では学位を取得して企業に入っても特に報酬などでの優遇措置はないようである。本当に上記のような趣旨でハードトレーニングを経て学位を取得したのであれば企業でリーダーとして技術的な面で活躍が期待できる筈である。そのような期待感を含めて能力給の立場から初任給は格段に優遇されていることが望ましい。このことを裏返せば学位取得者に対して報酬によって期待感を如実に表すものであり,学位取得者に独創的技術の開発に向かって気持ちを奮い立たせることにもなるのではなかろうか。

4 .大学院教官に対する俸給的優遇
   これまで大学の教官の俸給は基本的には年功序列に従うものであり個々の教官の貢献度はほとんど俸給の査定に組み入れられてはいなかった。俸給表で特別職に位置付けられた学部長などの管理職を勤める教官のみが些か高い俸給を得ていたのであって,研究活動あるいは教育上の貢献度を評価する仕組みは全く存在せず従ってそのことが俸給に反映されることはなかったと言える。教官が大学院教育に情熱を燃やし大学院において国際的評価が得られる高度の研究活動に邁進できるようにするためにはその評価点が俸給に反映される必要がある。個人の犠牲の上にいわゆる滅私奉公的な貢献を要求することは出来ない。第三者的機関などによって評価されたことが正しく個々の教官の待遇の上に生かされることが望ましい。我が国の基礎研究あるいは技術の先端を担う人材の育成に当たるということは我が国の発展のために極めて重要なことは自明の理ともいえる。そのような責任ある地位にある高等教育担当の教官に対しては待遇上特別な配慮があって然るべきである。高等教育担当の教官に相応しい人材が得られてこそ教育効果が期待できるし,また高度の研究成果についても期して待つべきものがある。

■ 提言の基になった筆者の経験
1 .アメリカ留学
   九州大学で修士課程1 年次の終わり頃になって恩師の(故)秋吉三郎先生の強いお勧めがあり,また当時日本ではまだ珍しい博士研究員としてアメリカの大学に留学しておられた(故)上野景平博士(九大名誉教授)のご仲介を頂きアメリカの大学院へ留学する途が拓かれた。その当時は一般サラリーマンの平均的収入に比べてアメリカ往復旅費は桁違いに高額であったので自信がないながらもフルブライト留学生の選抜試験を受けたところ思いもかけず合格した。さらに留学先の大学から奨学金を頂くことも決まっていたので留学のための生活環境は一応保証された。1955年(昭和30 年)の夏に当時日本最後の客船であった氷川丸で横浜を出帆し,シアトルから大陸横断鉄道で目的地に到着した。当時アメリカの大学院でPh.D.の学位をとるためには相当厳しいトレーニングが課せられ,外国からの留学生に対しても何ら特別扱いはなくアメリカ人の学生と同様に評価された。Ph.D.の候補者になるためには筆者の場合には上記の資格試験とともに外国語(通常2 ヵ国語)の試験にも合格しなければならなかった。そのあと学位論文の試問に合格して学位が授与された。しかしながら,Ph.D.の候補者に指名されるまでには相当厳しいものがあった。たとえばすばらしい研究成果があがっており学位論文の内容として満足すべきものがあっても資格試験に合格しなければ候補者にはなれない。資格試験は一次,二次それぞれについて最大限2回のチャンスが与えられるものの,それに合格しなければ同じ大学院でPh.D.の学位を取得することは永久になくなってしまう。大学院のトレーニングはこのように極めて冷たいものであり,それでもPh.D.を取得したければ他の大学院に移らなければならない。

2 .九州大学における試み
   筆者が帰国した1959 年は九州大学工学部に合成化学科が創設されて間もない頃であり,創設者の秋吉先生が新しい大学院の教育改善に強い意欲を持っておられたのが引き金になって,他の先生方の同意のもとに筆者のアメリカでの経験を試みる機会を与えて頂いた。すなはち合成化学科の大学院教育において修士課程2年次に上記の第一次資格試験を,博士後期課程においては第二次資格試験と外国語(通常2 ヵ国語)を課し,これらに合格しなければ学位論文の提出は認められないこととした。これらの試験は相当学生の負担になったのは事実のようであるが,学生の経験を通しての評判はよろしく,継続的に実行された。今後大学院組織の変革に伴って教育改革はどのようになるかよく分からないが,改めて大学院教育(特に博士後期課程)についてここに提言を行い,21世紀にける人材育成に明るい展望が得られればと願う次第である。


(平成12 年7 月拙宅にてこれを記述する)

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