知への誘い

東方教父における超越と自己
ニュッサのグレゴリオスを中心として
谷 隆一郎 著

東方・ギリシア教父の伝統は,西洋の広義の哲学・神学の歴史にあって一大源泉であり,またさらに,真に道を求めるすべての人々にとって一つの範とも導き手ともなるべきものであった。それは実際,キリスト教古代にとりわけ特徴的な,ヘレニズムとヘブライズムという二つの思想潮流の拮抗しかつ交わる歴史環境の中で形成されていったものであるが,その中心に漲っているのは,時代,民族,風土などの特殊性をまといつつもそれらを超え出た普遍的真実であり,心砕かれた謙遜の裡に神的な霊の働きを何らか宿した姿であったのである。本書は,かかる東方教父の多様にして一なる伝統――それはたとえば,東洋における大乗仏典成立の歴史にも比され得るものであるが――の中から,初期と盛期との代表者としてそれぞれアレクサンドリアのクレメンスとニュッサのグレゴリオスという教父(神的な交わりとしての教会の師父たちの意)を択び,とくに4 世紀という教父の黄金時代を担った人として,グレゴリオスの観想の精華とも言うべき諸作品の吟味・探求を通して,およそ教父の愛智(=哲学)の基本的動向を明らかにしようとしたものである。その基調は,グレゴリオスの観想と思索との中心に息づく存在論的ダイナミズムに注目しつつ,広く哲学や倫理学の根源的位相を見定めていくこと,そしてさらには,ある種の専門知などという対象化された領域を突き抜けて,この不明な身を導く導師にできるだけ聴従していくことに存した。この意味で,拙著が古典の解釈と受容との一つの例ともなり,いわば歴史を貫いて現存する古来の生きた交わりに,自他相俟って何らか参与していく縁ともなれば,と思う。

(創文社,2000 年6 月,313 頁)
著者:谷 隆一郎(たに りゅういちろう)
人文科学研究院 教授(哲学)

中国古代北疆史の考古学的研究
宮本 一夫 著

中国古代とりわけ秦始皇帝によって中国が統一された統一秦以前の先秦時代は,文献史料も少なく,あるいはその真偽も定かでない史料が多い時代である。この時代にあって,今日陸続と地下から出土する文物資料は,考古学という学問によって花開き,科学的な歴史認識を可能にする。史書によれば,中国の先秦時代の王朝は夏,殷,周からなり,黄河中流域の中原を中心として王朝の興亡が繰り返されたとされ,考古学的な資料もその事実を裏打ちしている。これら三代の王朝は中原を中心とする中国世界観を形成し,漢代以降に本格的に形成される中華世界の核心を形作るものであるといえよう。事実この三代の王朝を通じ,次第に長江中・下流域へと版図を広げ,今日の中国世界観の基礎が確立されている。しかしこの時代にあって,常にその領域が拡大しない地域があった。それが今日でいう長城地帯である。明の万里の長城でよく知られる黄土地帯の北辺地域である。青銅器においては北方式青銅器文化として特殊化された地域であるが,史書を含め中原地域に比べ後進的な社会としての位置づけが一般的であった。本書ではこうしたこれまでの位置づけに対し,この地域を客観的に評価することを試みたものである。三代王朝期に北方式青銅器文化として一括された地域の成り立ちを,中国の農耕社会の成立期から振り返り,社会発展の過程で生業環境の違いにより中原から地域的に分離していく長城地帯を復元した。さらに青銅器時代における長城地帯の社会発展を積極的に評価し,三代王朝との政治的な対立関係にあること,さらにはこの対立関係こそが文化接触として両地域への刺激を与え,両地域の社会進化を果たしたことを示した。この事実こそが,この後の漢王朝と匈奴の対立・融合という歴史的文脈への橋渡しとなると主張する。本書はこうした長城地帯の東半部における実証的な研究を含み,中国古代文明の成立発展における新たなパラダイムを提示するものである。さらにはこうした歴史的過程こそが日本を含む東北アジアの歴史的動態を刺激していると考えるのである。

(中国書店,2000 年2 月,348 頁)
著者:宮本一夫(みやもと かずお)
人文科学研究院助教授(考古学)


前のページ ページTOPへ 次のページ
インデックスへ