行幸啓と「お手植え」の銀杏

折 田 悦 郎
(大学史料室専任講師)

帝国大学令(明治19 年勅令第3 号)第1条に「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」と規定された帝国大学は,近代天皇制と密接不可分の関係で,その歴史を展開した。地方にあった後発帝国大学の九州大学には,中央の帝国大学ほどではないが,2 度の行幸が行われている。一度は大正5 年(1916)11 月12 日の大正天皇の来学であり,もう一度は昭和24 年(1949)5 月21日の昭和天皇の来学である。
大正天皇の行幸は北部九州で実施された陸軍特別大演習の閲武の間になされたもので,この時には寺内正毅首相,後藤新平内相,大島健一陸相,加藤友三郎海相,岡田良平文相,山川健次郎東大総長(初代九大総長)等の要人も来学した。
写真1
一方,昭和天皇の行幸は,戦後の九州巡幸の一環として行われたものである。昭和天皇は本部貴賓室で奥田譲総長から本学の概況を聴取,列品室で各部局の展示品を覧て(次頁文末表参照),医学部経由で次の予定先福岡県庁に向かった(『九州大学五十年史 通史』586 頁)。同月31 日には熊本県天草郡富岡町の九州大学附属天草臨海実験所(現大学院理学府附属臨海実験所)に,6 月8 日には大分県別府市の温泉治療学研究所(現生体防御医学研究所附属病院)にも行幸が行われている。
ところで,この戦後の行幸は九大としては大正天皇以来,33 年ぶりの行幸であったが,昭和天皇は皇太子時代の大正9 年(1920)本学に行啓したことがあり,昭和24年の行幸が2 度目の九大訪問であった。
最初の来学は大正9 年4 月7 日,真野文二総長以下本学職員学生が奉迎する中,工学部に台臨。総長より『九州帝国大学写真帖』と『九州帝国大学一覧』が捧呈され,学事の概況が言上された。この写真帖は複製して文部大臣その他に贈呈されたが,これは大正天皇行幸の際に作成された写真帖(『九州帝国大学要覧』)とともに,草創期の九州大学が本格的に作成した写真帖であり,今ではこの時期の本学の様子を伝える貴重な史料となっている。
それから皇太子は下のような標本・古文書等を台覧。

石炭採掘ニ関スル作業ノ順序
教授工学博士 永積純次郎
日本刀鍛錬ノ順序
教授工学博士 金子恭輔
罌粟花色ノ遺伝ノ実験成績
教授医学博士 石原 誠
本邦ニ持息セシ犀ノ化石
教授医学博士 進藤篤一
九州ニ於テ著述セラレタル天文及物理ノ古文書
教授理学博士 桑木 雄

その後,応用地質学列品室,土木工学列品室,電気工学実験室,材料電力実験室等の工学部各実験室を巡覧し,工学部本館前庭(ロータリー)において「お手植え」が行われた。写真1 の上方の樹木はこの時に植えられた銀杏の,昭和6 年(1931)頃の姿である。
なお写真手前(下方)の銀杏は,久邇宮良子女王(のちの昭和天皇皇后・本年6月16 日崩御の香淳皇后)一行「お手植え」のもの。皇太子行啓3 年後の大正12 年(1923)5 月15 日,「宮中某重大事件」も落着し皇太子との成婚を目前にしていた良子女王は,父久邇宮邦彦王,同妃仁子,信子女王とともに本学の工学部,医学部附属医院(産婦人科,小児科等)に台臨した。
写真2
「九州帝国大学沿革史料 2 」には,工学部の各列品室,農学部陳列品室等を巡覧ののち,「御昼餐後御発の際本館前庭(皇太子殿下御手植の位置の背面)に御手植」とある。ちなみに,この史料に「皇太子殿下御手植の位置の背面」とあるのは,当時はまだ現在の本部事務局が建築されておらず,近辺で中心となる建物は工学部本館だけだったことによるものであろう。
写真2 は,昭和24 年の昭和天皇臨幸時のもので,帝大時代〜戦後にかけての九大本部前には皇太子(昭和天皇),良子女王(皇后)「お手植え」の銀杏が植えられていたことがわかる。
根元に石柱の囲いが見える 写真3
写真4
ところで,これらの銀杏がいつ正門横・旧法文学部本館前の現在地(写真3)に移されたかは,正式な記録が残されておらず不明である。ただ現在あるフェニックス(写真4)については,昭和35 年(1960)の「九州大学新聞」に以下のような記事が見えることから,その植樹は庭園委員会の造園計画によるものであったことが知られる。
本部前に“フェニックス”一本十二万円也
。 六月二十一日,九大本部前のロータリーに,熱帯植物「フェニックス」が植えられた。… 本学の庭園委員会が造園計画の一つとして,はるばる鹿児島から輸入したからで,中心にある大きなフェニックスは一本で十二万円…。
(昭和35 年7 月10 日号)
南国スタイルのシュロ並木
第一期造園計画完成。
…庭園は加藤退介農学部助教授の設計によるもので…これは庭園計画委員会がかねてから計画中だった本学庭園建設の一部が完成…用度掛の話だとゆくゆくは福岡の新名所となるような素晴らしいキャンパスにするため九州独得の植物を沢山植えたいとのこと。
(昭和35 年3 月25 日号)
これらの記事から「お手植え」の銀杏は,少なくとも昭和35 年6 月以前には移植されたものと推測してよかろう。
樹齢80 年になる現在の皇太子(昭和天皇)「お手植え」の銀杏(写真3 左)は,樹高10.5m ,幹周1.5m ,枝張り7 〜8m 。例えばキャンパス移転等にともない再度の移植を行うとすると,太枝を差し渡し3m 以内に切りつめなければならず,現在の樹形をとどめることは不可能であり,またその移植費用にはおよそ43 万円ほどを要するという。


(1)大正9 年(1920)〜10 年。皇太子妃に内定した良子女王の血統に色盲の遺伝があるとして長閥の山県有朋らが暗躍。10 年2 月に変更無しの発表で落着。女王が島津家の血を引くことから薩長の派閥抗争があったといわれる。
(2)九州大学大学史料室『九州大学大学史料叢書』第2 輯,84 頁。
(3)但しこの工学部本館は現在の建物(昭和5 年11 月竣工)ではなく,大正12 年12 月に焼失した旧本館である。また,現在の本部事務局は大正14 年3 月に建築された。
(4)農学部附属演習林の薛孝夫助教授の御教示による。その外,本文の作成には本部管財課松尾佳彦,人事課村上正範両氏の御教示を得た。記して謝意を表したい。

〔昭和24 年5 月 展示品目録〕
学部番号品 目解説者名
医学部ベクトル心電図法
一,ベクトル心電計
二,ベクトル心電図
三,心臓ベクトル模型
助教授 木村 登
ヒトスジシマカとネツタイシマカ教 授 操 坦道
1 肺結核のレントゲン治療
2 胃潰瘍のレントゲン治療
教 授 入江英雄
フグの中毒学的研究教 授 福田得志
JK 膜関節成形術教 授 神中正一
呼吸生理より見たるシヤミセンガイ血色素の立場教 授 瀬尾愛三郎
助教授 棚橋陽吉
工学部地形図の新しい表示法教 授 田中吉郎
鋳肌の研究標本教 授 谷村 熈
歯車噛合試験機教 授 和栗 明
農学部10組織粉末機械教 授 小島 均
11菌核菌の特殊成分教 授 山崎何恵
12メイタガレイの変態
マアナゴの変態
教 授 内田恵太郎
理学部13九州諸炭田地質図助教授 松下久道
14九州著名鉱物講 師 岡本要八郎
15炭坑内メタン瓦斯計助教授 田村次雄
図書館16大隈言道歌集 貝原益軒書翰事務官 長沢由次郎

*平成7 年(1995)12 月25 日,『昭和天皇紀』編纂の史料調査のため,宮内庁書陵部より来学があった。本文はその際に説明した史料をもとに補筆したものである。


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