松浦総長の胸像設置の経緯について

九州大学名誉教授 大屋 祐雪

 『九大広報』第13号(2000年7月)の〈学内歴史探訪〉に「総長松浦鎮次郎とその胸像」の一文がある。筆者は折田悦郎(大学史料室講師)氏で,松浦の経歴と人柄,九大への貢献等の紹介の後,最後のパラグラフに次のことが述べられている。

 「ところで,松浦の胸像が本部事務局や旧法文学部本館(旧研究所)近辺でなく,戦後設置の文系地区に建てられた経緯については公式の記録では判然としない。ただ先にこの胸像の紹介をされた徳本鎮法学部教授(現名誉教授)の〈文系キャンパスの胸像〉(『九大学報』1294号,平成3年1月)には,“創設以来,それまでの九大総長がいずれも理系出身であったのに対して,初めての法学士の総長であり,どうも胸像が文系キャンパスに建てられたのもそのあたりに理由があったと風聞している。”とある」(折田・16ページ)。

 私が確認したところでは,昭和56年8月25日の部局長会議の記録に「昭和5,6年頃の卒業生数名から松浦総長の胸像の寄贈申し入れがあり,九大として受け入れを承認した。設置場所についてはキャンパスの環境整備の一環として,松浦総長が文系ゆかりの方ということで,文系地区に設置することとなった。設置場所については文系4学部で検討することとなった」とある。

 また経済学部の9月4日の教授会議事録にも報告事項として,神田学長から第4代松浦総長の胸像の寄贈申し入れについて諮られたことが記されている。

 上記の記録で胸像設置の「経緯」だけは解るが,なぜ「本部事務局や旧法文学部本館(旧研究所)近辺でなく,戦後設置の文系地区」なのか,松浦総長の九州大学への貢献の偉大さから考えて,折田氏が記されているように,なんとなく「判然」としない経緯である。徳本氏が「風聞している」と記されているのも,おそらくそこら当たりの割り切れなさからであろう。

 ところで,松浦総長の胸像の設置をめぐっては公式の記録にない前史がある。昭和56年8月4日,部局長会議の議事が終わったところで,神田学長から“旧法文学部卒業の有志3名から,第4代総長松浦鎮次郎先生の胸像を作製したので,学長室か本部の然るべきところに置いてほしい旨の申し出を受けている。部局長の皆さんの御意見をあらかじめ伺っておきたい”という主旨の発言があった。

 私の記憶に残っているその日の出席者の発言は,“胸像を作製されたお三人の善意の心情は理解できないわけではないが,同じことを教室や同門会やその他の会が記念事業の一環として勝手に行うことの前例になれば,その取扱いに苦慮する事態が起きないともかぎらない”,“元来,この種のことは関係部局との十分な事前の協議の上で,事をすすめるのが本筋だろう”という意見などであった。最後に,神田学長から“胸像の寄贈申し入れ者は旧法文学部の卒業生であるから,その点を汲んで文系4学部でこの問題の取扱いを考えてもらえないだろうか”との提案があって,その日の話し合いは終わった。したがって,この件の報告も提案もその日の評議会にはなされなかったように記憶している。

 文系4学部に関わる事案の処理は,通常4学部の連絡協議会(「四連協」)で行うことになっていた。当番学部は輪番で,その年度の当番学部はたまたま経済学部であった。それで,そのときの当番学部長であった私がこの件の処理に係わることになった。

 前述の部局長会議を終わって学部長室に帰ると,別用で秀村選三教授(現名誉教授)が来室されていた。早速,部局長会議での顛末を話して御意見を伺うと,“部局長会議や四連協に異議があるようなら,石炭研(石炭研究資料センター)が貰うよ。センターはかつての法文学部の演習棟であるし,旧法文本館の前庭に胸像を設置すれば,誰も文句はあるまい”と即座に賛意を述べられた。

 この問題の処理には四連協の合意と部局長会議,評議会という手続きが必要であった。そこで当番学部長として念のため,松浦総長時代に法文学部に在籍されていた先輩教授から,胸像設置についての感懐を聞いて置こうと考え,田中定名誉教授(経済学部同窓会初代会長)宅を訪れ,胸像設置のことを申し上げると,“それは大変良いことです。当時の法文学部は松浦総長に一方ならぬお世話と御苦労をお掛けしています。除幕式には私も是非参加させて下さい”ということであった。また法学部同窓会初代会長の浜正雄氏(九経連副会長)を役員室に訪ねると,“松浦総長の胸像の件は聞いていました。是非しかるべきところに設置されるよう尽力して下さい”と励まされた。

 四連協では,大学が松浦総長の胸像を設置するについては,周辺の校庭環境の整備を条件として,北門と大講義室の間の空き地を設置場所にという案で,胸像の受け入れと文系地区における設置を,神田学長に申し出ることとした。

 その後の経過は「文系地区で話し合いの結果,北門付近に設置することになり,十月九日に除幕式を行うこととなった」と記されている公式の記録の通りである。

(おおや ゆうせつ)
著者紹介
大屋祐雪(おおや ゆうせつ)名誉教授は,
昭和26年3月九州大学経済学部卒業,
昭和37年4月九州大学経済学部助教授,同43年7月同教授,
昭和55年7月経済学部長に就任,平成元年3月退官。
専門は,経済統計,社会統計。

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