元岡遺跡の発掘調査
元岡遺跡群 第20次調査地
 一行は再びバスに乗り込み,県道桜井太郎丸線を,桑原(くわばら)地区の公民館前を東へ移動。かなくそ池の下(D地点)にバスを停めて,第20次調査地へ向かいました。着用した長靴はみな泥まみれです。
 第20次調査地は福岡市の教育委員会によって,平成12年4月から発掘調査が行われています。
 教育委員会の説明によれば,遺跡の年代は奈良時代と見られていますが,最近「大宝元年」と書かれた木簡が見つかりました。大小多数の穴は,恐らく高床式の倉庫跡であろうということで,木簡のほかに文字の書かれた土器や役人が締めていたと思われる帯の飾り金具などが出土していることから,当時の役所跡ではないかと推定されています。
 川をせき止めて作られた深さ50cmから80cm程度の池の跡もあり,木簡はその中から発見されました。また,これまで発見された建物跡が,出先の機関だったのか,近くからさらに大きな建物が出るのかなどは,あと1年ほど行われる今後の調査を待ちたいとのことでした。
 いずれにしても,製鉄所跡が近くにあるこの沢地は,当時は海も近く,いろいろな面でよい場所であったことは確かだろうとのことでした。

石ケ原(いしがはら)古墳
 最後に最も険しい行程となり,かなくそ池の脇から山に分け入って,藪の中の細道を上り下りしながら,第2工区にある石ケ原古墳を目指しました。記者の皆さんも次第に無口になり,テレビカメラを抱える写真記者の方々の額には汗がにじみます。
 途中,森が開けて小さい丘に出ます。かなくそ古墳です。山を整形して前方後円墳としたもので,木棺や青銅鏡などが出土したこの古墳は,保存されることになっています。このかなくそ古墳からさらに歩くと,丘陵の頂きに底に水の溜まった穴が現れます。石ケ原古墳の石室部分です。
 今回策定されたマスタープランでは,調査が続いている元岡遺跡群第20次調査地を埋めずに残すため,イースト・ゾーンを造成基本計画より約200m南西へ動かすことから,石ケ原の丘陵はなだらかに造成することになっています。石ケ原古墳の保存方法は,これからの検討課題です。
(二又専門職員の説明)
 石ケ原古墳は,6世紀代に丘陵を整形して作られたと推定されています。全長55m,後円部の径が34.4mの前方後円墳です。これは,その横穴式石室の部分で,腰石(こしいし)の一部を残してそのほとんどが抜き取られています。福岡城の石垣の石材として使われたと言われており石室内の敷石もなく,人骨も発見されていません。


石ケ原古墳の石室部分
 以上,2時間半に及ぶ行程でした。石ケ原古墳からは,茂った木々越しに重機の音が聞こえ,遠く造成中の第1工区が望まれました。
(企画広報室)

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