大学の動き
シンポジウム・講義・調印

news 1
田原博士の偉業を記念して
 六月一日(金)、病院地区キャンパスの 同窓会館で、第二回アショフ 田原シ ンポジウム(2nd Aschoff-Tawara SymposiumonCardiac Conduc tion System - History and Recent Developments )が開催されました。
 このシンポジウムは、ドイツ留学 中に心臓収縮システム解明に世界的 な研究業績を挙げた田原淳(たわら すなお)博士とその指導者だったアシ ョフ博士の名を冠して開催されている ものです。一九九九年ドイツのマールブ ルグでの開催に続いて二回目となる今 回は、田原博士の母校である東京大学 と、教授として勤めた九州大学との、 二回に分けて開催されました。シンポ ジウムには、マールブルグ大学のホルス ト・ケルン学長やドイツ大使館関係者 も参加し、アショフ、田原両博士の子 や孫に当たる方々の発表もありました。
 開会式で、九州大学の杉岡総長は「田 原博士とその恩師であるアショフ博士 の名の冠せられたこのシンポジウムを、 かつて田原博士の勤められた福岡医 科大学があったこのキャンパスで開催 できるのは、誠に喜ばしい。」と挨拶し ました。また、ドイツ大使館のKlaus Matthes 第一参事官は、「二人は、医学 の進歩に大きく貢献したのみならず、 独日両国の科学的結びつきの強化に 大きな役割を果たした。」と述べまし た。
※田原 淳(一八七三ー一九五二)  明治三十四(一九〇一)年、東京帝国大 学医科大学医学科卒。一九〇三ー一九 〇六ドイツのマールブルグ(Marburg) 大学病理学教室に留学し、ルートヴィ ヒ・アショフ(Ludwig Aschoff)教授の 指導を受ける。このとき、哺乳動物心 臓の電気的刺激伝導路の発見により、 心臓収縮のシステムに初めて秩序ある 体系を与えた。その業績は、房室結節 に「田原結節」の呼称が残るなど二十 世紀の偉業の一つと讃えられ、現在の 心臓病学やペースメーカー技術の嚆矢 (こうし)とされている。
 明治四十一(一九〇八)年、九州大 学(当時は京都帝国大学福岡医科大学)に 第二病理学講座の初代教授として赴 任。大正三(一九一四)年、学士院恩賜賞 を受ける。その名は、九州大学病院地 区キャンパスの六つの通りの一つ、「田 原通り」として残る。
  この記事は、医学研究院の居石克 夫教授(病理病態学)の御協力により 作成しました。


news2
「世界に羽ばたく覇気を持て」
総長登壇
 学部の初年次生を対象に、各界で活 躍する九大OBがその体験に基づいた 講義を行う総合科目「社会と学問」に、 六月二十七日(水)杉岡総長が登壇し ました。
 この日のテーマは「強い九州大学への 取組み」。六本松キャンパスの特一番教 室を埋めた三百名を超える学生に、杉 岡総長は「科学は常識への挑戦から始 まる」「常に世界を相手に勝負しよう」 と熱く語りかけました。



前のページ ページTOPへ 次のページ
インデックスへ