[研究紹介ー九大自慢の研究をご紹介します]

数学と計算機科学の架け橋:Computer Algebraとその応用

数理学研究院 教授 横山和弘

 『計算機で数学を』を考えると、多くの方は物理現象のモデル化や大規模シュミレーションなどが頭に浮かぶと思います。計算理論や技術の進歩により、解を数値的に求めることが可能になり、それらが実際の物理、工学問題に適用されています。視覚化された計算結果などは、専門でない人にも大変分かりやすいものになってます。

 一方、この数値計算とは『別のアプローチ』として、数学問題を記号的に、すなわち、パラメーターなどを変数として式のままに解くというものがあります。そこでは、イメージとして『数学者が黒板に向かってずらずら式を並べて解くような』誤差のない厳密な解を計算するのです。このような計算は、数値計算とは異る特性があります。この計算理論・技術をComputer Algebra (計算機代数)と呼びますが、日本では、数式をそのまま扱うということで、『数式処理』と呼ばれています。多くの研究所や大学では、Mathematica, Mapleなど商用のシステムが幅広く使われています。私の研究では、機能は少ないが、計算速度だけはどこにも負けない?数式処理システムRisa/Asir (富士通研究所:現在神戸大学にて開発を継続)をプラットフォームとして計算実験を進めています。

[Risa/Asirの図]

 計算機の構造を見れば、数学における『代数的な操作』は計算との親和性が高いことが分かります。実際に実現されている多くの数学的操作は代数的なものとなっています。(もともと、『代数』は足し算とかけ算の塊ですから当然です。ある高名な先生は、『数式処理は、足し算とかけ算しかできないので、ろくな計算はできない』と自嘲しておっしゃっていました。)数式処理では、厳密に式のまま数学的な操作を行うということで、計算法(アルゴリズムと呼ばれます)をしっかりと設計することが重要になります。簡単そうに見える計算も大変になることがままあります。例えば、整数の加減乗除でも整数の桁数が増えれば増えるほど計算時間がかかってしまいます。(かけ算でも難しいということです!) 式のままに正確に計算するということは、その分、計算資源を消費することになり、いつでも『計算量の壁』が立ち塞がることになります。(計算量とは、計算に必要とする時間量とメモリーなどの記憶に必要な空間量を言います。)

 Computer Algebra では、1960年代の多項式の最大公約式の計算、多項式の因数分解法の研究から始まり、地道に計算可能なレベルを上げ、ブッフバーガーによるグレブナー基底計算法を起爆剤として、現在では、現代数学のホットな分野である代数幾何や数論計算で『少し気のきいたものの計算』が可能になってきました。

 私の研究では、より多くの数学的操作を計算機上で効率良く実現することを第1のターゲットとしています。いったいどの位のレベルまで計算機上で実際に計算できるのかを見極めたいと思っています。更に、計算という視点から、『新たな数学構造が構築できるのでは、そしてこれにより数学と計算の双方向の関係を築くことができるのでは』という大胆な希望を持っています。この野望のために、『現在の計算機の能力でどこまで計算が可能になるか』という意識をもって、極めて地道に基本的な数学問題を選んでアルゴリズムを設計しています。最近では、多項式のGalois群計算やイデアル準素分解などを扱い、『ちょっと気のきいた計算』に成功しています。

 一方、従来の数値的計算技術とは異なった特性を数学以外の分野にどのように活かすかも重要です。すなわち、物理・工学等の問題に有効に適用することが第2のターゲットとなります。数値計算との融合は最も重要なテーマです。また、代数的算法の『離散的』な性質を使えば、IT時代の基幹技術である現代暗号はその良い適応例になります。例として、公開鍵と呼ばれる暗号を取り上げましょう。(私は昨年末まで民間の研究所(富士通研究所)に在籍し、近年は暗号研究に多くの時間を割いてきました。)

[楕円曲線の図]

 公開鍵暗号は、『暗号が破られないという安全性』を数学問題の難しさに基づいて保証しています。それらは大きく2種類の問題、『整数の素因数分解』と『楕円曲線と呼ばれる3次曲線上の離散対数問題』に分類されます。安全な暗号を作ることは、いかに解くのに難しくなるような数学問題を生成するかにかかっており、この問題の計算機による自動生成が課題でした。素因数分解されにくい合成数をどう作るのか、離散対数問題が難しくなるような楕円曲線をどう作るのかを考えるにあたり、もとの数学理論に立ち戻って計算に使えるものはなんでも使うといった強欲な態度で臨みました。そして、アイデアが浮かぶたびに、計算機実験を繰り返すことで有効性を検証していきました。

 例えば、楕円曲線暗号では、楕円曲線の上の点の個数を効率良く数える方法が重要でしたが、その効率を上げるために、『平方根効率化方式』を発明しました。点の個数の計算法は、上位レベルの数学的アルゴリズムと下位レベルの基本アルゴリズムの2重構造になっていたので、効率をn倍高めるには、上位レベルを  倍にし、下位レベルを  倍すればトータルとしてn倍になるという『虫がいい』方法でした。(私は上位レベルを担当し、同僚の共同研究者が下位レベルを担当しました。)最初から10倍にしようと思うと、途方に暮れてなかなかアイデアがでないのですが、3倍程度ならなんとかなるだろうと思う心理がうまく働き、10倍にしたあと更に10倍と貪欲になり、気が付くと、最初の実験と比べて100倍の効率化が達成できました。

[楕円曲線の点の個数計算の図]

 数式処理の究極の目標は、数学者の思考を計算機上で実現することと考えています。このことは、『高度数学理論が計算機科学の分野に貢献できること』、『実際の工学等の問題に適用できること』を意味します。実現までの道は遠いですが、21世紀では、数学と計算機科学の間の架け橋として発展していくものと確信しています。

(よこやま かずひろ 計算機代数)

著作紹介知への誘い

緑と生命の文学

ワーズワス、ロレンス、ソロー、ジェファーズ

福岡ロレンス研究会 著
共著者:山内 正一(やまうち しょういち)
言語文化研究院 教授(英文学)
高橋 勤 (たかはし つとむ)
言語文化研究院 助教授(米文学)
その他5名(松柏社、2001年6月、201頁)

 文学の衰退が取り沙汰されるようになって久しい。はたして文学はこのまま無用の長物と化していくのだろうか。もし文学が文学に寄生して生きる人々(作家、作家予備軍たる読者、出版業者、批評家、学者・教師など)の専有物に堕すれば、たしかに文学の未来は暗い。

 文学を<知の装飾品>や<知の戯れの遊具>であることから解放し、混沌たる現代社会を生き抜くための確かな手立てにしょうという動きが出てきても当然である。前世紀の90年代になって、アメリカを中心に、文学批評と環境運動を繋ぐ「エコクリティシズム」という新しい文学研究の動きが組織的な発展をみせはじめる。この動きは、冒頭に触れた文学の衰退/自殺行為に対する一部の人々の真摯な反省を映し出すものであった。

 本書は、基本的にエコクリティシズムの立場に立って、明確な問題意識の下に、人間社会と自然環境との共存・共生のあるべき姿を究明する。その「問題意識」とは、ロレンスの言葉を借りれば「すべての被造物のうち、人間のみが生きるすべを見失っている」(本書111頁)という、生物としての人間のアイデンティティをめぐる危機意識に他ならない。本書が謳う「緑と生命の文学」は、自然環境(緑)とそこに生かされる万物(生命)を繋ぐネットワークの根源的意味を問い直す文学の謂である。

 本書は、上記のテーマをワーズワスに遡って考究し(第1、2章)、次いでワーズワスとロレンスを関連づけ、より自然破壊が進んだ現代に生きる知識人の内的葛藤とそこからの脱出法を論じる(第2、3、4章)。本書の後半ではソローやジェファーズという米国の作家が取り上げられ(第5、6章)、イギリスや旧大陸とは異なる自然風土の中で同じ問題意識がどのような文学表現を獲得するかが明示される。

 本書末尾の「エコクリティシズム参考書誌」も、文学とエコロジーの協働関係に興味を持つ読者に利便を供してくれるはずである。

 本書誕生の直接の契機は、平成10年10月に開催された日本英文学会九州支部大会でのシンポジウム「ロマンティック・エコロジーのゆくえ」です。福岡ロレンス研究会の企画に山内がゲストで参加し、準備段階から全員で議論を戦わせているうちに自然に現在の本の内容が固まったものです。その後、英文学と米文学のバランスをとる意味から、山内の同僚の高橋氏にも執筆陣に加わっていただき、専門と職場を超えた研究者の共同作業が実りました。

(言語文化研究院教授 山内 正一)

前のページ ページTOPへ 次のページ
インデックスへ