山川 健次郎
(やまかわ けんじろう)
初代総長
 目地四十四年(1911)福岡に医科大学と工科大学からなる九州帝国大学が創立され、初代総長に就任。元の東京帝國大学総長、理学博士。
 安政元年会津藩生まれ。年齢が足りず白虎隊に入らぬまま、会津落城後、重臣評議の結果、長州人奥平謙輔を頼って密かに越後口に逃がされた。東京で苦学を続け、明治四年に選ばれて渡米、明治五年エール大学のシェフィールド理学校に入学、学位を得て明治八年に帰国。翌九年に二十三歳で東京開成学校教授補。明治四十四年四月、初代総長として博多駅に降り立ったとき、予告をしなかったので出迎えはなかった。後に再び東京帝国大学総長に就き、一時は京都帝国大学総長も兼任した。(「九大広報」第六号 学内歴史探訪から)
明治四十四年四月二十二日山川総長訓示
「我が学生は、ただ単に教授の講義にのみ依頼するものでなく、充分に学問研究に従事するものである」
「諸君は、試験などに目をくれず、学問のために学問せらるるは、我輩の信ずるところである」
「多方面に趣味ある知識ある人を養成するというのが、総合大学の設置せらるるゆえん」

前のページ ページTOPへ 次のページ
インデックスへ