特集 歓迎 新九州大学生! 「九大人」からのメッセージ


植木 とみ子

(うえき とみこ)
長崎大学助教授から福岡市女性部長、市民局長などを経て、福岡市文化芸術振興財団副理事長。財団のオフィスは博多リバレイン・リバーサイド9階にあり、誰でも利用できる「文化情報・交流コーナー」も併設
 (法学部卒)

 今は、他と違う何かを持たなければいけない時代でしょう。だからといって時流に流されること無く、じっくり考えて、九大の「本物」を光らせ、「本物」をアピールしていただきたい。学生もそうです。九大は、骨太な「イモ九」でいい。ただし本物の、じっくり味わうことのできる人間であってほしい。でも独りよがりではダメです。周囲の状況にも柔軟性をもって対応できる。本物の大学であり学生であってほしいと思います。
 (「九大広報」十八号 シリーズ「九大人」から)


薄本 豪

(うすもと たけし)
経済学府修士課程1年(当時)。平成12年度に「インターネットを利用したマッチングシステムによる就職活動支援事業構想」がC&Cに採択され、その成果が特に優れていたとして総長賞を受賞。

 C&Cは、自分の専門に関係なく自分のやりたい研究をやって、採択されれば、研究室や助成金などで援助してもらえる九大ならではの制度です。ぜひ挑戦してほしい。それから就職では、学生は商品で企業は買い手です。自分の特性や価値をアピールしなければなりません。そのためには、自分がどんな能力を持っているのかをまず考えて、それを発揮してほしいと思います。受身で勉強したり就職活動をしたりという過ごし方はしてほしくありません。そして、できるだけ多くのいろいろな人に出会ってほしいと思います。
 (「九大広報」十八号 シリーズ「九大人」から)


Ngima Gyalgen Lama

(ニマ ギャルゲン ラマ)
生物資源環境科学府博士課程3年で、KUFSA(九州大学留学生会)の会長を経て同アドバイザー(当時)。故郷はネパール。

 KUFSAの目的は、いろいろな国から来ている九大の留学生が助け合って、いい研究をするためのいい環境を作っていこうというものです。そのために、留学生同士だけでなく、日本人も含めた人のネットワークを作りたい。福岡で生活するために必要な情報を得ると同時に、友だちも作れたらいいと思っています。
 博士課程を終えたら、ネパールに帰ります。ネパールの経済は、まだまだ生産性が低く貧しい人が多いのです。外国で勉強させてもらっている私には、母国に貢献する責任がありますから。
 (「九大広報」第二十号 シリーズ「九大人」から)


川添 昭典

(かわぞえ あきのり)
総務部人事課職員。九州大学事務官として初めて、南極地域観測隊(越冬隊)に庶務担当職員として参加。2001年12月から2003年の2月か3月まで南極に滞在予定。

 (どうして南極に行こうと?の問いに)
 南極でしか見ることのできない満天の星空とオーロラを見たいと思いました。決して他ではできない体験ができるだろうとも。仕事としてそれができる。それが理由です。
 (「九大広報」第二十号 シリーズ「九大人」から)


谷 福丸

(たに ふくまる)
平成6年から衆議院事務総長として国会開催中は常に衆議院議長の隣に座る。古川貞二郎内閣官房副長官とともに、日本の立法と行政の事務方のトップがともに九大OBという状態が続いている。
 (昭和38年法学部卒)

 忘れられない風景があります。当時の筑豊には、家庭内のことや貧困など本当にいろいろな問題があって、それに懸命に取り組んだ私は、筑豊の人たちに少しは好かれているという自負があったのです。それが、上京が決まって挨拶に行く途中、傍らに菜の花の咲く砂利道で出会ったこともが私の顔を見て、「好かん人が来たよ!」と駆けて行った。自分にはこの人たちのために一生懸命やったという自負があった。しかし、その人たちにとって私は「好かん人」だった。ショックでしたが、それからは、物事は半分、努力は半分、分かってもらえれば十分なのだと思うようにしました。(総合科目「社会と学問」で、福岡県職員として筑豊を担当したときの思い出を。)
 (「九大広報」第十九号 シリーズ「九大人」から)


杉岡 洋一

(すぎおか よういち)
第20代九州大学総長として「強い九州大学」を掲げ、大学院重点化、学府・研究院制度創設、新キャンパス移転計画など注目される様々な改革やプロジェクトを推進した。
 (昭和33年医学部卒)

 変化を恐れ現状に安住するのではなく、常により良いものを求める姿勢が大切です。そして、国内でなく、世界を相手に競ってほしいと思います。いい仕事は、外国は正当に評価してくれますから。文系でも、それが当てはまる面は大いにあると思います。まして自然科学分野は、世界に知ってもらわないと話にならない。
 学生諸君を含めて、より良い大学作り一筋に挑戦すれば、いかなる逆風の中にあっても、自ずとと道は拓ける。全学的視点に立って、飛躍のために変革を恐れないでほしいと願っています。
 (「九大広報」第二十号 シリーズ「九大人」から)


鮎川 誠

(あゆかわ まこと)
ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のリーダー。長身にサングラスのギタリストは、バンド以外にも多方面で活躍。
 (昭和49年農学部卒)

 それはもう、どげん言うても今がサイコーなんだから、「九大生、君らラッキーだぜ!」と言いたい。九大のキャンパスで思いっきり輝いてほしい。久しぶりに九大へ来て、自分はここでいっぱいエネルギーをもらったんだと、改めて感じました。今君たちは、仲間と語り、研究対象にぶつかってもいけるし、自由を手にしている。思い切り羽ばたいてほしいと思います。
 (「九大広報」第二十一号 二十一世紀交流プラザ開所記念コンサート後のインタビューで)


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