九州大学文学部に[イスラム文明学科]が創立されて、今週ではや10周年を迎えようとして いる。この間に学科の名称は[イスラム文明史学科]へと変更されたが、学部から大学院博士課 程まで[イスラム]の看板を掲げる、日本で数少ない学科であることには変わりない。それゆえ、 同規模の他大学におけるイスラーム研究スタッフ数より明らかに劣るものの(教授・助教授の2 名のみ)、アジアにおける中東イスラーム研究の拠点として、内外から大きな期待を寄せられ続 けている。
本学科は、イスラーム世界を学術的に研究することを目的とする。とは言え、イスラーム世界 は広大であり、学生の研究領域もスペイン・アンダルスから、中央アジア・中国新疆ウイグル地 区にまでわたる。将来的には東南アジアや南北アメリカ、ヨーロッパのイスラーム研究も十分射 程に含むものである。
本講座の学生は、学部2年次から、欧米諸語に加えて、アラビア語、ペルシア語、トルコ語の 3ヶ国語を漸次学習し、演習ではその3ヶ国語の中から原典史料を読む。さらに大学院になると、 現地語の写本・文書なども精読する。福岡に居ながら、アラビア語やペルシア語、トルコ語
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カイロの庶民街、オールド・カイロの娘と曾祖母
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エジプト「死者の町」を踏査する学科学生たち
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の原典に親しむ機会を得られるのであるから、恵まれた環境と言えるであろう。学科研究室の現 地語図書も拡充されつつあり、それらはインターネットを通じて、外部から簡単に検索できる。
筆者が構想する九大のイスラーム研究の特徴とは、一次文献を徹底的に読み込んだ上で、その 結果を[現地]の知的営為や実態と節合させるものである。そこでは、広義のフィールドワーク も重視されよう。もちろん、合米の分析概念・手法も充分に活用される。この言わば現地重視の 戦略的な意図は、次のように敷衍(ふえん)できる。すなわち、中東イスラーム研究に関して、 数百年の伝統と蓄積を有するヨーロッパに対し、いかにしてその問題点を克服し、独自の成果を 提示するかと考えた際、欧米からも十全に学ぶ一方、欧米経由によって欧米の研究レヴェルを目 標に設定している限り、それを超えるものを産み出しにくいように思われるのである。
しかも、中東イスラーム研究に関して言えば、欧米が歴史的経緯や国際情勢から、現在、現地 での活動にかなりの制限を強いられているのに対し、日本は中東で大変好意的に受け容れられて おり、はるかに優位な立場を獲得できる。また、キリスト教・ユダヤ教側からの関心や偏見によ り歪められてきたイスラーム像を括弧でくくり、一歩離れた地点から直接イスラームについて考 察することも可能になろう。
このように、現地語を自家薬籠中のものとし、かつフィールドワークや現代の諸情勢にも対応 できる人材の育成、というのが私の夢であり、自らに課す姿でもある。100%現地研究者にな ることもあり得ず、かといって欧米の学会力学において今のところ周縁的位置を免れ得ない日本 (東アジア)から、逆に新たなイスラーム研究のポジション創造が
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左から、カイロ・預言者ヨセフ兄弟の聖廟(11世紀)、マルディ ン(現トルコ)からシリア平原を望む、聖者誕生祭(エジプト)、アレキサンドリア・カーイト ベイ要塞(15世紀)
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可能であると考えるし、現地研究者からも多大な期待を寄せられている。
この現地との学術交流の一端記すこと、これまで、M・アフィーフィー教授(カイロ大学)、 M・ベンアブード教授(モロッコ、アブドゥル・マーリク・アッサアディー大学)、I・フアー ド氏(元エジプト国立図書館館長)などが筆者に関連して九大で講演会を行っており、アフィー フィー教授は2000年度、7ヶ月間九大に滞在して、筆者と合同で学部と大学院のゼミを行っ た。
また、本講座の教官側も1998年度には清水宏祐教授がトルコ、ドイツで写本研究に従事し、 1999年度は筆者が筆者がエジプト・カイロの日本学術振興会研究連絡センター長として勤務 して、日本とエジプトの学術協定締結へ向けて尽力した。筆者自身も現地で講演を行ったり(モ ロッコ、カイロ他)、各種学会に参加してきた。これ以外にも、毎年必ず現地を訪ね、つながり を絶やさぬよう心掛けている。もちろん、同時に欧米の研究者の知己も多く、実際に九大へ招聘 してきた。これらの成果は日本国内へも、本学科主催のシンポジウムや研究会等を通じて還流さ れている。
さらに、これらに呼応するように、学科からもアラブ諸国への留学生が増加しつつある。中央 アジア、パレスチナ、シリア、モロッコ、トルコ等を巡ってきた学生も多く、アラブ諸国からの 九大留学生との交流も続いている。
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最後に、私見になるが、福岡という位置取りを活かし、今後は韓国・中国の研究者とも協力し てゆきたいと考える。両国とも中東研究に進境著しく、またすでにアジア中東学会連合(AFM A)も立ち上がっている。これまで、九大・福岡県・市における「アジア」とは、もっぱら東・ 東南・南アジアまでを指し、残念ながら、西・中央・北アジアは全くその地図から欠落していた。 この歪みを正し、単なる掛声だけではない、現実のアジアとの腰を据えた交流が求められていよ う。
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(おおとし てつや 中東イスラーム社会史)
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学科のホーム・ページは
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/his_isla/
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九大における講演会
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上・左:モロッコ、アブドゥル・マーリク・アッサアディー大学に おける筆者の講演会より
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左から、カイロ・ハーキム・モスク(11世紀)、同ユーヌス・ダワーダーリー廟(15世紀)を望む、路地裏の子供たち(エジプト)、ウズベキスタン・サマルカンドのレギスターン広場
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