新たに部局長を務める先生方を、周りの先生や学生が紹介するページです。今回登場するのは、言語及び言語文化に関する研究組織である言語文化研究院の森研究院長、多数の医療従事者を送り出している医療技術短期大学部の梅村部長です。

言語文化研究院長
森茂太郎(もり しげたろう)

 森先生との最初の出会いは、西洋文学の授業。赤いスカーフを襟元に納め、ふらりと教室の入ってくると、いきなり中島みゆきの歌をいっぱいに鳴り響かせ、初回授業を開始されたのにはびっくりしました。「みゆきの歌を学ぼう会」の授業なのかしらと思いきや、彼女の歌を題材に、バルトからラカンに至るフランス現代思想の講釈を巧みに取り入れた授業が鮮やかに展開されたのでした。難解なフランス思想も先生の明快なご説明のおかげで理解でき、今思えば、先生の授業は私が教養部時代に受講した授業のなかで、もっとも魅力的で、楽しい授業であったといえます。

 専門課程に進学した後も先生の授業が忘れられず、他学科でありながら時折先生の授業に参加させていただいております。フラン文学には素人の私にも発音、文法というベーシックな事柄から、文学のもつ面白さに至るまで、わかりやすく丁寧にご指導いただいております。先生のご専門は、十九世紀フランス文学ですが、同時にラカン派精神分析学や神秘主義研究にも大変深い造詣がおありです。しかし、先生の授業にここまで惹きつけれられるのは、授業の面白さもさることながら、何よりも先生のお人柄によるものといえましょう。

CALLシステム

 ざっくばらんでウィットにとんだ語り口、陽気でお茶目なご性格、また学生に対しても同様に気遣って下さる気さくなお人柄ゆえ、学生の私としてはホンネで語り合える大変貴重な先生のお一人です。ただ、時折学問上の議論等で見せられる鋭い眼光には、学問に対し真摯に向かわれる先生の姿勢を窺うことができ、襟を正されます。

 これから大変重要なお仕事に就かれ、これまで以上にお忙しくなられるかと思いますが、先生の持ち前の明るさと柔軟さを生かしてご活躍されることを確信いたしております。(Y.S.)


医療技術短期大学部部長
梅村創(うめむら つくる)

 梅村先生は一九七四年に九州大学医学部を卒業後、九州大学第三内科に入局され、一九八三年に医療技術短期大学部(以下医療短大と略す)に講師として着任されました。その後助教授(一九八四年)、さらに教授(一九九四年)と、医療短大とともに歩んでこられました。その間、十年以上にわたって要求してきた医療短大の四年制への改組転換がようやく決り、医学部保健学科が二〇〇二年十月に設置され、二〇〇三年四月から新入生を迎えます。保健学科は看護学、放射線技術科学、検査技術科学の3専攻からなり、教育、研究内容のみならず、先生方の個性も極めて多様です。この多様な組織をまとめていくのは、並大抵のことではないでしょう。医療短大のなかでも一九五〇年代生まれの若手にして屈指の古手になられた先生は、広い視野とバランス感覚、ならびにたたかれても屈しない強靭さを併せ持たれ、変革期における最適任のリーダーとしてみんなの期待を一身に背負っておられます。先生はまた、釣りを大の趣味とされ、その獲物によるお酒を仲間内では期待していますが、なかなかお声がかかりません。また、温厚なお人柄と優しさ、ユーモアにあふれ、学生にも絶大な人気があります。

医療放射線技術学科実習風景

 さて、先生のご専門は血液内科学・血液検査学です。一九八七年から二年間、米国ワシントン州ワシントン大学医学部遺伝医学講座に留学され、スタマトヤノポロス教授のもとで、リコンビナント造血因子投与により生じるヘモグロビンスイッチングに関し、細胞生物学的および分子生物学的に解析され、鎌状赤血球症やサラセミア患者の治療におけるリコンビナント造血因子の有用性を示されました。最近は造血機構や白血病をテーマとされ、外部の研究者との共同研究を現在も活発に続けておられます。

 四年制、さらにはその先の大学院設置をめざして、医療短大みんなからエールをおくります。フレーフレー ume(ユーミー)! (F.T.)


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