新任部局長紹介

数理学研究院長
中尾充宏
(なかお みつひろ)

 中尾先生は、理学部数学科長、評議員などを歴任され、このたび数理学研究院長に就任されます。

ご専門は数値解析で、特に精度保証付き数値計算と呼ばれる数値計算法に興味を持っておられます。これは問題に対する解の存在および存在領域を数学的に保証するような、計算機による数値計算法のことで、数値的検証法とも呼ばれています。中尾先生は、その中でもこの十数年、偏微分方程式をはじめとする無限次元問題に対する解の存在検証も含めた数値計算法の発展に力を注いでこられました。「《コンピュータの中で無限を数学的厳密さでもって捉えられること》、それがこの研究における最大の魅力です!」と常々お話になられます。もれ承るところでは、現在およそ二十年に一度といわれる岩波数学辞典の大幅な改訂作業が始まっていますが、今回の改訂に際し、数値解析分野の中に「精度保証付き数値計算」という新しい項目が設けられるそうです。もし中尾先生のお仕事がなかったならばこの項目が新設されることもなかったであろうと想像され、それが先生の業績を端的に表すにピッタリの言葉だと思います。先生のモットーは、「和をもって貴しとなす」。常にまず相手の立場を考えられます。自分を誇ることはありません。タバコは吸いません。お酒は飲みます。カラオケは、声は素直なので、練習すれば上達する可能性があります。

この度、この記事を書くにあたってお酒の席で取材をしました。「先生の趣味は?」「…(しばらく考えて)…ないな。」自分を誇らない先生らしい回答でした。今後の活躍をお祈りいたします。

(Y・W)
人間環境学研究院長
丸野俊一
(まるの しゅんいち)

 「ゾリンゲンのナイフは切れすぎないように作ってあります」というのが、ドイツの有名な刃物メーカーのキャッチフレーズです。比喩的に言いますと、若い頃の丸野先生は「抜身の日本刀」のような人でした。まさに触れなば斬れるという感じで、当たるを幸い斬りまくるといった風情でした。しかし、年を経て(現在五十四歳)、いつしかそれはゾリンゲンのようになってきています。この丸野先生に実は繊細で濃やかな一面があることが、知られるようになってきたのもこの頃からでしょうか。実際、「丸野先生みたいにやさしい人はいない」と評価する人さえ出てきました。もっとも、時と場合によっては「抜き身の日本刀」に回帰することもないわけではありません。

 研究者としての丸野先生については、論理の明快さ、シャープな切れ味、説得力、着眼点の独創性等どれをとっても群を抜いているという定評があります。研究ひと筋という道もありえたのでしょうが、よりすばらしい学問的環境を創造していきたいという先生の情熱がいつしか学内行政でもその才能を開花させることとなったようです。その見識と手腕が人間環境学研究科・研究院の立ち上げにはなくてはならない存在であったことは、人間環境学研究院では万人(といっても総勢七十余名ですが)の認めるところです。ご専門は心理学の中でも、「認知発達」「教授―学習」で、現在は「創造的ディスカッション」についての研究に取り組まれており、研究と学内行政の両面から二十一世紀の九州大学に貢献していただけるものと期待しております。

 なお、先生のようなすごい人というのは、身近に接する方々にとっては、しばしばはた迷惑なものでもあります。しかし、よりよい学問的環境を創造したいという情熱に免じ、どうぞ暖かい目で見ていただきますよう皆様によろしくお願い申し上げます。

(S・T)
医学部附属病院長
名和田新
(なわた はじめ)

 新病院長にご就任された名和田新先生は山口県のご出身で昭和四十一年に九大をご 卒業後、第三内科に入局され、昭和六十三年に第三内科(現病態制御内科)の主任教授に就任されています。ご専門は内分泌・代謝学であり、特にライフワークのステロイド作用機構の研究では世界をリードしておられ、それらの業績に対し本年度の第一回日本内分泌学会賞の受賞が決定しております。名和田先生は現在、間違いなく日本でもっともお忙しい教授のお一人だと言えます。これから独立行政法人化という大学改革の荒波の中で九大病院のかじ取りをされるだけでも超大変な責務と拝察しますが、加えて本年十月に日本ではじめて開催されます国際ホルモンステロイド・ホルモンと癌学会の会長、来年四月には福岡で開催されます日本内科学会総会の会頭、極め付きは日本医学会総会の準備委員長と、常人には気が遠くなるような要職、激務のまっただ中に身を置いておられます。九大への深い愛情と強い使命感に支えられ、日夜邁進されるお姿には本当に脱帽の思いです。

 名和田先生は学問に対して常に熱い情熱をもち続けておられ、還暦を迎えられた今もなお、大学院生とのヒートデイスカッションを楽しまれ、先生の若々しさの源泉になっておられます。毎年の医局旅行では、新入医局員と夜を徹し、飲み、夢を語り合うのが慣習です。 ちなみにカラオケでは定番の「青春時代」を熱唱されます。名和田先生に接した方は一様に、気配りの細やかさに感激されると同時にそのバイタリテイーにも驚かされるようです。その秘訣の一つは食にあるのではないかと思います。飲み会でも一次会、二次会と満腹まで飲んで食べてこれでお開きかと思いきや「さー今からラーメンと餃子を食べに行くぞ」と号令がかかり、ぞろぞろラーメン屋に流れるため、はじめての先生方はその食欲にギョッとされるようです。

(T・Y)

【投稿】

城野節子先生を偲ぶご命日は私の誕生日でした

岩本 桂

1962年6月23日東中洲サッポロビール2階で催された「第三分校同窓会」にて。前列左から、城野節子(フランス語)、江嶋寿雄(東洋史)、佐々木一義(教養部長)、白井正(法律)、石中象治(第三分校主事)、進藤誠一(初代教養部長)、後藤武士(西洋文学)、森永隆(ドイツ語)、(フランス語)の先生方。後藤先生の後ろが筆者。

 城野先生のご逝去は、旧教養部OB会長山口さんからのお葉書で知った。今年も年賀をいただき、先生のお達者なお姿を想像していた矢先での急なお別れは、21世紀最初の年の1月22日古希を迎えた私にとって「人生の宿題」を与えられた思いである。昨年の誕生日の朝は又「昨日、奥田八二先生が亡くなった」との博多からの電話で始まった。今ではほとんど故人になった旧第三分校旧師たちの「人生と学問」が、私の貧しい人生から甦ってくる。私は先生の『私のふらんす日記−ノルマンディの小さな町にて』(1960年)、『音の魅力にひかれ』(1993年)をゆっくり再読中。1914年10月中国旧満州奉天に生まれて、中国青島で思い出深い娘時代を過ごされ、87歳という長寿を全うされた城野先生、静かにお休みください。老人の私には今、フォスターの名曲『OLD BLACK JOE』のメロディが寂しく聞こえてくる。

(いわもと かつら 1955年経済学部卒)

注)


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