マリーエン広場のミュンヘン「新」市庁舎

◎協定校紹介

ルードヴィヒ・マクシミリアン大学(ミュンヘン大学)

 今回は、ドイツのミュンヘン大学(正式名称:ルードヴィヒ・マクシミリアン大学)を、平成13年10月から本年7月まで交換留学生として同大学に滞在した大場さんに紹介していただきます。九州大学とミュンヘン大学とは昭和59年(1984)1月に大学間交流協定を締結し、教官、学生を問わず幅広い交流が行われています。

ドイツ文化都市ミュンヘンでの交換留学

文学部西洋史学科4回生  大場 はるか

大場さんの誕生日パーティーで、
ブルガリア人のナーデャと。

 ヨーロッパのほぼ中心にあるミュンヘンは、ドイツ連邦共和国のバイエルン州の州都です。11世紀ごろからおよそ700年以上もの間バイエルン地方を治めていたヴィッテルスバッハ家が文化を奨励、保護したためか、今でも古い文化、伝統がよく残り、また、新しい文化や技術の発展、保護にも積極的な都市です。そのような都市ミュンヘンには世界各国からその多様な文化、技術にじかに触れたいと思う多くの学生が集まっています。

 わたしは九州大学で西洋史学を専攻していますが、ヴィッテルスバッハ家の行った文化政策などに興味がありました。それを卒業論文のテーマとしたいと考えるようになり、そのためにやはり、実際に今もその名残をとどめるミュンヘンで勉強がしたいと思い、交換留学制度を利用しようと思い立ちました。ミュンヘンにはわたしが交換留学生として学んだルードヴィヒ・マクシミリアン大学(通称ミュンヘン大学)のほか、ミュンヘン工科大学、美術アカデミー、音楽大学などもあり、それぞれの大学に意欲を持った多くの学生が学んでいます。

 大学についてですが、学期は冬学期と夏学期にわかれていて、冬学期は10月から、夏学期は4月から始まります。授業数に関しては、一般の学生の必修授業数は日本よりずいぶん少ないようですが、ひとつの授業で扱う広さが日本よりずいぶん広いように思われます。マギスター制をとる学生も多いため(主専攻1、副専攻2)学科、専攻の間の壁がなく、自分の興味しだいでいろいろな授業を聴くことができます。また、そのような違った分野を勉強している友達をつくることもできます。また、さまざまな専攻別の図書館、古文書館、博物館、美術館などの数も多く、内容も相当なものですし、学ぶ学生には親切に広く開放されていますので、そのような機関が自分の興味をしっかりとサポートしてくれます。

 交換留学生という立場は本当に至れり尽せりで、住宅難のミュンヘンの中で寮が確保されている他、留学生課の提供するさまざまなプログラムに参加できる資格があります。その中には到着後のドイツ語のサポートコースをはじめ、他の留学生との交流も兼ねたドイツの各都市への旅行、スキーツアーなどがあり、費用もかなりの部分を留学生課が持ってくれます。また、なにか予期しない問題があったときでも、留学生課に直接駆け込むか、Eメールや電話で連絡をとって事情をきちんと説明すれば、なんらかの手助けを受けることができます。

ミュンヘン大学のそばにある「勝利の門」。
森鴎外の「うたかたの記」にも登場する。

 多くの他のひとたちと同じように、ドイツで勉強するという気持ちで自分はドイツに来たのですが、ミュンヘンではドイツやドイツ語を越えて、いろいろな意味で広い経験ができました。寮の友人の国籍をひとつ例にとっても、ドイツ人のほか、ブルガリア人、イラン人などなど、本当に多国籍です。毎日のように耳に入る各国語から、キッチンでつくる各国の手料理まで未知なものばかりですし、そういう友人との半共同の日常生活のなかで多種多様な視点、価値観、生活様式などに触れることができます。もちろん問題が起こることもありますが、他の学生たちも自分と同じように違う文化に身を置いているという意味で同じ立場にありますので、話し合ってわかりあえることがほとんどです。また、そのような話し合いをすることがそれ自体良い経験になりますし、さらに良い友人関係を作る薬ともなっていきます。

 日本人ということに関しては、ミュンヘン大学には日本学(Japanologie)という日本の文化や日本語を学ぶ専攻があって、その専攻を学ぶ学生やその専攻の授業を通しておもしろい経験をすることができます。まず、日本に特に興味のある学生と知り合うことになるので、友人がつくりやすいです。また、自分があたりまえのように身に付けてきた日本の価値観や文化を分析してドイツ語で説明しなければならないという経験はなかなか未知の世界であり、日本について客観的にあらためて考える機会を与えてくれます。

(おおば はるか)

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