Q
一部では始まる前まで、 冷めた雰囲気があったようですが。

石川:そうですね。共催とはいうものの 分催ではないかと言われたり、共催で何 を実現するのか、必ずしもはっきりして いませんでしたね。
 私が一月にゼミで釜山の新羅(シルラ)大学に行 ったとき、交流会をしましょうと事前に 提案していたのですが、テーマなどは行 ってから決めればいいから、という気楽 な気持ちでした。そしたら、大学の構内 に入ると『ワールドカップ韓日学生交流 討論集会』という横断幕が貼ってあるの です。「ほう、こんなのがあるのかな、 こっちは熱気があるな」と、感心してい たら何の事はない、我々の交流会のこと だった(笑)。単なるゼミの 交流会のつもりだったのが、 テレビ局が三局も来るとい う大げさなものになってい まして、学生たちは緊張し てしまって(笑)。
 後で考えると、こちらは 何の準備もしていなかった から、かえって本音が出て よかったのかもしれない、 と思いました。そこで感じ たのは、ワールドカップに対する日韓の期待の温度差 でした。韓国側は「韓国を 世界にアピールできる」「何 億の経済効果がある」など、 学生がワールドカップにこんなに期待し ているのかと驚きました。それに対して、 日本は少し冷めていましたね。「都市間 の交流は進むのではないか」「ギクシャ クしている歴史認識の問題の、改善の糸 口がつかめるのではないか」というのが プラス面で、「大型スタジアムを造って、 環境を破壊するのではないか」といった 環境面の危惧をマイナスとして挙げてい ました。日本全体にも、そういう冷めた 雰囲気が確かにありましたね。

ワールドカップがもたらしたもの

Q
終わってみていかがですか。

石川:いろんな面で想像以上の効果があ りましたね。若者の間では、本当の意味 で、共催になったと思います。過去には いろいろあったけど、新しい関係を築か なくてはいけない。韓国はあまり好きで はないと思っていたけど、韓国はすごい、 あの迫力はどこから出てくるのか、とい うふうに韓国に対する興味が生まれたと 思います。
本蔵:僕も日韓交流という意味では、こ れほど大きく進展するとは思いませんで した。それはやはり、日韓とも決勝トー ナメントに勝ち進んだということが大き かったと思います。今まではお互い報道 されずに理解されてなかったと思うので す。お互いのことが毎日のようにマスコ ミで流れたことによって、サッカーを媒体として、日韓友好が進むいいきっかけ になったと思います。
:私は一緒に応援したことも、韓国が ベスト4に残ったことも奇跡だと思って います。私は、失礼ですけど、日本のこ とが好きじゃなかった(笑)。もともと 日本には興味があったんですが、日本人 についてはいやと感じる部分がありまし た。でも、この韓国研究センターで日本 人は韓国を心から応援してくれて、あり がとうという気持ちでいっぱいです。私 たちは留学生なので寂しい気持ちがあり ますが、その時は日本人のことを本当の 友達だと思いました。韓国と日本は、ワ ールドカップだけでなく、ずっと仲良く してくれたらいいですね。
石川:日本がトルコに負けた日に、韓国 がイタリアに勝ちました。あのときは自 分のことのようにうれしかったです。
瀬戸山:本当です。みんな必死で韓国を 応援しました。あのときが一番盛り上っ た。
石川:「Pride of Asia 」と競技場にも 書いてあったけど、本当にそんな気がし ました。韓国の勝利はアジアの誇りだっ た。あのとき理屈ではなく、アジアの一 体感のようなものがありました。終わっ て思うのは、韓国の粘りと精神力に対す る素直な賞賛の念が生まれたこと、アジ アの一員という自覚が芽生えたことです ね。それから韓国にしてみれば、日本は 「負けられない敵」だったのが、「負けら れないライバル」になった。日韓関係か らすると、予想外の成果が生まれたこと でした。芽生えたものをどう生かしてい くかは、これからの課題です。

共同応援の経験を踏まえて 今後更なる交流を

:韓国の若者も日本の文化に 関心を持っている人がたくさん いるので、早く文化の交流が進 めばいいと思います。歴史の問 題などがありますが、もう二十 一世紀なので、早く交流を進めてもらいたいです。
:高校生のときに日本の映 画、「ラブレター」や「HANABI 」「Shall we dance?」を韓国で見 ることができてほんとに嬉しか った。これから、もっと日本の 映画や漫画などを見ることがで きたらいいですね。
瀬戸山:以前、ソウルに行ったことがあ って、延世(ヨンセ)大学の人と話をしたんですが、 韓国の歴史教育では「日本が悪い」と教 えているらしいのです (笑)。それが続くと障壁 は取り除けないのかな、 と思います。友達として は親しいのに、政治的な 問題が入ると交流できな いのはどうしたらいいの かと思いますね。
:日本は子供のときか ら、韓日の歴史について 習わないと聞いて、どう してなのかと思います。 日本に来る前も、歴史教 科書の問題が発生して困 りました。今後お互いの 交流が続けば、嫌な感情 も減ると思うし、そうい う未来が早く来ればいいと思います。
石川:日韓で解決されていない政治的な 問題もありますけど、もともとこの韓国 研究センターは研究と同時に、交流も目 的として作られたのですから、我々は共 同応援の経験を踏まえて一歩、歩を進め たいですね。実は、最近調べてわかったことですが、九州大学は戦前から七百人 以上の韓国・朝鮮の学生を留学生として 受け入れてきています。これは日本の大 学の中では最も多く、韓国の留学先とし ても、最も学生の数が多い大学の一つで す。そして、この留学生が帰国して、戦 後の韓国社会を創ったのです。特に、日 韓国交正常化前後の二人の駐日韓国大使 は九州大学の卒業生だし、学界や経済界 での活躍も目覚ましく、当時の大臣も八 人が九州大学出身なのです。九州大学は 創立以来、アジアに開かれた大学です。 九州大学に学んだ留学生たちの多くが、 韓国社会に貢献したという歴史もありま す。そういう九州大学の歴史の中で培わ れたものが、今回芽生えるべくして芽生 えたとも言えるのではないでしょうか。 平成十七年から九州大学は糸島半島に移 転を開始しますが、移転地である元岡は、 古代から韓国と縁の深い地域です。ここ で芽生えた交流の芽を、新しい場でも生 かしていきたいと思います。

今日は皆さんどうもありがとうございま した。

韓国研究センターの 利用状況と活動

 九州大学韓国研究センターは、韓国を 中心とする朝鮮半島地域に関する研究を推 進し、九州大学と大韓民国との学術・文化 交流の拠点となる施設として、日本の国立 大学としては初めて、平成11年12月に設置 され、本年4月文部科学省令に基づく施設 になりました(本号12頁、クローズアップ 「国際交流」に、杉岡前総長から「二つの 決断―韓国研究センター創設の経緯」とし て、設立の詳細が寄せられています。)
 センター1階のラウンジ(談話室)は、韓 国に興味を抱く九州大学の教職員、学生、 留学生、九州大学で研究を行う外国人研究 者などが、気楽に立ち寄って韓国関係の雑 誌の閲覧や、懇談などをするための交流ス ペースです。常時、コンピュータ検索や韓 国関係のビデオ鑑賞などで利用されていま す。
 2階はこの程拡張され、研究者交流室 (会議室)、共同研究室、センター長室があ ります。韓国関係書籍・ビデオなどが常備 されており、韓国からの訪問 研究員などの研究室や、韓国 研究などのための各種会議の 開催に活用できます。
 また、当センターは韓国国 際交流財団の支援を受け、平 成11年度からさまざまなプロ グラムの募集、実施をしてい ます。その一部を紹介すると、 平成14年度は@韓国研究奨学 金事業として、修士・博士課 程の学生8人が奨学金助成を受け、A韓国 語学研修に学部・修士課程の学生15人が、 8月に3週間、韓国の大学で語学研修を受け ました。
 共同研究プロジェクトとして、人文科学 研究院・法学研究院・比較社会文化研究院 の3人の研究者が各々助成を受け、さらに 言語文化研究院と人文科学研究院に韓国の 大学から2名の研究者を招聘しました。ま た日韓学術シンポジウム2件も開かれます。 プログラム募集の詳細は、当センターホ ームページをご覧ください。
*URL:http://rcks.isc.kyushu-u.ac.jp
 当センターの活動の状況は、センター発 行の『年報』『News Letter』のほか、各 共同研究プロジェクトの報告書にまとめら れています。また、本稿「日韓学生座談会」 のなかで言及された、戦前の韓国・朝鮮人 留学生については、『朝鮮半島から九州大 学に学ぶ─留学生調査(第1次)報告書 1911〜1965』で報告されています。当報告 書については、当センターまたは国際交流 推進室(092−642−4323)にお問い合わせ ください。


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