特別企画  東京座談会2003.


「アジアから見て、魅力のある大学にならなければならない。 九州大学というブランドをもっと高めなくてはならないし、 情報を発信し、オピニオン・リーダーにならなければいけない。」
(増田)
増田 信行
(ますだ のぶゆき)
昭和32年九州大学工学部卒。三菱造 船株式会社へ入社し、三菱重工業株式 会社広島製作所副所長などを経て、平 成7年6月三菱重工業株式会社社長に 就任。平成11年6月から会長。

アジアの オピニオン・リーダーに

増田   中国、韓国が非常に元気がある ということはおっしゃるとおりで、と にかく走っている自動車から止まって いるビルやアパートまで、すごい勢い で変化しています。それはちょっと見 ただけですぐ分かる。また、向こうの 企業を訪ねましても自信満々。昔は日 本に教えてほしいと言っていたのが、 今はどうぞ見てくれ、というように自 信たっぷりです。中国での国営企業は 三分の一程度になって、今は私営企業 が中心になっています。中心となって いる人たちの多くは、アメリカやヨー ロッパで資格を取って帰ってきて、今 活躍しているわけです。日本への留学 生はそれほど活躍していないという現 実があります。
 アジアに向けて交流を求めていくの であれば、やはり、向こうから見て、 魅力のある大学にならなければならない。そのためには、まず特色があるこ とと、どんどんPRすること。とにか く九州大学というブランドをもっと高 めなくてはならないし、情報を発信し、 オピニオン・リーダーにならなければ いけない。
 現在日本の産業界は元気がないので、 アジアの企業は「日本何するものぞ」 と思っているかも知れませんが、今年、 ノーベル賞を二人同時に受賞しました。 「韓国は政策として、日本よりも欧米に 学べと奨励してきたが、産業界があれ ほど衰退していてもノーベル賞をもら えるということは、やはり日本には底 力があるということだ。もっと日本を 再評価しよう、という気運が出つつあ る」ということを韓国の人が言ってい ました。日本人は皆自信を喪失してシ ョボンとしていますが、自分たちには 底力があると頑張らなくてはいけない。 九州大学には、そういう気持ちで頑張 ってほしいのです。
 九州大学の卒業生をずっと見ていま すと、ある年代のときには目立たなく ても、相対的に、実務的には非常に優 れている。質実剛健で、口下手で、い わゆるPR下手ではありますが、コツ コツと努力をしていくという点が九州 人の、九州大学生の特色なのかなと思 います。また、学生の特色とは別に、 外から見た大学の特色というものもあ ります。例えば、工学部で言えば、東 北大学の金属材料、名古屋大学のプラ ズマなど皆よく知っています。ですか ら、この分野だったら九州大学のあの 学部というような特色を一つか二つ作 ってもらいたいと思います。

藤井   九州大学にもたくさん宝石はあ るのだと思いますが、それを磨いてい ないとか、宣伝していない、人の目に つくところに出していない、というよ うな面で下手なところがあると思いま す。九州大学を遠いところから眺めて いると、かなり水準の高いところにあ る。特に工学系の水準はかなり高い。 ビジネス界でも実務に長けた元気のい い人材を輩出する大学だというイメー ジがある。その辺りをもっときちんと 認識して、メッセージを伝えたらいい と思います。
 国際交流については、学生自身の留 学にしても、九州大学ではアジアを中 心に行うということが必要ではないで しょうか。九州大学の学生が現地に行 って、その土地の文化や社会などを実 地に学んで帰ってくる。学生同士の交 流を基盤として国際化を進めていくと いうことです。もちろん、向こうから の留学生を受け入れるということも重 要ですし、これに関しては、九州大学 には長い歴史があります。

古川   日本の留学生がアジアに出かけ てさまざまなことを吸収してくること も大事ですが、中国や東南アジアの人 が九州大学に来て、素晴らしい勉強が でき、いい仲間ができて帰るというこ とのほうが、より重要だと思います。 宿泊施設だとか資金面など、一大学の 問題というより政府の問題という側面 もありますが、九州大学に来て良かっ たなという人を一人でも多く作ること、 そのような環境作りをする努力が必要 ですね。東南アジアなどからきた人は 向こうに帰ると、あっという間に偉く なります。大学時代に机を並べていた 人が、自分はまだ課長なのに、向こう はもう大臣になっているというような ケースがたくさんあるといいます。
 そうした人々の九州大学での楽しく 豊かな体験が、将来、日本にとっても、 国際社会においても、大変プラスにな ることは間違いないと思います。

「学生はとにかく勉強することだ、 アルバイトをしないで済むものなら しないで勉強した方がいい。」(箱島)

グループ単位での 産学連携

梶山   九州大学は二つの将来構想の柱 を建てております。一つはアジア指向。 もう一つは新創造科学への展開です。 新創造科学への展開という柱は世界的 な大きなテーマですから当然必要です が、これからのアジアにどうやって切 り込むかということはとても重要にな ります。九州大学の産学連携チームが、 中国の大学、企業、自治体を含めた連 携の模索を始めていますが、中国の大 学と交流協定を結ぶことが重要だった 時代はもう終わり、これからは何の目 的に向かって一緒に行動するかが重要 になってきているということです。

増田   そうです。どこの大学でも、生 き残りをかけて一所懸命に考えており、 そういう姿勢が問われているのだと思 います。産学連携やアジア重視、ある いはなんらかの特色を出さなくてはということはどこの大学でも同じような ことを言っておりますので、その中で 九州大学の特色は何かということを考 えなくてはいけない。
 社会との関係で言えば、産学連携を 通して産学の人事交流も進めていく必 要があります。今まではそれができな かったが、法人化すれば可 能になるのではと思うので すが。

梶山   大学の教官に関しま しては、昔に比べるとはる かに多く企業の方が入って おり、そういう形での産学 交流はかなり進んできてい ます。

増田   例えば、大学の教官 が数年企業で研究するなど の産学交流がもっと進むこ とが必要だと思うのです。 共同研究もこの中に含まれ ます。大学なり学部できち んと受け止めるシステムが 必要です。今までは大学に 頼みに行くのではなく、教 授個人に頼んでいました。 そこで、日本の大学との共 同研究は面倒だ、アメリカの大学や研 究所に頼もう、ということになってい ました。

梶山   法人化を待つまでもなく、企業 と大学のグループ単位での交流は始ま っています。確かに、今までは企業と 大学の個人教官との関係でした。しか し、それでは問題が解決した途端に関 係は切れてしまいます。大学としても メリットがないし、産学連携は発展し ていかない。やはり、グループとして の関係を作り上げて、評価を積み重ね ていくことが必要です。

箱島   今、評価のことが出ましたが、 評価とか競争は活性化のもとだと思い ます。評価によって、クオリティを高 めていく。その点からいえば、学生が 教授を評価する、あるいは教授や助教 授の任期を定める、などという教授に とっては非常に辛い選択を九州大学が 率先して行うことによって、評価は変 わってくると思います。

増田   私の考えはちょっと違います。 評価、競争のあり方というのは、九州 大学でも「あの学部なら行きたい」「あ の学部なら、東京大学よりも九州大学 を選ぶ」、そういった大学の評価のあり 方ですね。

箱島   確かに、そのような大学の評価 のあり方も、それなりに大学にとって は厳しいものですね。

古川   法科大学院(ロー・スクール) が二〇〇四年から開設されますが、こ れは是非とも成功させてほしい。これ に成功しないと、法学系に良い人材が 集まらなくなり、法学部自体が後退し ていくのではという危惧があるからで す。法科大学院というのは実務専門の 部門で、有能な専門職業人を育成し社 会に送り出すところです。法科大学院 に行った人が全部法曹界に行くとは限 らない。経済界にも官界にも行く人が 出てくるでしょうから、これに失敗す ると、九州大学全体の評価を落とすこ とにもなりかねないわけです。人員の 問題その他いろいろと難しい側面もあ るでしょうが、是非成功させていただ きたい。

増田   今日は工学部出身者は総長と私 だけですが、もうずいぶん以前から、 学生の理工系離れや、職業についても 製造業離れなどが言われております。 その責任の一端は製造業に携わってい る私どもにあるのかも知れませんが、 資源のない日本では、資源を外国から 輸入して、加工して、輸出しないと国 としては成り立たない。この重要性を よく理解させていただきたい。理工系 学部を卒業した人が、銀行などサービ ス業に就職していることを聞くと、私 としては悲しいものがあります。いず れにしても日本のGDPの四分の一は 製造業で稼いでいるわけです。これが 本当になくなれば、今言われている産 業の空洞化ということですが、これは 大変な事態です。ものを作ったことの ある人なら分かると思いますが、もの ができたときの喜びが理解できる人間 を、大学でも育成していただきたい。

梶山   理工系離れは、入学試験の科目 が難しい、大学に入っても休みがない などというようなところにも要因があ ります。少々困難が伴ってもいい、も の作りが楽しい、そういう学生を育て なければなりません。そのために、学生や先生が高校に出前授業に行ったり、 日曜日に小・中学生を集めて実験をや ったり、地道な努力を始めています。 それで喜びを知った子どもは後で理工 系を受験してくる。これまで、その辺 りの努力を大学側は怠ってきました。

増田   今までは欧米に追いつけ、追い 越せでやってきましたが、やっとジャ パン・アズ・ナンバーワンと言われる ようになって、ふと見たら頂上がどこ か分からない状態になっていて、しか もこれからは白い紙に新しい絵を描か なければならない。そこに優秀な理工 系の学生がどんどん入って来てくれな くては困るわけです。

撮影=高橋 昇
(※印を除く)

「地元の住民との連携も重要だと思うのですが、 もっと大きな意味での地方行政との連携ということも 大学としては重要なことだと思います。」(藤井)

新キャンパスに描く夢 ―総合大学の力を活かす

箱島   学問というのは、医学と生態学 とか、バイオをめぐる共同研究とか、 それぞれが関連を持って成り立ってい ます。学生には、医学部や経済学部や 法学部などほかの学部の人と交流して、 お互いに刺激をし合い、楽しく有意義 な学生生活を送ってほしいと思います。 総合大学であるという利点を活かして ほしいのです。
 新キャンパスのマスタープランはす でに確定しているのでしょうが、西の 方が理科系、東の方が文科系で色分け され、しかも端から端までは結構距離 があります。ですから、真ん中辺りに 教育棟というようなものを作り、理科 系も文科系も主な講義はそこで行われ るというような工夫があってもいいの ではないでしょうか。

梶山   低学年では、文系理系の学生が、 おっしゃるような形で交流できるよう になっています。

箱島   そうですか。大学において、ど うしたら学生同士が交流し合えるかと いうことを考えて、キャンパスづくり に関しても立案していただきたい。そ れが総合大学としての力を活かすこと だと思います。
 また、できるだけキャンパスの中に 温かさやしなやかさという感性を活か してほしい。コンクリートの固まりと いうような、冷たく、よそよそしい感 じにはしてほしくないですね。

増田   ヨーロッパの大学に行きますと、 町の中に大学があり、大学の中に町が あるといった感じですね。全体が渾然 一帯となって成り立っています。

箱島   日本の大学は、塀に囲まれて隔 離された雰囲気の中に作られています からね。また逆に、大学は別天地にも ならないように。博多という活力も歴 史もある街に九州大学はあるわけです から、そこと遮断されないようにして ほしいです。

藤井   筑波大学に研究で通っていたと きに思ったのですが、当時(二十年前) の筑波には、赤提灯みたいな場がない ものですから、潤いとか、優しさとか 温かさ、賑わいというものが全くなか った。今はかなり普通の町らしくなっ てきましたが、それと同じような感じ を、新キャンパスのプランからも受け ましたので、少々心配です。アメリカ の大学に見られるような、キャンパス の真ん中が広場になっているなど、み んなが集まる場があるというような工 夫がほしいですね。
 また、地域との連携も重要なことだ と思います。地元の住民との連携も重 要だと思うのですが、もっと大きな意 味での地方行政との連携ということも 大学としては重要なことだと思います。 北海道大学や九州大学の場合には、都 道府県行政や市町村行政との連携を、 産業だけでなく地方行政との関わりも、 視野に入れていく必要があるのではな いでしょうか。特にこれからは、基礎 的な自治体として市町村行政が位置づ けられるわけですから。さらに住民の 方々、特にNPOやボランティアのコ ミュニティ活動との連携あるいはサポ ートということも、これからの大学に は期待されるのではないでしょうか。 その延長線として生活産業、福祉産業 が出てくる可能性は考えられますね。

梶山   大学ができて、その後で町が形 成されるということがあります。アメ リカのスタンフォード大学はその例で す。そういう魅力ある町づくりが学術 研究都市構想であり、産学連携や国際 交流の面から望まれることでもありま す。また寮は、国内の学生と留学生と を含めて二千人程度収容できるものを 予定しています。筑波の場合にもそう ですが、人が住むようになると次第に 町らしくなってきます。

中野   今日は、九州大学が現在おかれ ている状況を踏まえながら、これから の大学のあり方に対する貴重なご意見 をいただきました。特に、ブランド・ イメージの話や、切り捨ての勇気の話 など、ドキッとさせられるような斬新 なご意見もいただきました。ただ、基 本的なスタンスとしては、現在進めている計画を肯定していただいているも のと認識いたしました。今後は、皆さ んからいただいたご意見を実現させて いくべく努力して参ります。今日はど うもありがとうございました。

(座談会は、平成十四年十一月二十七日に、ホテル オークラ東京で行われました。)

ロビーで記念撮影。
出席者と、列席した
(後列左端)柴田広報専門委員会委員長
(後列右端)早田事務局長



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