◎研究紹介
糖鎖生物学の革命をめざして
―線虫による糖鎖関連遺伝子の解析
理学研究院 生物科学部門 助教授 野村 一也
とう さ
糖鎖とは何か? 何をしているのか?

 糖という言葉から何を連想されるでしょう?お砂糖でしょう か?甘さひかえめ、糖分ひかえめのジュースや食品でしょう か?。糖尿病かもしれません。ブドウ糖(グルコース)、果糖あ るいは小学校などで習ったデンプンやセルロースも糖の仲間で す。ブドウ糖や果糖はつながらずに単独で存在しています(単 糖といいます)。これに対してデンプンやセルロースなどは単糖 がいくつも鎖のようにつらなった分子で、こうした分子を糖鎖 と呼びます。糖鎖は枝分れすることができ、単糖同士のくっつ き方も多彩ですので、たとえば6個の単糖が結合してできる糖 鎖の種類は1兆種を超えます。6個のヌクレオチドが結合して できるDNAの種類はわずか4096種類ですから、糖鎖の多様性は まさに天文学的数字に達する訳です。糖鎖はDNAや蛋白質に次 ぐ生命の第3の鎖と呼ばれ、21世紀は、糖鎖を研究する生物学 である糖鎖生物学の時代だといわれています。実際、糖鎖生物 学の研究は国を挙げてのプロジェクトに選ばれています。そし て九州大学では昔から糖鎖の研究がとても盛んなのです。

 糖鎖は、脂質や蛋白質に結合して存在していることが多く、 生物の細胞の表面は糖鎖でびっしりおおわれています。糖鎖は 細胞に個性を与えることから、「細胞の顔」ともいわれており、 バクテリアの作る毒素や多くのウイルスはこの細胞の顔を見て 細胞を殺したり、感染したりします。インフルエンザウイルス は細胞の表面の特別な糖鎖と結合して感染・増殖するので、イ ンフルエンザの特効薬はこの糖鎖をなくすことでウイルスの増 殖をストップさせます。コレラ毒素や病原性大腸菌O157の毒素 も細胞の表面の特定の糖鎖に結合して細胞を殺します。そこで 毒素と結合する糖鎖を投与して毒素が細胞に届く前に中和して しまおうという治療法も試みられています。ある種の癌の細胞 では細胞表面の糖鎖が変化しているので、この糖鎖の変化の検 出は病院の検査部で毎日行われているありふれた診断法の一つ です。ある種の癌を手術で取り去った後の転移による再発率も、 癌細胞の表面の特定の糖鎖の発現と強い関連があることが知ら れています。でもどうして特定の糖鎖が癌の転移と関係してい るのか、どうして癌細胞では糖鎖が変化しているのかについて はまだほとんどわかっていないのです。

糖鎖の機能を線虫で調べる

   私たちはモデル生物である線虫( C. elegans: シーエレガンス と読みます。図1を参照)を使って糖鎖の働きを調べています。 目標は糖鎖の根本的な役割を明らかにして、癌やその他の病気 の治療、いろいろな薬の開発などにつなげようというものです。 線虫では全DNAの配列・全細胞の発生の様子、全神経細胞のネ ットワークがわかっており、ほとんどの遺伝子が人と共通であ ることから、人の重要な遺伝子の機能の多くが線虫の研究で解 明されています。インターネットの線虫情報データベースも充 実しており、世界中の研究者が日々、互いに無償で助け合いな がら研究をすすめるという大変優れた伝統をもつ研究体制をと っています。昨年のノーベル医学生理学賞が線虫で細胞死のメ カニズムを解明した3人の研究者に贈られたことからも、線虫 の研究の有効性が想像していただけると思います。

 私たちは人の糖鎖に関係のある遺伝子で、線虫に似たものが あるもの全てを選び出して、その遺伝子機能を破壊して何がお こるかを調べています。遺伝子機能の破壊にはその遺伝子の突 然変異体をとる方法と、その遺伝子の作るmRNA(一本鎖です) からそれに対応する二本鎖のRNAを作ってそれを線虫に与える という方法があります(RNAiという実験方法です)。遺伝子を破 壊した線虫の受精卵は4次元顕微鏡という顕微鏡(図2を参照) で観察して異常がおこらないかどうか観察します。4次元顕微 鏡は、透明な線虫の卵の内部を自由に観察できる全自動蛍光タ イムラプス微分干渉顕微鏡で、卵をのせたスライドグラスが自 動で前後、左右に自由に動きます。また対物レンズが自動で上 下するので、卵の立体構造(3次元の構造)が完全に自動的に 観察でき観察結果は全てコンピュータに記録されます。卵は 時々刻々と細胞分裂していきますから何秒かおきにこの3次元 的観察を繰り返せば、発生していく卵の様子が全て記録できる 訳です。3次元プラス時間で4次元の観察ができるというので 4次元顕微鏡と呼ばれます。

糖鎖が細胞分裂を制御していた!

   糖鎖に関係した遺伝子の一つ、コンドロイチン合成酵素とい う遺伝子の機能をRNAiで破壊して、コンドロイチンという糖鎖 が減ってしまった線虫の発生を、4次元顕微鏡で解析していた 時のことです。博士課程の大学院生だった水口惣平君が私を呼 びに来ました。コンピュータの記録した映像におかしなものが 映っているというのです。二人で見てみると、線虫の受精卵の 細胞が、2細胞、4細胞、8細胞というように分裂していくの ですが、なんと8細胞になった細胞がまた6細胞や4細胞へも どっていくのが映っていたのです。細胞分裂が逆行しているの です!(図3を参照)細胞分裂は染色体がつまっている核の分裂 と、細胞質が2つになる細胞質の分裂という、2つの過程から なっています。よく観察してみると核の方はどんどん増えてい るのですが、細胞質の分裂が異常になって細胞分裂が逆行して いるようなのです。どうやらコンドロイチンという糖鎖は細胞 質分裂に重要な役割を果たしているようです。コンドロイチン が線虫の細胞の表面からなくなると、全く細胞質分裂がおこら ず細胞の核だけがどんどん分裂してたくさん核をもつ異常な細 胞ができてしまいます。コンドロイチンは線虫だけではなく人 にもありますがその機能は全く不明でした。細胞分裂に糖鎖が かかわっていることも今まで全く知られていなかったので、今 回の発見は糖鎖の未知の役割を解明する糸口になると考えてい ます。人でもコンドロイチンがなくなると異常がおこるかどう かは全くわかっていません。ひょっとしたらコンドロイチンや その仲間の分子がなくなることで、細胞の染色体に異常がおこ り、そうした細胞から癌が発生する場合があるかもしれません。 これからの重要な研究課題です。

 現在、九州大学では工学部、農学部、薬学部、医学部、理学 部などでそれぞれ世界的な糖鎖生物学の研究が進められていま す。学生の皆さんには是非、自分にあった研究室を選んで糖鎖 生物学の世界に飛び込んでほしいと思います。「新しい風は西か ら」ということで、糖鎖生物学の革命を九州大学を拠点として 皆で進めていければと願っています。

(のむらかずや 発生生物学 糖鎖生物学)

@日頃心がけていること、モットー。
─チームワークを大切にする、新しいことに常にチャレン ジする、独創性を常にもとめるが独りよがりにならないよ う常によき批判者と助けてくれる友人を持つ、若い人から どん欲に知識を吸収する、世界のレベルから落ちこぼれな いようにがんばるなどです。
Aどんな学生時代を過ごされましたか。
─学生時代、学生の自主性を尊重しながらも決して学問研 究の本道からはずれないよう、(ちょうど優れた親が子供の 成長を見守るように)いつも気配りして見守り育ててくれ る先生の研究室で研究できて幸せでした。
Bひらめきの瞬間、研究が新展開した瞬間について。
─いつも優れた共同研究者にめぐまれて研究に新展開 が生まれています。時々本当に面白い発見があるから 研究はやめられません。

図1:線虫C. elegansの写真。成虫の長さは1oくらい。全細胞数は1000個ほど、神経細胞は300個ほど。
全DNAの塩基配列が決まった最初の多細胞生物である。この写真は青い光を当てると、
糖鎖関連のある蛋白質が緑に光るように遺伝子操作して作ったトランスジェニック線虫。


図2:4次元顕微鏡とそれを駆使して作成した博士学位論文が
雑誌Natureに掲載された水口惣平君。

図3:コンドロイチンを減少させた線虫胚での初期発生での細胞分裂の 逆行。2細胞から1細胞にもどり、また2細胞になっている。上段は微分 干渉像、中段は染色体を緑に光らせたもの、下段は上の二段を重ね 合わせた顕微鏡写真。緑色に光っているのは染色体。 (NATURE 423 (6938): 443-448 MAY 22 2003 Fig. 4より一部改変して引用)


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