●六本松キャンパス ミヒェル教授にドイツ連邦共和国功労勲章 |
二〇〇四年六月十八日六本松キャンパスにおいて、言語文化研究院のヴォルフガング・ミヒェル教授に対し、ヨハネス・プライジンガー総領事からドイツ連邦共和国功労十字勲章が伝達された。ミヒェル教授の日独文化交流に果たした功績を高く評価しての授章である。
ミヒェル教授は日欧文化交流史関係の多数の論文、著書を発表し、とりわけ江戸、明治初期の医学交流及びヨーロッパにおける日本像の変遷の解明を進めてきた。現在は文部科学省の特定領域研究「江戸のものづくり」(計画研究班代表者、研究項目代表者、信州プロジェクト代表者)のほか、大分県中津市の依頼で村上医家資料館の資料調査に携わり、また洋学史学会会長及び日本医史学会理事として両学会の発展にも尽力している。
この度の受賞の対象として、特に十七世紀の日本における最古の西洋外科流派の祖であるカスパル・シャムベルゲルについての業績のほか、十七・十八世紀における最も重要な日本研究家エンゲルベルト・ケンペルについての著書が挙げられた。一六四九年に来日したドイツ人外科医シャムベルゲルは十ヶ月間に亘る江戸滞在中、幕府の目を西洋の外科術に向けさせ、新しい外科学のパラダイムの誕生を引き起こしたが、その活動の詳細やシャムベルゲル自身についての情報は不明のままであった。ミヒェル教授はシャムベルゲルの出生地などをつきとめ、約十年かけてオランダ、ドイツ、日本で探し当てた資料にもとづき、シャムベルゲルの生涯及び日本でのカスパル流外科の形成について明らかにした。
また、十九世紀当初までヨーロッパにおける日本像に大きな影響を与え、十七世紀の幕府が進めた政策を「鎖国政策」として位置づけたケンペルは江戸時代の日欧交流における最も重要な人物の一人であるが、彼が残した資料は大英図書館に二百年以上に亘り手つかずのまま眠っていた。ミヒェル教授は一七二七年以降、英語、フランス語、オランダ語、ドイツ語などで刊行され、各国の知識人の関心を集めた『日本誌』の内容がその本来の原稿と大きく異なることに着目し、ケンペルの遺稿を解読し、それぞれ八百頁を超える二巻の原典批判版を二〇〇一年に出版した。引き続き三名のケンペル資料刊行プロジェクトの編集責任者の一人として、資料の解読、分析作業にも携わっている。ノルトライン・ヴェストファーレン州政府などからも支援を受けこれまでに出版された計七巻の著書は、日本研究及び日本解釈の価値ある一頁となった。
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