〈写真2〉ノルウエー掘削船ビダール・ビキング号および遠景にて 砕氷中のロシア大型原子力砕氷船ソビエツキー・ソユーズ号。
〈写真3〉衛星画像: 氷海における砕氷および掘削の為の3船舶の航行風景。(写真提供:IODP Leg 302 ACEX海氷マネージメントグループ)
〈写真4〉ヘリコプターによる船舶間の人員および試料の移動風景(白夜の世界)。
※ピストンコアラー
柱状採泥装置の一種。おもりを付けたパイプが堆積物に突き刺さる力と、船からのケーブルに繋がっているパイプ内部のピストンが堆積物を引き上げる力を利用して、採取時の擾乱を比較的抑えた堆積物試料を得ることが可能。
 九州大学の加盟している統合国際深海掘削計画IODPでは、二〇〇四年八―九月に北極海の極点付近での海底下四百二十八メートルまでの海底掘削に初めて成功した(図1)。ストックホルム大学Jan Backman教授とロードアイランド大学Kate Moran博士の率いる世界八か国の科学者チーム十七名は、北緯七十度のノルウェー・トロムソからスウェーデン王立科学アカデミー所属の砕氷船オーデン号に乗船・出港した。このうち九州大学からは筆者の他に大学院理学府博士課程の小野寺丈尚太郎氏が参加した。この約四十日間の掘削事業は、地球史新生代における最後に残された地図の空白部分を埋める大挙である。今までの北極海古環境研究では、通常の*ピストンコアラーによる柱状堆積物コア採取に頼っており、海底下十メートル程の(十万年程度)のコア情報しか得られなかった。これは今まで、耐氷能力不備の通常の科学掘削船を単独で北極海氷域に導入できなかったからである。今回の大挙では、二隻のサポート船のロシア大型原子力砕氷船ソビエツキー・ソユーズ号(二万三千トン)と中型砕氷船オーデン号の併用による人類初の技術達成である海氷板連続破砕が功を奏した。これにより、ノルウェー掘削船ビダール・ビキング号に向けて毎時四百メートル程度の速度で押し寄せる大型氷板(時には六―七メートルの厚さの多年氷もある)を排除し、破砕氷のみが掘削船の周囲を流れた(写真2、3)。
 水深千二百メートルを超える深さでの氷海掘削は、今まで未経験のため、当初は全員不安であった。また夏・白夜とはいえ、大気温マイナス十二度Cにも至る極寒の状況での苦難の掘削をなし得たことも大きい(写真4)。
〈写真5〉得られたコアのビダール・ビキン  グ号船上での非破壊・連続自動測定(密度、地磁気帯磁率等)の風景。
 北極海の古地理や環境の復元は、地球の歴史の全貌を理解する上で欠かせない。長い地球環境の歴史の中で、現在は寒い氷河時代の中のつかの間の間氷期と呼ばれる温暖期にある。恐竜達の栄えた温暖期の中生代白亜紀から新生代の現在に向かって、地球環境は寒冷の方向に変化した。この変遷の中の大きな出来事の一つとして、北半球に大陸氷床(グリーンランド、スカンジナビア、ローレンタイド氷床)が現れたのは今から二百六十五万年前である。だが、この氷床の成因は未だに不明である。この当時に北極海で海氷が出現したことが原因で、太陽光が反射され、北半球の氷床発達を促したという説も出てきた(実際にはこの説は今回否定された)。掘削のみが真実を語ってくれるであろう(写真5、6)。
〈写真6〉スウェーデン王立科学アカデミー所属の砕氷型研究船オーデン号(通常は科学者の大半がこの船に乗船)の古生物学ラボでの顕微鏡作業風景。
 詳細は今後の研究成果に委ねるが、北極海の海氷生成は少なくとも千七百万年前には確実に存在し、おそらく四千四百万年前まで遡ることが海氷や氷山でしか運搬出来ない礫の存在から分かった。また、現在温暖化が叫ばれており、今後の北極の海氷量の減少も懸念されている。将来、地球温暖化により海氷が消滅した時の氷の無い北極海環境を、過去の事例(始新世の温暖期:写真7)から学ぶことも人類生存のためには大切であろう。
 今回の北極海掘削では、海底下四百二十八メートルまでの基盤上の堆積物(約四百メートル)と基盤二十八メートルを掘り進める事ができ、過去五千六百万年前までの北極海環境の詳細復元を可能とした。また、今回掘削したロモノソフ海嶺が大陸性地殻の埋没したものであることも、今回の基盤が中生代白亜紀約八千万年前の堆積物で構成されており、シベリア大陸から遊離して北極に移動したことも証明された。
〈写真7〉始新世4400万年前の古北極海に棲息していた珪質微化石(珪質鞭毛藻、珪藻、エブリア類)。これらの化石から古環境が閉鎖的な汽水・浅海であったことが分かる。
 しかし、大目的の一つであった大西洋―太平洋の間の海盆連携の時期を解明できる証拠は見つからなかった。これは、北極海が過去五千六百万年間の大半の時期を現在とは異なる閉鎖系の汽水環境で占めていたことによる。しかし、現在に至る開放系の大西洋―太平洋水塊連携に至る歴史を理解しなければ過去の地球の海洋水循環は理解できない。この最後の宿題の解決は、筆者らの提唱するIODPベーリング・オホーツク海掘削による水塊の連携時期の解明・特定によるであろう。実現できれば、北極海と合わせて地図の空白を埋めることに成功し、新生代における地球の歴史の全貌が見える可能性が大きい。

(たかはし こうぞう 地球惑星科学)

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