中村修二教授(左)と梶山千里総長(右)事務局貴賓室で

 信号や携帯電話の着信ランプなどに使われる発光ダイオード。昨年のクリスマスには青色に輝くツリーが数多く登場、幻想的な光を放つ青色発光ダイオードが聖夜の景色さえも変えました。その画期的な発明を生み出したのが、四国・徳島県の化学メーカーで地道な研究を続けていた中村修二氏でした。
 中村氏は窒化物系材料を使った発光デバイスの研究開発に先駆的に取り組み、二十世紀中には不可能といわれた高輝度青色発光ダイオードの製品化に世界で初めて成功。その業績は、自分の頭で物事の本質を考えるために他人の論文は読まないという「自分流」を極めた結果だったといいます。自分の中に眠る才能を発掘し、それを開花させるには何が必要なのでしょうか。梶山千里総長が尋ねました。

ブレイクスルー(新発明)の秘訣とは
梶山 本日はお忙しいところを九州大学においでいただき、ありがとうございます。
 先生の著書を読ませていただきましたが、発光ダイオードの研究・開発をしていたときは人や資金の支援がなく、先生自身「やけくそ」という状態で研究しておられたそうですね。人のまねをしたくないという意識から他人の論文は読まなかったとか。しかし、たしかに何か新しい創造的な仕事をするときは、周りの助けや逃げ場を断つことも必要だと思うんですよ。研究に必要なのは何よりも情熱ですからね。
中村 おっしゃる通りです。私は徳島県の育ちで、会社も同じ徳島の化学メーカーを選びました。いつつぶれてもおかしくないような会社でしたから、自分がやりたかった研究は捨てたつもりでした。入社して十年間は上司から言われるがまま、まさに滅私奉公とばかりに仕事をしていましたね。
 その十年で三つほど製品を開発したのですが、期待したほど売れず、社内でかなり厳しい指摘を受けました。自分は会社のため言われるがままにやってきたのに、そのことはまったく評価されませんでした。そこで、「こうなったら、今後の研究・開発は自分のやりたいことを思ったとおりにやっていこう」と決めたのです。
梶山 それが「二十世紀中には実現不可能な技術」といわれていた青色発光ダイオードの製品化につながるわけですね。
中村 そうです。
筒井 その十年間のご苦労があったから、人まねでない、他人の論文をあえて読まずに、独創的なお仕事につながったのでしょうね。
中村 しかし、日本で新しいことを始めるのは難しいですね。例えば、企業で研究・開発の提案をしても、日本の会議では十人中九人にけなされてしまいます。私はそういうことに我慢できませんでした。だから、多少やけくそにならないとやっていけなかったのですよ。
 過去の論文を読まない理由は、そういうものを読んでしまうと、何かしら影響されて結果的に人まねになってしまうことが多いからなのです。現状打破の方法論、つまりブレイクスルーをどんどん生み出していくには、一人でじっくり考えて、新しいアイデアが浮かべばすぐに試し、失敗すればまた別の方法を考える。そういうフィードバックの繰り返しですよ。

「褒めて育てる」アメリカ流の教育
梶山 私が今心配しているのは日本の基礎教育です。アメリカでは大学の講義でも学生が積極的に質問していますよね。これはある程度の基礎教育が確立されているからではないでしょうか。中村先生は米国カリフォルニア大学のサンタバーバラ校に行かれて、日米におけるこのような教育の違いをどうご覧になりましたか。
中村 全然違いますね、全然。アメリカは個性を伸ばす教育です。絵を描くにしても「ここの色は素晴らしいね」とか「ここがよく描けているよ」などと、必ずどこかいいところを見つけて褒めています。小学校から高校まで全部そうです。しかし日本は先生の描いたお手本があるでしょう?それと同じように描ければ「上手」と褒められます。これは、あまりにも型にはめ込み過ぎです。
 私の長男三女は高校からアメリカの学校に進学しましたが、「こっちの先生は褒めてばかり」と言っています。そういうことを見ていると、アメリカ人が自信にあふれているのもうなずけますよね。プレゼンテーションをするのも「私が一番」と堂々としているのは、小さいうちから褒められて育てられているからでしょう。
 もう一つ、向こうではカリキュラムの組み方が幼稚園から小学校、高校まですべて選択制になっています。日本のように一般常識としていろいろな科目を一通り詰め込むやり方では、子どもたちが好きなことを満足にやれない気がします。
梶山 私も、アメリカは「encourage」激励することに支えられた社会だと感じます。例えば、子どもが何かのことで質問してきたら、質問したこと自体を褒める。そういうことが大切であって、質問することによって子どもは意見を持ち、その子の個性を形づくっていきます。日本においてはそういう教育が決定的に欠けているのではないでしょうか。
 博士課程の教育にしても、アメリカの大学は学生が大学で学んだことに対して学位を授与するのに対し、日本は研究成果や論文発表などのリサーチしたことに学位をあげる感じではありますね。
大城 実験の時間数は、アメリカよりも日本の方が多いようですね。日本は、実験などにとらわれすぎて、体系的な教育が不足しているのでしょうか。
中村 向こうの大学は実験よりもむしろ宿題と試験の山です。それができなければ自動的に退学。教授の温情などは一切ありません。
 山のような宿題を採点するのは教授にとっても大変なのですが、宿題によって内容の把握やまとめる能力、表現力などが磨かれるし、第一、講義を理解しているかどうかのチェックになりますからね。それだけに、教授は皆が百点を取るようにしなければならない。もし平均が五十点だったら、私は同じ講義をもう一度やりますよ。
梶山 日本の場合は博士課程でも一週間に十科目とっていることがありますが、アメリカの大学では大変なことですよね。私も過去に四科目取ろうとして、同僚に「死ぬぞ」と言われました。確かにその通りでしたけど。
中村 向こうは一クオーターで一科目くらいです。学生は宿題と試験の山に追われますから、二科目取るなんてとんでもない。しかも成績はBでは意味がない。Aを取らねばなりませんから。
梶山 一つのことに集中して取り組むシステムが確立しているのですね。日米教育ではその辺りの差が出てきているのでしょうか。
中村 日本は広く浅く教えていくでしょう?私は、好きなことはもっと集中してやるべきだと思います。

ルールに縛られる日本
梶山 中村先生の著書を拝見していると、アメリカ人に対する考え方が大きく変わってきたなと感じます。初めに勤めていらしたフロリダの州立大学では「研究者として扱ってくれなかった」と、疎外感のようなものを感じていらしたようですが、最近では「アメリカって素晴らしい」という言葉も見られますよね。何をきっかけにそのような変化があったのですか。
中村 フロリダ州立大学では研究者ではなく、あくまで技術者扱いでした。確かに、博士号もないし論文も書いていなかったので研究者とはいえませんでした。しかもそのころの日本はバブルの全盛期で、私自身日本が一番だと思っているところがありましたしね。
 しかしアメリカに移り住んで、その国について知れば知るほど「ここは日本より自由と平等があるところだな」と思えてきました。
 日本は司法制度を含め、旧態依然としたシステムが多いでしょう。昔つくった規則に縛られています。その点アメリカは、システムに合わない規則はすぐに変えてしまいますから。それは大学も同じで、いったん何かの問題が持ち上がると、ディーン(学部長)たちがその場で十―三十分の会議を開くのです。そこでOKが出たら、学長のサインをもらって終わり。もう規則の変更ですよ。早いものです。
梶山 日本は柔軟性が欠けているのでしょうね。つい規則に縛られてしまう。法律というのは生活をしやすくするためのものであって、それに縛られてはいけないはずなのですが。
中村 皆さんご存じのように私は日本の裁判を経験しております。しかし、これにはがっかりしました。開廷してものの十五分くらいで終わるのです。すべてが書面の戦いという感じで、法廷でのディスカッションなんてありませんでした。
 このように、日本が書類の世界であるのに対し、アメリカではディスカッションが優先されます。例えば大学が国の資金援助を申請するにしても、関係者がすぐにワークショップを開いてディスカッションを始めます。相手をどうやって納得させるか、ということに重きを置いているのです。
田代 アメリカは陪審員制度の国です。そして、個人個人のプレゼンテーション能力はかなり高い。それは結局コミュニケーション能力の差ということになるのでしょうね。

小さいころの夢を見つめ直そう
梶山 さて、これからを担う日本の若者へメッセージをいただきたいのですが、大学時代にこれだけはやっておくべきというアドバイスをいただけますか。
中村 若い人には五年間、少なくても二、三年でいいから海外に行ってほしいですね。国内にいただけではどうしても日本に洗脳されてしまう。日本的な考え方に縛られると、全世界的な見方ができないと思うのです。
梶山 いろいろな経験を積み重ねることは非常に大事ですよね。若いうちに異なる文化や生活習慣、ものの見方、考え方を経験しておけば、人生の節目節目でベターな選択ができるでしょう。知らなくても不自由はないかもしれませんが、知っていればもっといい選択ができる。その積み重ねで人生をベストなものにしていけると思います。
中村 私が感じるのは、日本人はおとなしすぎるということです。会議の場でも日本人はうつむいて何も言わない。そしてアメリカ人に主導権を取られてしまう。向こうには世界中から学生が集まってきていますから、多種多様なものの見方を知っていますよ。
梶山 日本人は教授に質問するときも、「これって変な質問なんじゃないかな」と考えてなかなか質問できませんよね。だから自分の意見を持てないし、個性に乏しい。米国の学生が必ずしもいい質問ばかりするわけではないのですが。
中村 中にはおかしな質問もあります。ただ、アメリカの学生たちはディスカッションの場で自分の考えをまとめて相手を納得させるというコミュニケーションを取りながら、いろいろなことを学んでいるのです。それはまさに生活をしていくための教育ですよね。実際に、小学校のうちからどんどんプレゼンテーションをさせていますし、特許についても小学校や中学校で勉強が始まっていて、教育の現場でお金を稼ぐことや自立することを教えています。おかげでアメリカでは高校生がしっかり自立していますよ。
 それに日本では、大学受験が勉強のゴールになっている気がします。小さいころは何かしら夢を持っているのに、大学受験で力を使い果たしてしまっている。私は、若い人たちの可能性に限界をつくっているという点で、大学入試は必要ないと思っているのですよ。
 若い人たちはぜひ子どものころになりたかったもの、好きだったことを思い出して、自分にとって何が大切なのか、何をやりたいのかをもう一度見つめ直してほしいですね。そして、自分のやりたいことをやるための場所として大学を活用してほしい。
梶山 今日は中村先生のお話を聞いて、私もいろいろ勉強になりました。どうもありがとうございました。
対談を終えて。左から、筒井、梶山、中村、田代、大城の各氏。


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