平成十八年三月二十七日、九州大学の平成十七年度学士学位記授与式(学部卒業式)に来賓として出席した日本通運株式会社代表取締役会長の岡部正彦氏は、九州大学の卒業生の一人でもあります。今でこそ経済活動を支えるライフラインとして欠かせない物流業界ですが、岡部氏が入社した四十五年前は物流そのものがまだまだ認識されていなかった時代。経済産業界での地位を少しでも高めていこうと、強い使命感を持って仕事をされたとのこと。岡部氏に九州大学での思い出、そしてこれからの時代に必要とされる人材について伺いました。

世界に対して存在感のある大学として伊都キャンパスを東アジアの拠点に

伊都キャンパスを見学して
―久しぶりに母校の九州大学を訪れ、学位記授与式にも出席されましたがいかがでしたか?

岡部 とても厳かでいい式だったと思います。最初は私語が多いかなと思いましたが、式が始まるとピタッと止んで、TPOをわきまえている学生たちだと感じました。また九州大学の箱崎キャンパスはずいぶん変わりましたね。私は法文系キャンパスにいたのですが、学位記授与式が行われた五十周年記念講堂には初めて入りました。私がいた頃にはまだありませんでしたから。建物はずいぶん増えましたが、懐かしい建物も残っていて感慨深いものがあります。

―その後、新しい伊都キャンパスを見学なさいましたが、こちらの印象はいかがだったでしょうか?

岡部 事前に写真を見ていましたが、実際の雰囲気や広さはイメージでき ず、見学するのを楽しみにしていました。まだ建設が続く訳ですが、とても素晴らしい構想だと思いますし完成すれば今までにない学問の拠点になると思います。平成三十一年度にすべての移転が完了すると聞いています。それまでは大変だと思いますが、ぜひ素晴らしいキャンパスを実現させてほしいですね。気になるのは環境が良すぎることでしょうか。

―環境が良すぎるとはどういうことでしょう。

岡部 「水清ければ魚棲まず」とも言います。学生は学問が本筋ではありますが、遊びやアルバイトをする体験も必要です。要はバランスのとれた生活が大切なのです。伊都キャンパスの周囲は静かで学問をするには非常にいい環境ですが、生活上の体験をするには不十分だと思います。学生たちの生活上の便宜をどう図ってあげるかも重要ではないでしょうか。

―その他に伊都キャンパスに期待することはありますか。

岡部 ぜひ東アジア全体の拠点となってほしいですね。少子化社会を迎え、大学も知恵を出し合って経営する時代になりました。今後は大学の統合も進むでしょうし、東京大学でさえ地方を回って優秀な学生を確保する時代です。九州大学でも考え方を大きく変える必要があるのではないでしょうか。例えば国内だけで競うのではなく、世界に対して存在感のある大学として活動していく。九州大学はその点において大変な地の利があると思います。これからは東アジアの優秀な学生たちをどんどん九州大学に招いていくべきでしょう。この際に大切なことは、単に学生の数だけを求めるのではなく、本当に勉強したい気持ちを持った学生たちを招くことです。彼らはきっと帰国してその国を支えるリーダーとなります。そうした人材に九州大学のファンになって帰っていただく。つまり東アジア全体に九州大学のファンが増えるということです。

九州大学時代の思い出
―法学部を志したのは何か理由があったのでしょうか。

岡部 高校時代に法曹界に入りたいと考えていたからです。えん罪事件として有名な松川事件が起きるなど、当時の裁判制度に大きな疑問を感じていました。最初は東京の私大を受けたのですが失敗し、そうこうするうちに父親が定年になったのであまりお金の迷惑はかけられないと、地元の国立大である九州大学に志望を変更しました。当時の学費は年間九〇〇〇円ほどでしたが、これは就職してから親にすべて返済しました。大学時代の学費より多い5万円を渡して「釣りはいらないから」と。

―九州大学での学生生活はどのようなものでしたか?

岡部 昭和三十二年に六本松のキャンパスに入りましたが、ちょうど六 十年安保の時代でした。政治的課題がたくさんあって、勉強はあまりしなかったですね。学内で議論することが多かったと思います。また連日どこかでデモが行なわれていて、それにもよく参加しました。安保闘争と言っても今思えばのどかなものでしたが、それでも学内に警察が入ったこともあります。ちょうど安保改定の年、一九六〇年一月の深夜に大学本部前で私たち法学部の学生を中心に座り込みを始めました。先生方も加わり、寒い中でスクラムを組み教養部からも応援が来たことを覚えています。星空がとてもきれいでした。最終的には警察によって明け方に排除されたのですが、そのときは「やることはやった」という充実感がありました。親は心配したでしょうが、当時は学生全体、大学全体で何かをしようという気持ちがあったように思います。

―当時の経験から得たものはありますか?

岡部 いい先輩や友人、いい師を持つことはとても重要だということです。これは大学一年の時から思っていました。いい先輩、いい友人は本当に困った時に助けてくれます。私も多くの人達に支えられてこれまで仕事をしてきました。学生の皆さんには、ひとりでも多くの良き師、良き先輩、良き同僚、良き友人を持つことを心がけてほしいと思います。

仕事は最終的にお金ではない
給与よりも自己実現の可能性ある仕事を選んだ

自己実現できる仕事を選ぶ
―卒業後は法曹界ではなく実業の世界、それも「物流」というまだ認知度の低かった世界へ飛び込まれますね。

岡部 実は、日本通運とは別に某メーカーに就職が内定していて、そちらの方が給与が四〇〇〇円ほど高かったのです。ラーメン一杯が五〇円、映画が一〇〇円で観られる時代ですから四〇〇〇円は大きな額です。当時は運輸業界の社会的地位は決して高くなく、「物流」という言葉さえない時代だったのです。それでも日本通運を選んだのには理由があります。この仕事は地味ですが、経済活動や国民の生活に欠かせない社会インフラそのものです。そうした重要な役割や機能、ライフラインとしての認知度を社会の中で高めていく仕事には大きなやりがいがあると感じました。仕事は最終的にお金ではありません。給与が安くても自己実現の可能性がある仕事を選んだということです。

―認知度の低い業界に入るということで、いろいろなご苦労もあったのでは?

岡部 経済産業界での地位を少しでも高めていくという強い使命感・夢がありましたから、あまり苦労と思ったことはありませんね。法学部出身だったということも、さまざまな分野に適応していく上で利点だったと思います。これは入社してすぐに思いました。また、ちょうど日本の運輸業界は大きな転換期にありました。もともと日本の陸運業界は鉄道を主体に発達してきたのですが、一九六四年の東京オリンピックを契機に日本全国に高速道路が張りめぐらされ、トラックでの輸送が台頭してきます。昭和四十年代には鉄道と陸路の運輸が逆転し、トラックでの輸送が中心となっていくのです。こうした時代の流れもあったと思います。

―仕事をする上で心がけていることは何でしょうか。

岡部 お客様を大切にし、常に目線をお客様の望む先に当てて行動することです。アメリカの経済・社会学者ピーター・F・ドラッカーは、現代の産業社会の中でいちばん遅れているところにビジネスの源泉があり、そこを科学することによって新しい仕事が生まれると語っています。私たち日本通運がやってきたことも、まさにお客様の望むことを感じ取り、遅れている分野を科学することだと考えています。

学生たちへ送るメッセージ

―学位記授与式では卒業生に社会人としての三つのアドバイスを述べられましたね。

岡部 納得のいく自己実現のためには三つのポイントがあります。先にも述べましたが、まず一つ目はひとりでも多くの良き師、良き先輩、良き同僚、良き友を持つことです。これは大きな力、財産になります。二つ目は高い志と強い使命感を持つこと。私は日本通運に入って物流業界の地位と社会的認知度を高めるという志と使命感を持って仕事をしてきました。その志を実現するためには、長期的で幅広い視野に立って活動することも大切です。三つ目は自分を律するものを持つこと。私が常に心がけているのは正々堂々と、信念を持って、思いやりを忘れずに行動することです。好きな言葉は「忠恕」です。

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卒業式で祝辞を述べる岡部会長

―大学での勉強は社会人になって役立つものでしょうか。

岡部 今の時代はグローバル化やIT化など劇的な変化を迎えています。そうした国際社会で広く活躍するためには、大いに勉強して自己研鑽することが必要です。ただし大学での勉強は基本中の基本。それをベースに自分の強みと弱みをわきまえ、強みをより生かしながら伸ばし、弱みを克服していく気持ちが大切だと思います。

―改めて九州大学の学生たちへのメッセージをお願いします。

岡部 九州大学には純朴な地方の学校の良さがあり、それはプラスに働いていると思います。ただ、これからはそれに加えて世界にもっと目を向けていくことが必要です。今はボーダーレスの時代であり、九州は中国に隣り合う地域です。意識して国際的視野で活動していくべきです。そのためには語学も必要ですが、小学校から外国語を学ぶような風潮はどうかと思います。その前に日本のことをきちんと学ぶ必要があると思います。この点で教養課程での勉強はとても大切だと考えています。若い頃の失敗はいくらでもしてください。同じ轍(てつ)を踏まないよう気をつければいいのですから。どんどんチャレンジして、夢や情熱を持ち続けてほしいと思います。日本は世界有数の豊かな国ですが、お金さえあれば何でもできるわけではありません。これからの日本は世界から尊敬される国家になるべきであり、九州大学のみなさんはそうした国家にふさわしいリーダーになっていただきたいと思います。真のリーダーは強さとともに弱者への思いやりを備えているものです。

(このインタビューは、平成十八年三月二十七日、伊都キャンパスで行われました。)


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