工学部で日本語教育?

工学部の機械工学コースに、四年生対象の必修科目「日本語コミュニケーション」があります。
機械工学に「日本語」?
この秋、第一陣として新キャンパスに移る機械工学コースのユニークな取り組みについて、仕掛け人である村上敬宜(むらかみ ゆきたか) 教授に聞きました。


日本語の力が十分でなければ、
教えられたことを頭の中で理解し
自分のものにできる訳がないのです。

Q…
 「日本語コミュニケーション」が工学部の機械航空工学科機械工学コース学生の必修科目であるということで、何度も「何故?」と質問されていらっしゃると思いますが。

村上…
 私の教室にフランス人の留学生が来ていたのですが、英語が十分でないにもかかわらず、実験をまとめたりプレゼンテーションをさせたりすると、これが上手いのです。小さい頃から、「まとめる」「事実を伝える」という訓練をしているのですね。日本ではそういう訓練をしていないし、そういうことが必要な状況を経験していない。作文でも事実を伝えることよりも人を感動させる情緒的なものがほめられる。
 この科目の目的は、「文章の書き方、発表の仕方についての基本的な能力を身に付ける」ということです。学部四年生の前期に設けられているのは、卒業研究着手者を主な対象にしているからです。学生は、論文作成の作業にかかってしまうと実験などで時間がなくなりますし、卒業論文ができてからでは指導し修正させる時間もありません。そこでカリキュラムに組み込むことにしました。本当はもっと早く指導する方がいいのですが。

Q…
 指導の中味を具体的に教えていただけますか。

村上…
 この科目を担当しているのは、機械工学コースの全教員です。最初に受講生全員を対象に共通講義をして、次に三人から六人のグループに分けて二十以上の先生の研究室に入れてトレーニングします。指導内容は共通で、課題を与えて文章を書かせる。二百字でまとめることから始まり、三百字、五百字、千字と増えていく。データをもとに図や表を作ってプレゼンテーションもさせ、その過程で、どうしたら人に分かりやすく書いたり話したりできるかを指導します。先生一人で数人の学生を指導する個人指導が中心になりますので、先生方はたいへんです。

Q…
 第一回目の共通講義は、村上先生が担当されるのだそうですね。

村上…
 「言い出しっぺ」ですから。私は理系学生のための日本語教育の必要性を二十年ほど前から提唱してきましたが、やっと平成十五年度から科目設置が実現したわけです。先生方は皆忙しいし、専門分野で教えたいことが山ほどある。しかし、いくらたくさん教えても、ちゃんとした文章が書けない学生は教えられたことを吸収することができませんよと申し上げてきました。日本語の力が十分でなければ、教え られたことを頭の中で理解し自分のものにできる訳がないのです。 

Q…
 この科目が必要と思われた背景には、分かりにくい論文が多かったということもあるのでしょうか。

村上…
 論文を読んで学生に「ここはどういう意味?」と聞くといろいろ説明してくれるのですが、本人が伝えようとしていることが実は論文のどこにも書いてない。頭の中に十あることを六か七で表現して、十を伝えたと思っている。これはよくあることです。
 また、長い文章や主述が対応しない文章、何度も読んでようやく書いてあることが分かる文章にもしばしば出会います。私どもの論文は文学や哲学ではありませんから、前へ戻らないで読むことができる文章、一文中に主語は一つで一つのことが明瞭に書いてあるというのが理想です。理系の学生は原因と結果を逆転させてしまうことをよくやります。文系では論理に書き手の価値観を混入させてしまうことがしばしばあるようです。とにかく事実と意見を混同した文章が多い。いろいろな解釈が可能であるというのは論文の文章にあってはならないことです。

Q…
 なるほど。だんだん耳が痛くな ってきました。そういう文章を書いている学生に、どのような指導をされるのでしょう。

村上…
 よい文章を書くことができる「特効薬」はないのです。悪い文章を書かないという意識で努力すること、繰り返し読み返して推敲すること。書いてから時間をおいて読み直すことも有効です。
 また、最近の風潮として、コンピューター上でいきなり文章を書き始めるということがありますが、これはいけません。こう言うと学生は「なぜいけないんですか」と聞いてきます。抵抗があるようですね。.

Q…
 なぜいけないのでしょうか?

村上…
 それは家を建てるのに、窓や障子から作り始めるようなものです。まず頭の中で、全体の設計が行われているべきで、それがないと、最初に窓を作って後からそれに全体をくっつけるような論文ができるし、必ず抜け落ちる部分が出てきます。それを避けるためには、まず細部を書いたカードをいくつも作り、全てを並べて眺めてみて、全体のデザインやコンセプトが見えてきたら書き始めるといいでしょう。
 先生から指摘された訂正を行う場合も、コンピューター上で訂正文と元の文章とをただ入れ替えるだけの作業と思っているから失敗を繰り返すことになる。なぜその訂正がなされたか前後関係をよく検討することが大切です。全てを手書きしていた私たちの頃は、訂正が入ればはじめから清書しなおしですから、懸命に考え吟味して、訂正も工夫して書き加えたものですよ。

Q…
 配布される資料も、法律や特許の文章から小説、理系の学者の書いた一般向けの書物、新聞と多岐にわたっていますが、基本は一緒ということですね。

村上…
 最後に共通のテーマで六ページ以内の論文を書かせるのですが、各研究室からいいものを集め、ベスト五篇を選んで卒業時に表彰します。一次選考は学科内の先生方が行い、約二十五篇を選びます。二次選考でその中から私が約十篇を選びます。最終選考で外部の六名の方にベスト五篇を選んでいただきます。昨年はちょっといたずらをして、最終選考用の十一篇の中に私の論文を内緒で入れておきました。
 昨年のテーマは「生まれてから目の見えない人に色という概念を説明する」論文を書くというものでした。なぜ、このようなテーマにしたかといいますと、インターネットから資料をもってくることを防ぐためです。しかし、それでもインターネット上の資料を持ってきたようなものがたくさん出てきました。いい時代になったものですが、これでは力はつきません。そこで平成十六年度のテーマは、よそからコピーしてくることができないよう「自分が今ここに存在するのは偶然か、必然か」としました。なかなか力作が出てきていますよ。(注)

Q…
 「日本語コミュニケーション」を受講した学生に、先生方のご苦労が報いられるような効果が見られたのでしょうか。

村上…
 この科目の効果として期待していることは、自分の仕事を正に魅力的に表現する力や討議する能力が高まることはもちろんですが、問題把握能力、独創的なアイデアをつかむ能力が向上することも含んでいます。ですから学生には、発表能力だけでなく質問能力も要求されます。実際にやってみて、その効果の大きさにみんな驚いています。この科目を受講していない修士の学生よりも、受けた4年生の方がしっかりした文章を書くようになったと言っている研究室もあります。
 機械航空工学科には、所属の教員全員が担当する一年生を対象にした必修科目「工学入門」もあります。学生は航空工学や機械工学などに関連した「もの作り」のいくつかのテーマから一つを選び、そのテーマを提供した教員と相談しながら課題解決を進めるというもので、最後はレポートを書いてプレゼンテーションを行います。レポートを読むと、学生たちが真摯に「もの作り」を楽しみながら取り組んだことがうかがわれます。機械工学や航空工学の重要性や面白さを理解させようと始めたのですが、五月病が減るという思わぬ効果もありましたよ。
 どちらの科目も手がかかってたいへんなのですが、九州大学の機械航空工学科の出身者はちゃんと教育されていると社会に評価されれば、それは工学部だけにとどまらず九州大学の評価につながるでしょう。なんとか継続してやっていきたいと思っています。

(注)…二月末の時点で六名の評価委員の評価をいただきました。評価委員のお一人であるA氏からは自ら執筆された「論文」もいただきました。大変、衝撃的な論文です。

(村上)

事実と意見を混同した文章が多い。
いろいろな解釈が可能であるというのは
論文の文章にあってはならないことです。

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