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2021年度 春季学位記授与式(大学院) 総長告辞

総長式辞・挨拶等

2021年度(令和3年度)春季大学院学位記授与式 総長告辞

本日、九州大学の修士、専門職、博士課程の学位を授与された皆さん、おめでとうございます。修士課程1800名、専門職学位課程119名、博士課程377名の計2296名にそれぞれの学位が授与されました。またこの間、皆さんの学びと生活を支え、励ましてこられたご家族、友人、関係者の方々にも九州大学の教職員一同、心からお祝い申しあげます。今年度も、皆さんの学位取得を喜んで下さる関係者の方々を、直接会場にお招きすることが出来ずに式を執り行うことを、とても申し訳なく思いますが、ライブ配信で式をご覧の方々と共にお祝いしたいと思います。 

皆さんの大学院での学び、研究は充実していましたか。皆さんは学問への探究に魅せられ、また自身の成長のために、自分の人生のなかで「学び」に集中し、深める期間である大学院での学び、研究を選択されました。その研究生活のなかで学問を深め、新しい思考を導き出し、論文に仕上げられました。「知」と深くかかわり、向き合う歳月を経て、本日を迎えられたことと思います。今、どんな気持ちで学位記を手にしておられますか。大学院は高等教育の中でも、知識集約型社会における知の生産、価値創造を先導する、高度な人材を育成する役割を中心的に担うことが期待されています。九州大学は1911年の創立当初より大学院が設置され、今日まで111年、研究と教育の歴史を紡いできました。この歴史は、創立当初から大学で学んだ一人一人の研究と学びで培われています。皆さんの歩みも、今日ここに九州大学の歴史に刻まれます。 

2019年末に始まったCOVID-19パンデミックは、いみじくも皆さんの大学院生活をも直撃しました。特に修士課程や専門職学位課程の皆さんは、その真っただ中で入学し、未だ感染再拡大が収まらない中、本日学位を取得するという、これまでの学生とは異なった、勉学の環境が万全だったとは言い難い2年間だったことを、大学としても申し訳なく感じています。博士課程の皆さんも同様だったことと思いますが、この間、いろいろな制約に負けず、本日、学位を取得されたことに深く敬意を表します。九州大学の学位を持っていることを誇りに思って下さい。九州大学で学び培った学問とその専門性、そしてそれを活かす能力は、これからの皆さんのかけがえのない財産になり、人生を切り拓く鍵となります。これから新しい社会環境、生活環境の中で始める次の活躍の場で、自分が学んだことを確実に活かし、社会に役立ててください。 

COVID-19パンデミックの下、人々の対面が制約された時、大学の教育研究活動も大きな転換を迫られ、教員、職員の創意工夫は並々ならぬものがありました。オンラインという形式で学んでいただくために、教員は一から授業を見直しました。実験や実習はオンラインでできないものもあります。感染対策を万全にすることで、早期に研究室で研究を続けられるようにもしました。また、経済的な支援も含め、できるかぎり障壁を取り除くことに腐心したつもりですが、限界があったのも確かです。思い描がいていた学生生活、研究生活とは違ったかもしれません。しかし、迫られる行動変容の中で、新しい学び方、新しい研究の進め方、新しいコミュニケーションの取り方を模索し、学びを修められました。それは、パンデミック以前のノーマルの中で学生生活を過ごした学生たちとは、違う成長をされたとも言えます。
また、このパンデミックの中で、私たちは隣人と助け合って新しい世界をつくるというところには至っていません。アジア人への差別から始まり、ロシアはウクライナに侵攻し、世界は分断の方向へと向かっているようにも思えます。今日、このCOVID-19パンデミックの中で、九州大学で学びを終えた皆さんには、困難ではあったと思いますが、この貴重な経験も活かし、社会を新しい良い方向へ導く力になってほしいと思っています。 

九州大学は、昨年11月、文部科学大臣から「指定国立大学法人」の指定を受けました。国は世界の有力な大学を目指す可能性を持つ国内10大学を「指定国立大学法人」とし、世界に通用する教育研究活動の展開を求めています。そして本学は指定国立大学法人申請を契機に、大学の未来を担う若手教職員も含めて全学規模で議論を交わし深め、これからの10年間の本学の方向性、方針を示した「九州大学ビジョン2030」を策定しました。そのビジョンが目指す九州大学の姿は「総合知で社会変革を牽引する大学」です。ここでいう「総合知」とは、本学が持つ人文社会科学系から自然科学系、さらにはデザイン系の「知」を組み合わせて用い、世の中の複雑な事象を一分野だけではなく、複数の分野の知識を活用して多様な視点で、課題を解決に導く新しい知識と考え方を意味します。現代社会は、持続可能な社会の実現や、また人々が多様な幸せ(well-being)を得ることができる社会の実現のために、解決しなければならない多くの問題を抱えています。それらの複雑な問題の解決のためにも、大学が果たすべき役割は大きいと考えており、九州大学がこのビジョンの実現に取り組むことで、社会変革の一端を担いたいと考えています。このビジョンは、10年先を見据えて九州大学がどう成長したいかを描いたものですが、皆さんも自分自身の10年後、あるいは20年後の姿を思い描き、明確な目標を定めて自分自身を作る新たな世界のスタートを切ってください。
九州大学は皆さんとのつながりを大事にします。改めて学び直したいと思った時、新たな目標に挑戦したいと考えた時には、ぜひ九州大学に戻ってきてください。一緒に学びを進めましょう。 

「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」という本があります。作家の帚木蓬生氏が2017年に出された本です。帚木氏は数十年前に読んだ医学論文でこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に出会います。それはもともとイギリスの詩人ジョン・キーツが言及し、その後イギリスの精神分析の権威であるウイルフレッド・ビオンが発展させた概念で「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。「ケイパビリティ」すなわち能力とは一般には何かを成し遂げる能力、何かを処理して問題を解決する能力などを指し、学校教育や職業教育が不断に追求し、目的とているもので、問題が生じれば的確かつ迅速に対処する能力を意味し、これはポジティブ・ケイパビリティと考えます。ここでいう「ネガティブ・ケイパビリティ」ではその裏返しの能力、そういうことをしない能力が推賞されているのです。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。「ポジティブ・ケイパビリティ」では得てして表層の問題のみをとらえて、深層にある本当の問題は浮上せず取り逃がしてしまったり、その問題から逃げ出してしまったり、はたまた、そういう状況には初めから近づかないかもしれません。しかし、私たちの人生や社会はどうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちているので、「ネガティブ・ケイパビリティ」が重要になってくると筆者は述べ、現代教育の場において、あまりに「ポジティブ・ケイパビリティ」が追求され過ぎていることを憂いておられ、研究の分野でも「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性を説いておられます。帚木蓬生という知的なペンネームは源氏物語から取られたと聞いていますが、先生は本学医学部の卒業生であり、現役の医師でもあります。 

九州大学が誇る卒業生の方々の中にもう一人、かけがえのない存在である中村哲先生がおられます。先生は今の世の中の、科学技術により高度に進歩した社会、国境を越えて発展する経済、効率と利便性が追求された日々の生活などを「欲望の自由」、「科学技術の信仰」と危惧しておられました。2013年に書かれた著書「天、共にあり」に「人も自然の一部である。それは人間内部にもあって、生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明と信じている」という言葉を残しておられます。 

2019年末に始まったCOVID-19パンデミックは例外なく全世界を覆いつくしました。2年が経った今も変異株の出現に右往左往していますが、私たちは行動変容を余儀なくされ、今までの社会生活は大きく制約を受け、経済活動は大打撃を受けています。このパンデミックが一段落した時、私たちは以前の元の生活に戻るのではなく、多くのことを新たに考え直して生活することになると考えます。グローバルシチズンシップという言葉があります。「誰もが地球社会の一員であり、それに参画する責任を持った市民だという意識」です。
今日から、皆さんは、大学院で学んだことを生かして、社会に役立つ人になろうと大きな希望を持っておられることと思います。現在の不確定な世の中に人生の新しい一歩を踏み出すことを、「こんな時代に」と思うのではなく、「こんな時代を経験した」ということをも一つの力にして、この地球社会の一員、グローバルシチズンであるという意識を大切に、新しいそれぞれの活躍の場への一歩を踏み出して下さい。
皆さんの希望ある未来を信じ、健闘を祈ります。
本日はおめでとうございます。

 

2022年3月23日
九州大学 総長
石橋 達朗