|
山下喜久
教授
大学院歯学研究院 口腔保健推進学講座 口腔予防医学分野
専門分野
予防歯科学
|
最新の推計によると、世界の人口の半数近くが口腔疾患を抱えているとされ、未治療の虫歯(齲蝕)は人類にとって最も身近な健康問題です。さらに、10人に1人は歯周病に悩まされています。
そのため、当然ながら歯科医療では、この二大口腔疾患の治療が中心となります。しかし、「100の治療より1の予防」と言われるように、予防のさらなる確立が求められています。
九州大学大学院医学研究院口腔予防医学分野の山下喜久教授は、口腔細菌の研究によって、口腔疾患の発症に影響する要因の解明を目指しています。これらの口腔疾患は、細菌の侵入によって生じる他の感染症とは異なり、口腔内に常在する細菌によって引き起こされています。
「口腔細菌の存在は必定であり、約700種類もの細菌の中には口腔以外の体の健康維持に有益な役割を果たしているものもあります。したがって、特定の細菌を除去するだけでは、予防としての解決策にはなりません」と山下教授は話します。「それよりも大切なことは、細菌叢(微生物の集団)の健康的なバランスを保つことです。」
このバランスを調べるに当たり、山下教授と研究グループは、福岡市近郊の久山町での疫学調査の一環として、10年以上にわたって住民たちの口腔細菌種の構成(マイクロバイオーム)と体の健康について追跡調査をしてきました。その結果判明したのは、マイクロバイオームが、全く異なる健康状態と関連する2種類のグループに分けられることです。
一方のグループでは口腔状態が良好で、もう一方では、口腔だけでなく、場合によっては全身の健康状態も悪く、高齢期では肺炎死亡率が高くなることが分かりました。さらに、マイクロバイオームが不健康なバランスとなっている人の年代別割合は、40代で約40%から、50代で70%近くにまで跳ね上がっており、このライフステージにおける口腔細菌叢を制御する予防の重要性が示されました。
健康を左右するもう一つのカギを握る時期は、生まれてからのわずか数年です。山下教授の研究では、子どもは2歳になるまでには、大人に類似した口腔のマイクロバイオームがすでに確立しており、3歳には一定の割合の子どもたちが既にリスクの高い細菌叢構成になっていることが分かりました。
「この期間を対象にした適切な口腔マイクロバイオームの誘導法を開発できれば、医療費の抑制につながり、痛みを伴うことなく、全身の健康、生活の質の向上に貢献できるのです」と山下教授は話します。
山下教授と研究グループは、上記のような口腔細菌叢のアンバランスと健康との関連性の研究結果に加えて、日常行動がマイクロバイオームに与える影響も調べています。例えば、コーヒーの成分が細菌叢の多様性に変化をもたらし、ブラッシングが困難な状況(2日間)でもキシリトールガムを噛むだけで口腔細菌の増加を抑制できることが明らかになりました。
短期間で膨大な数の細菌の特徴をつかむ現在の取り組みですが、山下教授が研究の道を歩み始めた当時は、夢のような話でした。初期の研究では、ある一種類の細菌に注目して進めており、山下教授はより広いアプローチをするべきではないかと、もどかしさを感じていました。
「当時の解析技術では、予算と時間を考えると細菌叢の十分な成果を出すには現実的ではありませんでした」と山下教授は振り返ります。「2000年を過ぎて登場した次世代シーケンサーにより状況は一変し、多くの可能性の扉が開きました」
現在の遺伝子シーケンサーを用いることで、山下教授のグループは、サンプル中の細菌種構成を数時間で解析できます。しかし、解析技術の進歩と同様、研究にも進化が必要です。
「研究者として、より多くの成果を出すためには、研究技術の加速に追いつき、その効果を最大限に生かせるような、研究アイデアの着想が重要です。次の段階としては、今後の動向を解析するために人工知能(AI)の技術に注目しています」と説明します。
山下教授と研究グループの取り組みにより、口腔細菌が口や全身の健康に与える影響についての理解が広がっていけば、健康管理のために、歯医者さんを訪ねて細菌チェックを受ける、という日もそう遠くはないかもしれません。