About 九州大学について
「全学大学院重点化」は、わが国では東京大学、京都大学、東北大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学などの基幹大学や東京工業大学、一橋大学などでも平行して進みました。九州大学では、こうした全国的流れと軌を一にするとともに、平12年4月の「全学大学院重点化」の完了と同時に、全国でも初めての「学府・研究院制度」を導入しました。
これは、大学院の教育研究組織である「研究科」を、大学院の教育組織としての「学府」(Graduate School)と、教官の所属する研究組織である「研究院」(Faculty)とに分離し、相互の柔軟な連携を図るものです。
「大綱案」では、「時代を先取りし、自律的に変革し、活力を維持し続けるシステムが内部にビルト・インされ、かつ国際的にも社会的にも開かれた研究大学の構築」を改革のコンセプトとして掲げており、「全学大学院重点化」が「研究大学の構築」の核となるものであり、「自律的に変革し、活力を維持し続けるシステム」の核となるのが「学府・研究院制度」の導入です。
21世紀には、バイオや情報などの科学技術の目ざましい発展、地球環境問題の深刻化、グロバライゼーションという国際競争の激化、異文化の交流・対立の複雑な交錯など、激動かつ不透明な時代が到来します。こうした人類的課題の解決に寄与する科学技術や学術文化の発展、時代をリードする優れた人材の育成において、「知」の創造拠点としての大学の役割はますます大きくなってきます。何世紀にもわたって蓄積されてきた「人類知」である学問の継承・発展が一層重要となるとともに、従来の学問分野を大きく超えた次代の先端的・学際的研究者育成システムの改革が急務となります。
従来の大学院では、「研究科」という形で教育組織と研究組織が一体となっており、新しい人材を育成する必要から「研究科・専攻」を再編する場合、教官組織の再編を不可欠とし、「講座」の分割・移動を余儀なくされてきました。教育組織と研究組織の再編が矛盾なく行われた「改革」がある一方で、教育組織に引きずられて研究組織が解体され、研究機能に負の影響を与えたり、逆に研究組織の強い抵抗にあって教育組織の再編が断念されたことも、全国的にみれば決して少なくありませんでした。こうした教育組織と研究組織の再編における「摩擦」は、大学院生という次代の研究者を育成する教育組織と、研究機能を効果的に発揮する合理的な研究組織とが常に一致するわけではない、ということに起因しています。
「大綱案」では、早くから教育組織と研究組織の分離と柔軟な連携という新しいシステムを提案し、これを受けて平成11年5月に学校教育法が改正され、大学院に「研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる」(第66条ただし書)という規定が盛り込まれました。これを機に、九州大学では、大学院の教育組織と研究組織をそれぞれの必要から独自に再編できるように、両者を分離しました。(図1)
もちろん、研究者育成のための教育組織としての「学府」と、教官の研究組織としての「研究院」は、「研究」という共通の基盤をもっていますので、両者の組織編成が大きく異なるわけではありません。(図2)しかし、例えば学際的人材の育成を目的に設置された比較社会文化学府のように、比較社会文化研究院に所属する教官とともに、人文科学、法学、経済学、言語文化の複数の研究院に所属する教官が専任の担当教官として教育に当たる組織編成もあります。
なお、学府と研究院が1対1に対応している場合においても、学府の中の「専攻」と研究院の内部の「部門」では、その構成が異なっています。特に、人文科学府と人文科学研究院、理学府と理学研究院などでは、専攻と部門は大きく異なっています。
さらに、研究院と学部の関係では、研究院と学部が1対1で対応している場合と、複数の研究院からの教官が共同して一つの学部の教育に当たる場合があります。例えば、理学部の教育は、理学、数理学の研究院の教官が、工学部の教育は工学とシステム情報科学の研究院とともに、総合理工学、人間環境学、数理学の各研究院の一部の教官が責任を持ちます。文学部も人文科学研究院の教官とともに、人間環境学研究院の一部の教官が教育責任を持ちます。