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2020年度 春季学位記授与式(大学院) 総長告辞

総長式辞・挨拶等

令和2年度春季大学院学位記授与式(令和3年3月24日開催)総長告辞

 本日、九州大学の修士、専門職、博士の学位を授与され、卒業される皆さん、卒業おめでとうございます。修士課程1751名、専門職学位課程130名、博士課程333名の計2214名にそれぞれの学位が授与されました。またこの間、皆さんの学びを支え励ましてくださったご家族、友人、関係者の方々にも九州大学の教職員を代表して心からお祝い申し上げます。

 今年は新型コロナウイルス感染症の感染防止対策のため、保護者の皆さんの出席はかなわない状況で式を行うことを残念に感じていますが、ライブ配信で式をご覧の方々と共に、皆さんの卒業をお祝したく思います。
 
 皆さんの大学院での学び、研究は充実していましたか。大学での学びとは、初めて自分自身で自分の学びを選択し、自分で選んだ学問を専門的に、研究的に究め、やり遂げて、体系的な知識にするというものだと考えます。学部段階までは18歳人口の半数以上が大学に進学するという潮流の中で進学を決める人も多いのではないかと思いますが、大学院への進学は違います。皆さんが学問への探究に魅せられ、また自分の成長のために、自分の人生のなかで「学び」に集中する期間を更に設定するという選択をされたということです。皆さんは、大学院での研究生活の中で学問を深め、新しい考えを導き出し、論文を仕上げられました。「知」と深く向き合う月日を経て、本日を迎えられたことと思います。今どんな気持ちで学位記を手にしておられますか。

 皆さんが大学生活を過ごした2010年代後半、人類は国境なく世界中を飛び回り、便利で効率的な世界が広がる半面、多くの社会的問題が顕在化してきた時代だと思います。そして、2020年の新型コロナウイルス感染症の世界的流行はそれに追い打ちをかけました。私たちは行動変容を迫られ、今まで何の迷いもなく生活していたことが出来なくなってしまいました。社会生活はもちろんのこと、皆さんの日々の学生生活もすっかり変わり、落ち着かない一年であったことと思います。大学に行かないと研究できない、そんな不自由もあったと思います。大変な1年でしたが、この最後の1年を多くの制約の中でやり遂げ、本日、無事学位記を手にすることができたことを誇りに思って下さい。九州大学で学び培った学問とその専門性は、これからの皆さんのかけがえのない財産になり、人生を切り拓く鍵となります。これから新しい社会環境、生活環境の中で始める次の活躍の場で、自分が学んだことを確実に活かし、社会に役立てて下さい。

 想像もしなかった新型コロナウイルス感染症の世界的流行が起こった時、過去の感染症の歴史の中で、約100年前、1918年から1920年まで世界中に猛威を振るった「スペイン風邪」のことも話題になりました。その時の状況を知ることが出来る興味ある事例と記録が、ここ九州大学にもありました。それは第一内科初代教授、稲田龍吉先生の「『インフルエンザ』の臨床的事項」という論説に記述されていました。この論説は1920年に日本内科学会総会で発表された宿題報告で、当時の漢字とカタカナ交じりの文章は、さながら外国語を読むようですが、50ページを超える貴重なレポートです。第一内科ではこれを現代文に書き直し、すぐに同門会報に載せられました。当時の世界人口の30%に当たる約5億人が感染し、3000万人から4000万人が死亡したと推定されるいわゆる「スペイン風邪」の日本における研究記録はあまり残っておらず、この論説は極めて重要性の高い研究と思われます。現在のような衛生管理の概念もなく、ましてや設備や装備もない中、素手でインフルエンザと向き合われた稲田教授とその研究室の話は想像を超えるものがあります。世界的に見ても、まだウイルスが発見されていない時代に、人々は詳細にその症状を観察し、懸命に治療方法を模索し、ワクチンまで作ったようです。人類はこのように未知なもの、不確定なものに対して果敢に挑み、何らかの解決策を見出そうとしてきました。オックスフォード大学の苅谷剛彦先生はその著書の中で、この100年前のパンデミックと現在の新型コロナウイルス感染症のパンデミックでの対応を比較し、「「無知の知」あるいは「不知の知」はソクラテス以来、知に対する哲学の基本であるが、100年前も今回も、知らないということ、わからないということの影響とその意味を、これほどまでに思い知らされた経験はないだろう」と述べ、更に「巨大な無知の知に直面していることを知りつつ、それでも出来るだけ信頼できる知識を集め、それらを比較考量し、直面する未知・不可知に立ち向かっていく。そのような知的で冷静な判断が、徐々にだが新たな経験知や科学的知識の生産・進化に貢献していく。そして、そのためには、「無知の知」が教える、知や知の生産への謙虚さを取り戻すことが重要となる」と書いておられます。人類には「わからないこと」がまだまだたくさんあります。今回の新型コロナウイルス感染症がよい例です。懸命な研究でワクチンが生み出され、日本でも接種が始まりましたが、変異株が猛威を振るうのではないかという懸念が高まっています。しかし、これに挑み、感染症と、それが人間社会に及ぼす大きな影響を抑えようという努力は、自然科学はもとより社会科学や人文科学の世界で日々続けられています。これは先人たちが「無知の知」を謙虚に受け止め、その前で何ができるかを懸命に考え、一つの解にたどり着く、この繰り返しにほかなりません。皆さんは、知の探究の方法を身につけられました。この繰り返しの歴史に加わって、今の「最適解」にたどり着く、この努力を共に続けていく仲間だと思っています。

 九州大学は1911年に開校して以来、福岡の地にあります。多くの学生が数年間を経て入れ替わり立ち代わり入学し卒業していきます。多くの教職員が入ってきて、また去ります。そして皆さんもその一人です。皆さんが九州大学で学んだということは、稲田教室の奮闘と同じく九州大学の歴史となっていくのです。九州大学で学んだことを忘れないで下さい。それは、もちろん学んだ専門的な知識のことを忘れないでほしいということでもありますが、皆さんが大学に在籍したこと自体が九州大学の歴史になっていく、一人一人が九州大学の歴史そのものなのです。卒業後、皆さんが折に触れ、大学を訪ねてくださることを歓迎します。九州大学での学びや活動が皆さんの心の拠り所になることを願っています。

 最後に、今日卒業される皆さんがこの大変な時代に、希望を失わず諦めないで、新しい社会の信頼できる担い手としての一歩を踏み出されることを心から応援しています。そして共に、福岡、九州、日本、アジア、そして世界の「知」、すなわち「英知」をより豊かにする、たゆまぬ歩みを進めて行きましょう。

 健闘を祈ります。

2021年3月24日
九州大学総長
石橋達朗