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平成13年度 卒業式告辞(2002年3月25日)

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平成13年度 九州大学卒業式告辞(2002年3月25日)

 本日、ここに集われている平成13年度学部卒業生および大学院修士課程修了者の学生の皆さん、御卒業おめでとうございます。九州大学で教育を受け、研究の指導を通じて自己研鑽され、九州大学の学生としての誇りを持って晴れて社会へ巣立たれる皆さん、あるいは大学院博士課程に進学する皆さんを前にして、私はこの集団の偉大なるエネルギーを感じると共に、すがすがしい気持ちになっております。

 卒業式の英語訳として"Graduation"という単語がありますが、この単語には「卒業式」という以外に「等級付け、格付け」という意味も含まれております。20代前半の若い皆さんが社会に巣立つ言葉としてこの"Graduation"は、ふさわしいとは思えません。米国の大学の卒業式で使われる"Commencement"は、「卒業式」という意味以外に、「開始・始まり」という意味があり、"Commencement"の方が社会という荒波の海へ出発する皆さんにぴったりする言葉と思えるのです。皆さんが九州大学で教育を受け、研究を行い、人生第一回目のゴールである学部卒業あるいは修士修了という到達点に達せられましたのも、学生の皆さんの努力の賜物であることは勿論ですが、経済面から精神面まで支えていただいたご家族の愛情ある支援と、大学で教育・研究に指導していただいた教職員の支援を忘れてはなりません。皆さんには若さがあるが故に、全て自分でできるという自信を持つのは良いのですが、この素晴らしい日を迎えられたのは、大学生活を支えていただいた身の回りの多くの人々のおかげであり、その人達に感謝しなくてはなりません。

 不幸な第二次世界大戦終了より57年、皆さんの諸先輩は乏しい食料で必死に日本復興のため日夜努力され、世界第2位の工業生産を誇る国にまで日本を成長させてきました。しかし、最近の日本は何故この様になったのでしょうか。金融破綻、食べ物の生産地名を書き替えるといった社会的無責任、政治の混迷など、いつからモラルに欠け、他人を思いやる愛情に乏しい国民になったのでしょうか。社会を先導し、模範となるべき人達が私利私欲を追い求めるのを知るにつけ、倫理感の無さに目を覆いたくなります。他人を思いやり周りの人に愛情を注ぐ日本国民の良さはどこに行ったのでしょうか。

 しかし、私達は、この様な現在の日本の社会現象を、ただ嘆いていても仕方がありません。九州大学で四年間あるいは六年間教育を受けた皆さんは、高い道徳心と高邁な理想を追い求める実行力を身に付けられたと私は信じています。皆さんの一人一人の小さな努力の積み重ねが、やがて日本を良い方向に変えるエネルギーになると、私は確信しております。

 経済的凋落により世界的に地位の低下しつつある日本で、2000年の白川英樹博士と2001年の野依良治博士のノーベル化学賞の連続受賞ほど、私達日本国民をすがすがしく、晴れがましい気持ちにさせたニュースはありません。白川、野依両博士のご業績は、実験計画を立てる、実験過程を注意深く観察する、実験結果の解析と解釈をする、さらに、実験結果の解釈が正しいかどうか再度実証実験を行い、結論の正しさをチェックするという研究手順を踏んだものであり、注意深い観察力と思慮深い考察力の賜であり、決して偶然の結果ではありません。

 両博士の観察力―洞察力―展開力は、自然科学のみでなく人文科学、社会科学の研究でも必要な能力であります。両博士のノーベル化学賞受賞は、国民レベルでの科学技術への意識を高めると共に、特に若い研究者に基礎研究の大切さと夢を与えただけでなく、何事につけても深く考えることの重要さを教えてくれたものと確信致しております。両博士の研究に対する情熱と訓練された創造力をもって、実験結果に基づき、考えに考えぬいた結論として、新しい物質を生み出す、新しい理論を導き出す、新しい機構を見出す、という科学の結晶が生み出されたのです。すなわち、両博士の輝かしい業績は、私達に科学者という立場だけでなく、人間として考えることの苦しみと、喜びを教えてくれているのです。

 皆さん、日本人に創造性が無いと思いますか。著名な学者の言葉に乗ったマスコミが、きちんとした検証もせずに、「日本人は応用力を持ち合わせ、物を作り出すのは得意だが、創造力に乏しい」と言っているのを聞くに付け、私は憤りを覚えると共に悲しい気持ちになります。

 もし、日本人に創造性が乏しいのであれば、平仮名や片仮名が生まれたと思いますか。源氏物語や奥の細道という珠玉の文学作品が世に出てきたでしょうか。また、和歌、俳句などの日本独自の表現法が生まれてきたでしょうか。これらの輝かしい先人達の歴史的作品や作業は、日本人が文学、芸術、科学の分野で本来、他国民の追随を許さないほど創造性豊かな民族であることを示しております。

 にも関わらず、現代の日本人が、外国人から見ても、創造性に乏しいのではないかと言われているのは何故でしょうか。私は、この原因が日本に於ける教育に問題がある、すなわち、創造性を生み出すための教育が行われていないのではないかと思っています。

 最近の日本人は、家庭や学校で「自分で考え、自分の考えを持ち、それを個人の意見として発表する」というトレーニングに欠けているのではないでしょうか。皆さんは、本日家を出てこの会場に来るまでに、皆さんの身の周りで起こっている自然の変化や、社会変化など、何か不思議だとか、何故だとか考えたことはありませんでしたか。テレビを見、新聞を読み、日常の政治、経済や芸術、スポーツに関して「自分はこう考える」「自分の意見はこうだ」と自分の意見を発表する準備を常に行っていますか。「自分の意見を持ち発表する」という習慣は、日頃の訓練から生まれるものであり、そのためには、家庭での乳幼児教育と小学校・中学校での少人数教育が不可欠となるのです。

 家庭では両親や家族が、子供の考えを導き出し、それに対して褒めてやり、子供が自分の考えを言うことの喜びを教えてやる必要があるのです。また、小学校、中学校では、生徒と先生の間の言葉でのコミュニケーション、すなわち、意見のやりとりを行うということが、日常の習慣として身に付く教育が必要なのです。外国では、10才くらいの子供が、大人の前で自分の意見を堂々と話しているのを見る機会がしばしばあります。欧米では、家庭や低学年教育で、自分の考えを持ち、それを自分の意見として他人に伝えるというコミュニケーション教育が日常行われているのです。

 残念ながら、日本の家庭や低学年教育では、自分の考えを持たせ、特にユニークな意見を尊重し、褒めてやる教育の機会が少ないのではないでしょうか。私の周りの学生に尋ねても、自分の意見を満足に言えないどころか、自分の考えすら持っていないのではないかと思える学生も多く、愕然とすることがしばしばあります。

 「地上に立っていられることはなんと不思議なことだろう」と言った電磁気学者のMichael Faradayや、「確かに何かあるはずだ」と言ったノーベル物理賞と化学賞を受賞したMarie Curieらは、私達が極当たり前と思うことを真剣に考えているのです。皆さん、日常生活や自然現象など、身の周りで経験する不思議と思えることを自分なりに考え、理解し、またテレビや新聞から得られる政治、経済、教育などの問題や芸術、スポーツに関して自分の意見を持ち、人に伝える努力をし、その習慣を身に付けて下さい。自分独自の考えは個性に繋がり、それが創造力を生み出す源になります。日本人は、決して元来、創造力の無い民族ではありません。科学、文学、芸術のあらゆる分野で創造性豊かな国民なのです。九州大学の90年の伝統ある学風は、「創造性豊かな思考力を持ち、何事にも自分で行動する」ことであります。

 昨年9月11日、米国で起こった同時多発テロは、人間として卑劣で、私自身、憤りを覚えざるを得ません。政治、経済、宗教、民族の違いがあるからといって、またそれがテロを起こしたグループの信念であるからと言っても、何も罪の無い人を対象にしたテロは、絶対に許されるものではありません。20世紀は戦争で人が人を最も多く殺した世紀でした。同時多発テロ後、アフガニスタンに対して各国はどのように行動すべきであったのか、私たちは考える必要があります。特定の国の政府の意見や行動に、自分の意見なしに賛同するのではなく、私達は自分の意見を持ち、人に伝え、より良い解決法を探るべきではないでしょうか。アフガニスタンに対するここ数ヶ月の各国の行動や政策が適切で正しかったかどうか、もう一度、みんなで考えてみる機会があっても良いではありませんか。

 21世紀が始まって早くも一年以上過ぎました。狭い地球上で、人間としての尊厳を守り、各民族が互いに尊敬しあい生きていくこと、さらに文化の伝承や科学の進歩など、全て皆さん、若い人達の努力にかかっているのです。生活を豊かに、心を豊かに、人間性豊かな世界にするため、全てプラス志向で世界を変えてゆけるのは皆さんの真摯で慎重な考えです。

 「社会への船出」「輝かしい次の人生への出発」というこの晴れがましい席で是非皆さんに考えて欲しいのです。「人間が一番偉いのか、万物の王なのか、それ故に地球上で何をしても良いのか、また人間の愛、神の愛とは何なのか」を。社会に出られても、九州大学で学び身に付けたこと、また九州大学の伝統を生かし、皆さんの後に続く後輩達への良き道しるべとなる様、活躍して下さい。そのためには、心身共に健康であることが不可欠です。人間としての愛を持ち、羽ばたく鳥の様に、大空に向かって活躍されることを心より願い、告辞と致します。

「思慮深い人間に」
平成14年3月25日
九州大学総長 梶山 千里