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平成14年度 卒業式告辞(2003年3月25日)

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平成14年度 九州大学卒業式告辞(2003年3月25日)

 本日、ここに集われている平成14年度学部卒業生および大学院修士課程修了生の皆さん、御卒業おめでとうございます。九州大学で教育を受け、研究、ゼミを通じて自己啓発をされ、九州大学の卒業生としての誇りを持って晴れて社会へ巣立たれる皆さん、あるいは大学院博士課程に進学する皆さんを前にして、この晴れがましい会場に漂う希望、誇り、満足感という皆さんの熱気を、今私自身、直に感じています。本日の卒業は、皆さんが九州大学で教育を受け、また研究する時が終わるという物理的節目であるのみならず、自分自身の行動に責任を持つべき社会への、輝かしい門出を意味するのです。

 皆さんが九州大学で人間性、社会性、国際性を身に付けるための教育を受け、さらに専門的な研究の指導を受けて、学部卒業あるいは修士修了という輝かしい到達点に達することができましたのは、学生の皆さん自身の努力の賜であることは勿論ですが、皆さんの周りの方々のお陰であることも忘れてはなりません。経済面から精神面まで支えていただいたご家族の愛情溢れる支援、大学で人間的、社会的に独立できるように教育・研究の指導をしていただいた教職員の励まし、人の心の温かさと痛み、友情とは何かなどを、人と人との付合いを通じて教えてくれた先輩、友人の支えを忘れてはなりません。また、中学、高等学校時代には同窓生でありながら、何らかの事情で大学で教育を受ける機会がなく、これから社会に出る皆さん達の社会での先輩として汗水を流して働いている方達の存在を忘れてはなりません。

 今、皆さんは卒業式という荘厳な場で、九州大学で何かを成し遂げたという達成感と満足感に浸っていますが、もう一度、九州大学で何を学び、何を身に付けたか、思い起こしてみましょう。九州大学教育憲章には、人間性、社会性、国際性と専門性を身に付けた学生を育成するとあります。この全てに共通して必要な素養として、自分で問題を見つけ、自分自身で考え、自分で問題を解決できる、自己啓発教育が不可欠であると、私は信じています。自己啓発教育でまず重要なことは、皆さんの身の周りで起こる様々な変化、例えば、政治・経済、国際情勢の変化、自然の変化、地域社会での変化を注意深い観察力を持って捉え、興味を持つことからそれは始まるということです。自分の身の周りで起きる様々な変化に、何故かと不思議に思い、現象や変化に対する自分自身の感想や意見として、他人に伝えるというプロセスの確立が、皆さん個人の個性を形成していきます。個人の意見の積み重ね、即ち個性の蓄積が独創性に繋がり、創造性を生み出すのです。芸術・文化の独創性・創造性には、その人の持って生まれた身に付いた能力が重要でしょうが、人文・社会・自然科学における独創性・創造性の発揮には、自分で考え、自分の意見を持ち、それを個性から独創性・創造性へと展開していく個人の努力と訓練が不可欠です。換言すれば独創性・創造性は、自己啓発により自らかち取ることができるし、そのためには家庭での愛情に満ち溢れた乳幼児教育と、小学校・中学校での少人数教育による教師と生徒間双方向の意見の伝達と交換が重要です。皆さん、九州大学で教育を受けた過程で、また学生生活を行うなかで、自分で考える習慣を身に付けましたか。九州大学を卒業するときにそのようなことを言われても遅いと思われるかも知れませんが、自分で考え、自分の意見を持つことの訓練が足りなかったと思う諸君は、今からでも遅くありません。皆さんは、若く未だ人間として完成品ではないのですから、社会に出て、あるいは新たに博士課程に進学してから、自己啓発を意識的に行ってください。

 私達が住んでいるかけがえのない地球上で、現在も、政治、経済、宗教、民族、環境等、様々な問題をかかえ、多くの国の間で緊張した関係が続いています。二十世紀には私たちが予想もしなかった速度で科学が発達し、その内容が多岐に亘るため、私達個人が理解できる範囲を遙かに越え、変化についていけなくなったり、科学が人間の倫理を越えてしまった事例が多くありました。そのような状況では、個々の人間自身の内では、身体と精神のバランスがとりにくくなり、また他人との間では、心理的抑圧あるいは精神的軋轢が私達の心の制御できる範囲を越えてしまい、最終的には、民族的あるいは宗教的理由による国家間の紛争となったり、政治的、経済的理由による国家的破綻へと変化していきます。二十世紀は、戦争で最も多くの人の命が失われた世紀でした。最近の新聞,テレビの報道を見ますと,地球上で万物の霊長である人間が、生き物の中で最も優れた知能を生かすことなく二十一世紀でも二十世紀の人類の過ちを繰返しているように思えて仕方がありません。連日報道されているイラクに於ける武力紛争に関しても、私達、日本人はどのような意見を持っているかを他の国の人々へきちんと説明する必要があります。このような時こそ、個々の日本人が意見を持ち、それを集約して日本国民の意見として表明することが重要なのです。勿論、各国には政治的、民族的、経済的な問題があり、政府としては戦略的に行動をせざるを得ないことがあるのは理解できるのですが、他民族の痛みを理解できる人間として自由な信念と意志に基づく個人の意見の集約である国民の主張と、諸国間の利害関係や世界政治力学のバランスを第一に考える国や政府の意見とが異なることがあっても仕方のない事と思います。私達は、人間的信頼感と人類愛に基づいて行動すべきで、自分の信念に基づいて意見を言い、より良い解決法を提案すべきではないでしょうか。今回の一連のイラク問題に対する各国の行動や政策が、真に人間の尊厳と存在を脅かすことに対する対抗措置なのか、各国自身の国益・権益や利権・利害あるいはただの意地からの決定であるのか、もう一度みんなで考えてみる機会があっても良いのではありませんか。狭い地球上で人間としての尊厳を守り、各民族がお互いに尊敬しあい生きていくことの大切さを後世に伝えるのは、全て皆さん若い人達の努力にかかっているのです。若い人達が信念に基く意見を言うことをやめ行動しなくなったときが、人類の正しい方向への変革の停止を意味しており、地球上の民族、宗教間の争いを解決できなくなるときです。生活を豊かに、心を豊かに、人間性豊かな世界を築くことができるのは、皆さん若い人達の真摯で、信念に基づく行動なのです。

 卒業という人生の希望に満ちた旅立ちの時に、皆さんにお願いしたいことがあります。それは、「志の高い人間」になって欲しいということです。志を高くし、人生に対する目的を持ち、それを努力して実現する人間になって欲しいのです。政治的にも経済的にも閉塞感ある社会では、ただ豊かに楽をして、自分自身の家庭を大切にして過ごせれば良いという気持ちが若い人達の間で蔓延し、若い人達の向上心が乏しいと言う人も居ますが、九州大学で教育を受けた皆さんには、そのようなことはないと信じています。志を高く持ち、社会を良い方向へ先導していく義務が、皆さんにはあるのです。「人並みの努力は人並みに終わる」という言葉を、私は小学校卒業の時に校長先生よりいただきましたが、簡潔なこの言葉には意味、内容の深いものがあり、私の心に今でも残っています。

 デイヴィッド・リースマン著の「孤独な群衆」の中に「仲間に抽んでていたり、あるいは仲間からちょっとはずれていたりする人間達を同じような鋳型にはめ込む努力、それが子供達の社会で行われている」という記述があります。この社会的現象は、半世紀前の米国でのことですが、現在の日本の子供達の人間関係によく似ています。小学校の運動会の競走で順位を付けないなど、極端な平等主義が行われていることもあると聞きます。何事も平等であるべきという教育観が、不平等を子供に押し付けている典型的な例です。社会に出れば色々な場面で競争があり、このような平等主義教育では、競争社会で日常生活に耐えられる意志の強い子供は育たないでしょう。ある面で劣っていても、誰でも何か特技があり、一位になれるチャンスがあることを子供達にしっかり教育すれば、社会での平等とは何かをきちんと理解できる人間が育ちます。

 辞書を引きますと、「志」とは、1.心に立てた信念、心の目当てを定めること、2.厚意、親切心、とあります。即ち、「高い志」を持つということを広義に解釈すれば、1.確固たる目的意識と希望、夢を持ち、実現するための努力をする、2.倫理観を持ち、人類に役立とうと思うこと、3.未知のことに感動できる、であります。

 この中でまず、確固たる目的意識あるいは夢を持つことについてお話ししたいと思います。ただ漠然と目的意識もなく九州大学で過ごした方は居ないと思いますが、人生に目的意識をきちんと持ち、日常行動をすることは大切なことです。こうありたいと強い願望を持っている人は、その願望を必ず実現することができます。2000年の白川博士、2001年の野依博士、2002年の小柴博士と田中氏のノーベル賞受賞は、日本人に創造性があることと、日本における基礎科学研究のレベルの高さを世界に示したもので、これからも皆さん達、若い方からもノーベル賞受賞者が現れるものと信じています。但し、これらの方々のノーベル賞受賞は、実験中に起こる現象を何一つ見逃すまいとする彼らの観察力と、その研究結果を徹底的に分析する解析力、洞察力、さらに新しい研究分野への展開力、そして未知の現象を知りたいという確固たる目的意識を持って行った研究の成果であり、決して偶然の結果ではありません。ゲーテは、「発見には幸運が必要であり、発明には知性が必要である」と言っていますが、その知性は、私達が生まれたときから備わっているのでなく、私達が目的意識を持って行動し、切磋琢磨して獲得するものです。また、ゲーテは「人間は努力する限り迷うものだ」とも言っていますが、努力に対する目的意識が明確である限りその迷いには必ず光明が見つかり、輝かしい人生のゴールが待っているのです。

 次に、倫理観について話しましょう。倫理とは、実際道徳の規範となる原理ですから、人間が生まれたときから心の中に備わっているべきものです。地球上の全ての人が倫理観を備えていれば、紙に書いた約束事や規則などいらないのです。先ほど申し上げたように、近年、科学の発展のスピードが速すぎて、その内容や影響範囲を理解できないまま、ともすれば人間性、倫理を越えた領域まで科学技術が踏込む可能性があります。人間の尊厳とは何か、自然現象に対する人間の驕りとは何か、科学技術の社会倫理への影響とは何かを、常に考えることができるよう自己啓発することが重要です。皆さんは、研究者、技術者である前に社会的常識、即ち倫理観を身に付けた社会人になるべきなのです。九州大学で教育を受けた皆さんは、「志を高く持ち」礼節を重んじ、人を信頼し、高い理想を実現できる実行力を身に付けられたと思います。若い皆さん一人一人の小さな努力の積み重ねと目的意識を持った行動が、やがて日本に、また世界に人間性豊かな社会を実現させる着実な一歩となるものと信じています。社会に出られても、九州大学で学び身に付けたこと、そして九州大学の輝かしい伝統を生かし、皆さんの後に続く後輩達への良き道しるべとなるよう、活躍してください。そのためには、心身共に健康であることが不可欠です。人間として、他人の痛みの分かる心を備えた大人として,志を高く持って活躍されることを願って、告辞といたします。

「高い志を持つ人間に」
平成15年3月25日
九州大学総長 梶山 千里