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平成15年度 入学式告辞(2003年4月8日)

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平成15年度 九州大学入学式告辞(2003年4月8日)

 この荘厳な入学式の静寂の中にも、九州大学に合格したという皆さんの満足感と達成感が生み出す若々しいエネルギーを、私自身、直に感じています。「変革し、飛躍する九州大学」の一員になられた皆さんを、心より歓迎致します。入学おめでとう。

 本日、晴れの入学式に出席しておられるのは、入学試験という過酷な競争を突破された皆さん自身の努力によるのは間違いありませんが、今日まで精神的および経済的な両面から皆さんを温かく支えていただいた御家族のご恩を忘れてはなりません。また、小学校から今日まで、勉学という面からだけでなく、社会人となるための心の成長を支えていただいた学校の先生方、楽しいにつけ悲しいにつけ相談相手となってくれた友人達にも、感謝を忘れてはなりません。皆さんは若いが故に、何事も自分自身でできると思うのは良いことですが、皆さんの今日の晴れの姿は、周りの多くの方々の経済面、精神面、あるいは教育面からの、計り知れない多くの支援によるものなのです。

 まず、皆さんが入学された九州大学の歴史と現状を説明しましょう。九州大学は、1903年に京都帝国大学福岡医科大学として設立されていた医科大学と、1911年に設立された工科大学とが合併し、九州帝国大学として誕生しました。東京、京都、東北帝国大学に次ぐ第4番目の帝国大学で、今年で92年の歴史と伝統を誇る、我が国の高等教育の基幹をなす大学であるとともに、研究面でもこれまで数々の世界的業績を挙げてきました。現在、九州大学は、学部学生約1万1千名、大学院学生約5千8百名、教職員約4千5百名が所属する、巨大な知的集団であり、優れた人材教育と、卓越した基礎および応用研究を世界に発信する、我が国有数の中核的教育・研究拠点大学の一つであることはご存知の通りです。

 九州大学は、自ら定めた改革の理念を効果的に実現し、また、基礎教育を確実に身に付け、創造力を養う教育・研究の中核的拠点を実現するために、平成17年度より、福岡市西区元岡・桑原地区の新キャンパスに移転を開始します。新キャンパスは、275ヘクタールと広大で、福岡ドーム約40個分の広さに対応しており、環境の保護、埋蔵文化財の保存に細心の注意を払って造られています。大学本部地区、理系地区の造成は平成14年3月に完了しました。平成14年度より工学系の研究・教育棟の建設を開始するに当たり、本年1月15日に起工式を行いました。センターゾーンの設計・デザインは黒川紀章氏にお願いしており、今後100年以上の研究・教育のための新理想空間の実現に向け努力しています。新キャンパスでは、学生の皆さんにとって、キャンパス生活が楽しく勉強せずにはいられないという環境を作るために、多くの仕掛を創るつもりです。

 入学したばかりの皆さんには少々早いかもしれませんが、皆さんの多くが4年後に入学する九州大学の大学院制度の特色についてご説明します。九州大学は、平成12年度に、国策として大学院重点化大学となり、それと同時に、「学府・研究院制度」を創設しました。この制度は、大学院を教育組織の「学府」と、教官の研究組織である「研究院」に分離したもので、社会からの要請、あるいは学術面の変化に対応した柔軟な組織への再編成が可能な、我が国で初めての制度であり、国内のかなりの数の大学で、この「学府・研究院制度」を導入、あるいは導入を計画しています。

 九州大学が教育・研究の中核的拠点としての大学院重点化大学になったとはいえ、皆さんがこれから4年間受けられる学部教育の充実のために、特に低学年共通教育を中心に、皆さんの創造性を養い、基礎学力が身に付くように、カリキュラムの編成に教職員が日夜、努力しています。少人数教育によるコミュニケーション術の向上、創成型科目による自分で課題を見つけ自分で問題を解決する創造力の向上、実践的語学教育システムの開発など、教職員の努力により、カリキュラムに色々な仕掛けと工夫がなされています。従来は、大学に入学する前の受験勉強でエネルギーを使い果たし、また、学部低学年教育のカリキュラムに高等学校から大学への導入教育の工夫がないなどの理由から、大学入学早々に勉学の意欲をなくす学生も居ました。九州大学では、高等教育研究機構でこのような問題を検討・解析し、それを解決すべく努力した結果、低学年教育のカリキュラムには、多くの工夫がなされているのです。

 皆さんが九州大学に入学した目的は何であるか、もう一度入学式というこの日に真剣に考えて下さい。遊び、のんびり過ごすためや、就職準備の目的で、九州大学に入学したのではありません。皆さんは、九州大学の教育と研究に耐えられる基礎学力と体力を身に付け、また社会人として常識ある行動のとれる学生として、九州大学に合格したわけです。先にも述べましたように、九州大学の基礎教育と創造教育は、担当される先生方の努力と工夫により、非常に充実しています。低学年教育、共通教育で教えられる科目を理解し、高学年専門教育の基礎として身に付けられるかどうかは、皆さん個人個人の勉強に対する真摯な取り組み方によります。勉強は皆さんが自覚して行うもので、他人から強制されてするものではありません。いくら良い教育を受けても、それを理解し、個性ある考え方として展開し、独創性・創造性を身に付ける努力をしなければ、大学教育を受ける意味はありません。2002年2月に学生援護会が日米学生比較の調査を行っています。自宅や図書館で勉強をしていない学生は、日本では34.1%も居ますが、米国で1.4%と僅かであり、如何に日本人学生が大学で勉強していないか明白です。ここでは、九州大学では、「初心を忘れず勉強せよ」と言っておきます。

 皆さんは、高等学校を卒業後間もない人が多く、柔軟な考え方をもち、また出会う何事にも新鮮さを感じる感受性の強い年令です。そのような年令では、他人の意見に耳を傾け、理解し、できるだけ身に付くよう努力するものです。そこで本日の入学式に当たり、「独創性・創造性の発揮」、「社会との連携」、「多様性の許容」、「礼節」について私の意見を述べさせていただきます。

 まず、「独創性・創造性の発揮」について話をしましょう。「日本人は物作りは天才だが、自然科学の研究に創造性が乏しい。」と、数年前までよく言われていました。皆さんは、本当に日本人に創造性が欠如していると思いますか。2000年から3年間続いたノーベル化学賞の白川博士、野依博士、田中氏、また2002年物理学賞の小柴博士の輝かしい業績は、日本人の卓越した独創性・創造性と、日本における基礎科学の水準の高さを世界に示したものと私は信じています。芸術・文化分野では持って生まれた独創性や創造性が必要でしょうが、これから皆さんが学ぶ人文・社会・自然科学の分野では独創性・創造性は、研究に対する観察力・洞察力・解析力とさらに、その展開力の結果として各人に後天的に備わる要素も多く、皆さん自身の自己啓発教育によって勝ち取ることができるものです。皆さんの身の回りで起こる自然変化、社会変化に対して、常に感動し、好奇心を持ち、不思議に思って下さい。何故その様になるのかなど、常に「何故」、「何故」と考えてみて下さい。九州大学で教育を受ける間に、何事につけても自分で考え、自分の意見を持ち、その意見を他人に伝達する訓練をして下さい。自分独自の意見を持ち、他人に知らせることは、その人の個性に繋がり、最終的には独創性・創造性を生み出す源となります。日頃の勉強や日常生活で、観察力―洞察力―展開力というスパイラルアップの訓練をし、皆さんの独創力・創造力を生み出す努力をして下さい。独創性・創造性を生み出すためには、常に何か新しく、他人と違うことを見つけようとする自己啓発の姿勢が不可欠です。

 次に「社会との連携」について話しましょう。「社会」を広義に解釈すれば、両親・兄弟姉妹を含む家族、先輩、後輩も含む友人、さらに私達が住んでいる地域の人間集団も含みます。「社会との連携」の根本は、「人間性に基づく社会的繋がり」です。近年、私たちが常識では理解できない様々な事件が、新聞・テレビで報道されています。親が幼い我が子を虐待し殺人まで犯すとか、人の尊厳を踏みにじり、人間を物質のように取扱う犯罪など、私達の心を痛め、本当に人間としての教育を受けてきたのかと疑問に思う事件があまりに多過ぎます。人間の親子の愛情の深さが、他の動物以下であっては、人間に万物の霊長であると言う資格はありません。私は、このような人間性、社会性に欠けた事件の発生する原因の一つに、愛情を伴った人間的コミュニケーション不足があると信じています。家庭での少子化、人口の減少、パソコン中心の日常生活等、家庭や社会で他人との接触機会の減少、極端な例として、他人と全く会話なく生活できるという生活スタイルの変化が、急激に起こりつつあります。昔は親子3代家族が当たり前であったのが現在では核家族となり、若い母親の育児を手伝い、アドバイスする人達が、家庭で少なくなった事も、親の子供に対する虐待が増加する原因の一つでしょう。大学で教育を受ける目的は、授業に出席し、基礎と専門科目の内容を理解し消化することですが、大学時代には、授業から学ぶことのできない、日常生活を通じて社会から学ぶべき重要なことが沢山あります。例えば、友人関係から学ぶ人の心の温かさや痛みであり、また、社会の一員としての自分自身の存在価値を認識できるボランティア活動など、社会活動を通じて学ぶ人間性、社会性、国際性があります。大学時代はまた、学業や人生の悩み、自分の選ぶべき将来計画、人生観、宗教観あるいは趣味に至るまであらゆる面で相談、討論できる友人を見つけることのできる最も良い時期であり、大学時代の友人は一生の宝となります。先輩、後輩達と口角泡を飛ばす議論をして、初めて世の中には自分と異なる様々な意見を持つ人間が存在することを知り、他人の意見を尊重し、受け入れる心が備わってくるのです。他人とのコミュニケーションによって、政治・経済・文化・宗教・民族の違いを乗り越え、その違いを許容できる人間として寛容な精神が育つのです。皆さんにお願いしたいのは、九州大学在学中に、授業や日常生活を通じて心の悩みを打ち明けて相談のできる友人を見つけて欲しいということです。そのような友人は、時には親より、先生より頼りになりますし、皆さんの一生を左右することもあり得るのです。大学での友人作りの方法はいくつもありますが、文系・体育系のサークルへの参加、いろいろなボランティア活動あるいは学外で催されている文化グループへの参加等、積極的に社会と連携することを切望します。

 次に「多様性の許容」についてお話しましょう。地球上には、様々な国あるいは地域で、多種多様な生活習慣、社会通念あるいは政治・経済体制、民族、文化、宗教があることを知り、私達と異なった民族観や宗教観を持つ集団が存在していることを知ることが、「多様性の許容」の基本です。自分自身の意見と異なる考え方を持つ個人あるいは集団が居ることを知って、初めて他人あるいは他民族を尊敬することができます。2001年9月11日に米国で起こった同時多発テロは、民族、宗教、政治が違うという理由から、また世界観が違うという理由から、罪のない人を対象にしたテロ行為であり、決して人間として許されるものではありません。地球上に存在する民族、宗教、文化、政治・経済体制等、様々な面で自分達と異なるものがあることを理解し、許容することができれば、20世紀に起こった多くの戦争や現在起こっている民族あるいは国家間の争いを、防ぐことができたかもしれません。幸いにも、九州大学の学生になられた皆さんの身の回りには、世界中から集まって来た1000人近い数の留学生がいます。外国からの留学生と積極的に交流し、意見を交換し、多くの国際的友人を作り、地球上には、単純に統一したり、規格化したり、枠に嵌め込んだりできない価値観、人間観、宗教観のあることを理解して下さい。

 最後に「礼節」についてお話ししましょう。「礼節」などという言葉を皆さん若い人達はあまり聞いたことがないかも知れませんが、人間として社会生活を営むための最も重要な心の持ち方なのです。礼節とは「礼儀のきまり」や「礼儀と節度」のことで、ある面では躾やマナーと同一の内容を含んでいます。躾とは、漢字のとおりに身を美しく「こなす」ということであり、日本的文化としては中庸とか過不足ないという意味も含まれているのです。最近は何ごとも米国式が多く、自分の意見を徹底的に主張せよと言われています。自分自身の意見を主張し、他の人と討論や意見交換をすることは、自分の存在を知らせ、社会で認めてもらうための、非常に重要な手法であることは疑いもありません。しかし、自分の意見を他人に対して主張するということは、他人の意見を受け入れるというルールがあって初めて相互理解が生まれるものです。自分の価値判断や基準を他人に押し付けることはマナーやルール違反であり、究極的な結果として、国家間、民族間或いは異なった宗教・宗派間の争い事になるのです。

 典型的な日本文化である茶道、華道での礼儀作法、弓道、柔道での作法、身のこなし、身近なことでは食事中のマナーなど、それらの動きの順序、動作線は最も無駄がなく、深く考え計算し尽されたルールなのです。無駄の無い身のこなしと心の持ち方とは、合理的で最も理に適った人間の静と動の融合であり、平静、平穏な精神状態が保てることを意味しています。このような日本文化の奥義や真髄を理解すれば、日本的礼儀作法は古くさいとか面倒だなどと思えなくなるのです。礼節、もう少し分かり易く言うと、躾、礼儀、マナー、ルールは人間が生まれたときから備わっているのでなく、家庭では親から子へ、社会では人から人へ伝えられ、あるいは礼儀作法のルール集から学ぶことです。最近の若い人は本を読まなくなっていますが、一度で良いから正しい礼儀作法の本を読むことを薦めます。若い人から手紙をもらったり、メールを受け取る機会が多くありますが、あまりに礼儀に欠け、または不躾けで無礼な内容と形式が多いことを知って欲しいのです。礼節をきちんとわきまえる事は、皆さんの周りの方々に心安かで心地よい雰囲気と時間を創り出します。皆さんは高等学校を卒業して日も浅く、人間として社会人として未完成であることを良く理解し、礼節を重んじる人間として成長して下さい。

 皆さんがこれから九州大学で受ける教育は、受け身でかつ他人から強制されるものであってはなりません。学問に対する欲求と研究から新しい真実を見つけ出す喜びは同じであり、勉強も研究も、その本質は、新しいことを知る喜びであるのです。しかし、今から六本松地区を中心に受ける低学年共通教育や基礎教育、そして箱崎地区、病院地区、筑紫地区、六本松地区で受ける学部専門教育、大学院教育及び研究には、新しい知識の蓄積、新事実の発見、さらに自分の考えを展開できるという期待と感動がありますが、決して易しく、楽しいばかりではありません。学問、研究は、専門的に深く追求すればする程、苦しさが増してきます。

 抵抗なく何事にも飛び込んで行き、失敗が許されるのは若い時しかありません。新入生の皆さんは、若者の特権を持てる若い日があっという間に過ぎることを自覚して、1日1日を有効に、九州大学の学生生活が実り多く、有意義となるよう心掛けて下さい。大学から何かをしてもらおうと期待するのではなく、何を自分自身ですべきかを考える社会人になって下さい。「変革し、飛躍する九州大学」の学生という誇りをもち、何事にも自分の意見を持ち、積極的、建設的な行動の取れる社会人として、また天より高い志を持つ人間として成長することを願って、告辞と致します。

「礼節を知る若者に」
平成15年4月8日
九州大学総長 梶山 千里