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平成15年度 卒業式告辞(2004年3月25日)

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平成15年度 九州大学卒業式告辞(2004年3月25日)

 本日、ここに集われている平成15年度学部卒業生の皆さん、御卒業おめでとうございます。九州大学で教育を受け、研究、ゼミを通じて自己研鑽をされ、九州大学の学生としての誇りを持って晴れて社会へ巣立たれる皆さん、あるいは大学院修士課程へ進学される皆さんを前にして、晴れやかな気持ちになっております。皆さんは、九州大学で、授業、ゼミ、研究を通じて何かを成し遂げたという満足感に浸るとともに、学部卒業という大きな節目に到達した自分自身を誇りに思っておられることと思います。本日の卒業は、社会や大学院生活という、自分自身の行動に責任を持つべき未知の世界への輝かしい門出を意味するものです。

 九州大学での4年間、皆さんが教育・研究に対して、受け身でなく積極的に行動し、努力した結果として、この卒業式に参列しておられることは間違いのない事実ですが、経済面から精神面まで支えていただいた御家族、あるいは大学で教育と研究を指導していただいた教職員、さらに大学生活で心を通わせた先輩、友人等、皆さんの身の周りの多くの人々の支えがあったことを忘れてはなりません。皆さんは若さがあるが故に、全て自分でできるという自信を持つのはよいことですが、何らかの事情で大学で勉学の機会を持つことができず、既に社会人として汗水流して働きながら、側面から国立大学の運営を支えてくれた人達の存在も忘れてはなりません。

 皆さん、卒業式というこの荘厳な場でもう一度九州大学で何を学び、真に身に付けたものは何かを考えてみてください。大学で学び身に付けてきたことをこれから先、如何に社会に還元し、貢献するかも考えてください。この4年間、大学という教育・研究の現場で学生として、あるいは社会人として学んだことは数知れずあったと信じています。九州大学は皆さんが専門性、社会性、国際性、人間性を身に付けることができる仕掛けを授業、研究、ゼミ、クラブ活動など、様々な場を通じて機能させてきたつもりです。この中から「専門性」について考えてみましょう。

 学部4年間で身に付けた専門性とは何でしょう。大学院修了者は社会に出て直接生かすことができる専門的知識と技術を持って修了すべきです。しかし、学部4年間では学部・学科で各々異なる専門性を修得することは勿論ですが、それ以上に、学術的基礎知識の蓄積と身の周りで経験する全てに、自分自身の意見を持つという思考プロセスの確立が皆さんに求められていたと思います。独創性や創造性を真に自分のものにするためには、常日頃から身の周りに起きる自然の変化、地域社会の移り変わりや日常的に起こる政治、経済の動向に常に関心を持ち、これらの変化、動向をじっくり観察あるいは考察し、自分独自の意見を持つ訓練や習慣が必要です。自分独自の考えの蓄積が各人の独創性となり、独創性の拡がりが創造性へと発展していくものです。また、科学する心には独創性・創造性は勿論ですが、感性や直感も不可欠であり、これらは生まれた時から各自に備わっているのではなく、皆さんが努力して身に付けるものと私は信じています。感性や直感の涵養は自然現象の変化に驚き、感動することから始まります。科学における大発見は論理的考察や研究の積み重ねだけで生まれるものでなく、そこには不連続性と非直線的な論理の飛躍が必要となります。それ故に、科学の進展には感性や直感が不可欠となるのです。アインシュタインは、「知識よりイマジネーションが大切だ、サイエンスに関しては」と言っていますし、カーボンナノチューブを発見した飯島澄男さんは「確実な技術を身につける。それにより偶然を捕らえる確率を増すこと」と言っています。彼らは、自分の経験から直感や偶然性を捕らえる感性を研くことが科学の飛躍的発展と発見に如何に不可欠かを言っているのです。これから先、皆さんがどのような職業に就かれるにしても、自分自身の感性や直感を身に付ける訓練を怠ってはいけませんし、それを独創性・創造性に結びつける努力をしてください。

 次に、皆さんに2つの事をお話したいと思います。1つは「人生の目標・目的あるいは夢」、もう1つは「和・平和あるいは人間愛」についてです。

 これまでの人生で皆さんは多くの夢を見、それを人生の目標・目的として実現してきたことと思います。これから皆さんは、社会人として人生の目標・目的を持ち、それに向かって努力することが夢の実現となり、その人の人生観あるいは人間観を形成していくことになります。学生時代は夢としての目標に向かって無我夢中に突っ走れば良いのですが、社会人となった今、皆さんは目標・目的の実現に向かって一歩一歩着実に、検証と吟味を行ないながら夢を実現していく義務があります。明確な人生の目標・目的がなくして夢の実現もありませんし、崇高な意識と貪欲な行動なしには夢は実現しません。また、目標や夢は、現在の自分の実力で実現可能かな、と少々不安になるくらいの高いレベルに設定してください。目標を高くし、それに向かって努力しないかあるいはリスクの伴わない人生では、満足感や達成感は味わえません。「人並みの努力は人並みに終わる」ということを理解してほしいのです。人は是非そうありたいと願っていれば必ずその目標や夢を実現できるものです。

 次に「平和即ち和と人間愛」について考えてみましょう。2001年9月11日のニューヨークでの同時多発テロ以後、世界で展開されている政治、軍事、経済行為と行動に関して、現在程「和と人間愛」について問われている時はありません。「和・平和と人間愛」については、確かに欧米とアジア、特に欧米と日本との間でかなりその考え方、受けとめ方やその評価の仕方が異なります。その差は、民族の構成、気候・風土、宗教観などから生じたと思われますが、「和」に対する人間としての願いは、世界中変わることはありません。日本での「和」の思想の起源は、倭国という文字からきた大和であり、聖徳太子の定めた十七条の憲法の第一条の「人の和を大切にしなさい」、即ち「和を以って尊しとなす」であると思います。聖徳太子の「和」の主張は、個人主義を捨て、ただ大勢の中で個人が埋没して秩序を乱さないようにするという消極的な民主主義とは全く異なるものだと、私は受けとめています。「イラクには大量破壊兵器があり危険な国」という理由で始まったイラク戦争についても、世界の国々が1国のユニラテラリズムに引摺られるのではなく、国連という世界統治の唯一の機関にその解決法を任せられなかったのかどうかということを考える必要があります。現代の「和」とは、国民が乱れなく付和雷同的に行動することではなく、国民が個人の考えを主張し、政治主導でなく最終的に国民総意として結論を導くことです。そして皆さんのような若い人達こそが、その原動力となるべきです。世界中で生じている政治、軍事、経済問題に対する最近の若い人達の無関心には、私は少々失望と抵抗を感じています。日本政府の判断と行動、すなわち日本という国の立場を、世界に対する責任と貢献という観点から捕らえることと、日本国民が「和」や「人間愛」から世界を見る視点は、自ずと異なることがあります。しかし、私達個人の意見と意思を結集して、現在世界で行われている政治的、軍事的行為に日本国民として意見を主張することは、「和」と「人間愛」を理解できる人間としての当然の行為と私は信じています。

 最後に、国立大学の法人化についてお話します。本年4月以降、九州大学は国立大学法人九州大学に名称が変わります。法人化により大学の運営・経営法、財務・会計制度、人事制度等が変わり、大学活動の根幹である教育、研究、社会貢献、国際貢献にも各大学の個性輝く特色・特徴を出すことが要請されています。

 九州大学でも、これら法人化の基本理念を具体化することにより、世界レベルの教育研究の中核的拠点を構築することが求められています。九州大学の活動の重点4分野(教育、研究、社会貢献、国際貢献)で、他大学と比較して特徴のある活動と顕著な成果を出し、大学の活動、成果のピークを社会に対して分り易く目に見える形で情報発信することが、教育研究の世界的拠点大学として九州大学が生き残るための唯一の道です。チャールズ・ダーウィンは「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもなく、唯一生き残るのは変化に対応できる者である」と言っています。進化論の内容を言った言葉ですが、国立大学法人化でも同様の事が言えると思います。教職員は一丸となって、法人化の理念を実現すべき大学作りに努力することを皆さんにお約束するとともに、社会に巣立たれる、あるいは大学院で勉学を続けられる皆さんに九州大学への限りない支援をお願いいたします。

 「和・平和」あるいは「人間愛」の理解できる社会人として活躍されることを願って、告辞と致します。

「和と人間愛を理解できる人間に」
平成16年3月25日
九州大学総長 梶山 千里