ロボットから生き物へと異分野を渡り歩いた生物学者が体内時計の解明に挑む
Discover the Research Vol.2 芸術工学研究院 准教授 伊藤 浩史(いとう ひろし)
「夜更かしして体内時計がずれてしまい、朝起きられなかった」といった経験、誰しも一度はあるのではないでしょうか。芸術工学研究院の伊藤浩史先生は、ロボット工学や人工知能(AI)などの工学分野を学んだ経験を生かし、体内時計の究明に向け日々研究を続けています。体内時計の正体や異分野を学ぶメリットについて伊藤先生にお話しを伺いました。
体内時計の正体を突き詰めて
先生の研究テーマを教えてください。
体内時計を研究しています。誰しも体内時計というのは聞いたことがあると思います。「体内時計が狂った」とか、そのせいで「朝起きられなかった」とか。一方で、体内時計をこの目で見たという人はどれくらいいるのでしょうか。体内時計がどれくらいの大きさで、どこにあって、どんな色で、どのような形の物質なのかというのは知らないですよね。
確かに、考えたこともありませんでした。
体内時計が一体何なのか、科学者も長い間解明できていませんでした。例えば、進化論で有名なダーウィンも、後年体内時計の研究をしていました。彼はさまざまな生物の観察をもとに生物進化を提案したのですが、その根幹となる遺伝のしくみがわかっていないことを気にかけていたようです。
彼は遺伝で受け継がれる物質への興味から、生体内で受け継がれる物質としての体内時計の存在を信じて、大量の実験を行っています。ダーウィンは19世紀の科学者ですが、体内時計があるのか、あるとしたら何かという問いはそのあたりから科学の表舞台にあがってきたようです。
体内時計というと、対象は人ですか?
それが違うんです。体内時計と聞くと普通は人やそのほかの動物にあるものだと思われますが、実は植物などほかの生物にもあることがわかっています。ダーウィンが研究していたのも植物でした。植物の葉っぱは、ずっと明るいところにおいても、1日かけて上げ下げすることがあります。彼はその動きを体内時計と紐づけて地道に調べていました。
伊藤先生は何の体内時計を調べているのですか?
いろいろと調べていて、そのひとつがバクテリアです。バクテリアは1日に何回も分裂するので、バクテリアが体内時計を持つなんてなんか変な感じがします。しかし90年代前半にある日本人2名とアメリカ人2名のグループが、バクテリアに体内時計があることを明確に示しました。
ヒトを調べるとなるといろいろな制約があります。例えば、ヒトの体内時計がどうなっているかを調べるために、何日も隔離した部屋で過ごしてもらうなんてことはなかなか大変です。ヒトの遺伝子を改変したら、体内時計がどうなるかはもっと難しいですね。一方で、バクテリアならそれができます。バクテリアであれば前世紀から発達した分子学的なテクニックがほぼすべて使えるわけです。
たとえば、昼間と思っている時間帯に光るように改変したバクテリアを観察すると、分裂しながら明滅している様子を見ることができます。この明滅のリズムはほぼ24時間周期で、バクテリアが体内時計をもっているという明白な証拠になります。
ロボット・AIの分野から生物学の世界に
学生の頃はロボット工学や人工知能を研究されていたとか?
はい。私が大学に入学したのが1998年でした。その頃には、ロボットのアニメが多数あったし、HONDAが「ASIMO(アシモ)」という人のように歩けるロボットを発表するなど、ロボットが先端科学の象徴として捉えられていました。私も無邪気にロボットに魅了された若者のひとりでした。そして制御工学という分野に進んだのですが、すぐ挫折しました。
ロボットは、ボルトの締め方ひとつで動かなくなります。ものすごく難解な数学を用いて設計してようやくロボットが少し動く、少なくとも当時はそういう繊細な分野だったのです。そういう繊細さについていけなかったといえばきどった言い方になりますが、より率直にいえば、ロボットづくりを楽しめるほどには、私は残念ながら手先が器用ではなかった(笑)。
人工知能についてはどのような経緯で?
その後、ハード面としてのロボットではなく、ソフト面の人工知能(AI)の方が向いているのかもと考えました。その時はインターネットが家庭に普及した時期でもあって、情報が熱い分野だと思われていたのです。それから今、人工知能ブームがきていますが、ひと昔前にもブームがきていました。例えば、ゲーム「ドラゴンクエスト」にAIが搭載されたとか、AI搭載の洗濯機ができたとか、人工知能という言葉が一般に普及したときでした。ブームに流されやすい私はAI研究をはじめたのですが、またすぐにくすぶった気持ちを抱くようになりました。いま行っている研究は、鉄腕アトムのように人のように思考し、自由に動けるロボットに近づいているのかと。この考えは、現在の生成系AIの進展を見ると早まった考えだと思うのですが、当時としては思い詰めていました。
ロボットから生物分野とは思い切った方向転換に思うのですが。
確かにそうかもしれませんね。でも、生き物というのは今我々人類が手にしている知識、技術よりもはるかに賢く自然に適応しています。そう考えたとき、ロボットよりも生き物そのものの研究の方が自分の求める答えを教えてくれるのではないかと、思うようになりました。「生物学の研究室に入らせてください!」とお願いをして、受け入れていただいたのがバクテリアの体内時計の研究室でした。
専門外でも使えるものは取り入れる
挫折とおっしゃいましたが、その経験がやはり今に生きているのでしょうか?
そうですね。旋盤やボール盤などの工作機器を扱えたり、電子工作できたりする生物学者というのは、多くはいないでしょう。これまで観察されていないものを見つけようとするとき、これまでにない装置が必要になることがあります。まず自作できないかを考え、自作できなくても図面や回路図をかけること、これは生物学者としての私の強みです。
実験室にこもって作業することが多いですか?
実験室で生物そのものを扱う研究は全体の50%で、残りの50%は式を書いて数理モデルを考えたり解析したりする作業をしています。これも工学育ちの経験が生きていて、工学ならば自然なアプローチなのですよね。「リンゴがおちる」「ロボットが歩く」などものの動きを考えるとき、数理モデルを作るのはニュートン以来の伝統です。体内時計も状態の変化ですから、とても数理モデルが役に立ちます。これも私のもうひとつの武器だと思っています。
生物を研究するのに数学が必要なのですか?
バクテリアの体内時計ひとつとっても、それが実行される裏ではとてもたくさんの化学反応がからみあって複雑な現象が起きています。実験室でリズムをただ観察しそれを頭の中でイメージするだけでは全てを把握することは困難です。その複雑さを解きほぐすのが数理モデルを使ったアプローチです。私のこれまでの経験や先人の研究をみれば、数理モデルを使って初めて意味が理解できた体内時計の現象というのはたくさんあります。たとえば、わたしたちの体内時計はもともと24時間周期ではないのですが、太陽が24時間周期で私達を照らすリズムにあわせて24時間周期に修正されます。これは同期という現象なのですが、数理モデルなしに理由を理解することは困難です。
平凡もかけ合わせれば一流になる
学生にどんなことを普段伝えていますか?
授業では「自然は美しい」という話を最後にしています。こう話すと、平凡な話に聞こえてしまうのですが生物を一生懸命調べていると、どこかのタイミングで自然がとても美しいことに気づける瞬間があると思います。体内時計とはなにかという問いを突き詰めていった先には必ず美しいなにかがある、と私は確信しているのですが、そのおかげで夜中のサンプリングや失敗を乗り越えて研究を進められて来ました。そういう無根拠の自然の美しさを信じる感性がサイエンスには必要です。その点で私の所属する芸術工学部の学生は、ふつうに考えれば生物学とは遠いですけれど、生物学に適性があると思っています。
芸術工学部で生物学をする学生がいるというのは面白いですね。
「自然は学問の垣根を知らない」という福井謙一氏(1981年にアジア初のノーベル化学賞を受賞した科学者)の言葉があります。自分がどういう分野にいるのかと考えこむ事は、その精神からやや邪道なように思います。自然を自然に理解しようと真摯な態度でいようとするならば、「自分の問題ではない」「自分の専門ではない」と思うことは、なくなっていくかもしれませんね。数学が必要なら勉強すればいいですし、知らない実験が必要ならその実験を行うためのテクニックを学べばいいわけです。あまり偉そうなアドバイスは言えませんが、少なくとも自分はそうありたいし、その背中を学生にみせることで何かを伝達できたら嬉しいですね。
学生たちにはどのような人材に育ってほしいですか?
色々武器をもっておくといいことがあるのは私の経験からいえる確かなことだと思います。それぞれは各分野でごく平凡な知識や技術であっても、それらを合わせもつ人材というのはかけ算で急速に数が減ります。総合的な知識を持つというのは、一流と張り合うためのひとつの有効な戦略だと思います。研究職に限らず、どのような仕事も1つの業務だけでは完結しませんよね。私の研究室で培われたなんでもやる精神が役に立ってくれると嬉しいですね。
今、一番興味のあるものに向かって突き進めばいい
今後の研究の展望について教えていただけますか?
「体内時計が何なのか」という答えはおおまかには見えてきました。今後は「体内時計をどのように制御するのか」を考える段階に進むと思います。少しずつ工学へ回帰しつつあるような気はしています。ただ1年後どういう研究の展開があるのか自分自身わからないし、わからないほうがエキサイティングな研究人生であるとは思っています。今はバクテリアの1つの細胞のリズムを眺めるのが面白く、その体内時計の正確さに関心があります。その展開がどうなるかを自分自身わくわく見守っています。
九州大学の芸術工学部全体としてはいかがですか?
芸術工学部の教員という視点では今、学内の教員数名とバイオデザインの研究も進めています。今後、もし日本でデザインとバイオの融合が発展していくのであれば、九州大学でその分野が育つといいなと思っています。芸術工学分野には造形や音楽、映像などをデザインする学生がいるわけですが、その中に「生物をデザインしています」と言える学生が育ってくると学術的にも、産業的にも有意義なのではと期待しています。
最後に、進学に悩む高校生にひと言いただけますか?
進路にそれほどナーバスにならなくても大丈夫だと思います。自分の背骨になるような基礎を身につける時には、どの学部を選ぶのかは大切でしょう。しかしその先で何か研究をしたり企業で働いたりするときには、必ずその専門分野から離れざるを得ないときが来ると思います。九州大学の総合大学としての良さは、学内で多岐にわたる分野を学べる環境が整っているところです。
私自身、ロボット工学からAI、そして生物学へと渡り歩いてきました。まずは今、一番興味のある分野を選択してみて一生懸命学び、その上で興味が変わったのなら専門分野を変えてみるのも、悪くないやり方のように思います。
伊藤先生の研究の詳細については、ご自身の研究室のサイトをご覧ください。