Research Results 研究成果

鉄鋼材料を強く・しなやかにする,水素の知られざる一面を発見

-安全・安心な水素社会実現への構造材料開発に新風を吹き込む- 2020.09.16
研究成果Materials

 鉄鋼材料に水素が侵入するとその強度と延性(1)が劣化する現象は、「水素脆化」として百年以上も前から知られてきました。近未来の普及が期待される水素エネルギー機器(2)では、多くの構造部品が過酷な高圧水素ガス環境下で使用されるため、水素に曝された状態でも卓越した力学性能を発揮できる鋼材の開発は、安全・安心な水素社会実現のために避けては通れない課題です。
 水素脆化は、材料中に潜むミクロな格子欠陥(3)の性質や結晶構造の安定性などに水素が多様な影響を及ぼし、それらの負の側面が優先して現出することで発生します。一方、九州大学大学院工学研究院機械工学部門の小川祐平助教、細井日向大学院生、松永久生教授、髙桑脩准教授、津﨑兼彰名誉教授らは、水素侵入に伴い生じる材料物性変化の一部を有効利用し、鉄鋼の強度と延性双方の大幅な向上を図るという前例のない研究に取り組みました。合金成分量を最適化したFe-Cr-Ni鋼(現行の水素エネルギー機器の主要構成材料に類似)に対し、高温・高圧水素ガス曝露(4)により高濃度の水素を添加した後に引張試験(5)を行うことで、引張強度 × 伸びの指標で30%、破断応力にして50%もの向上を達成することに成功しました。またその発現要因は、水素が①転位(6)と呼ばれる格子欠陥の移動に対する障害物の役割を果たすことと、②双晶変形(7)を促進して結晶方位差の大きい内部界面を次々に生み出すことにあり、これらの効果①②の重畳によって材料の変形抵抗と加工硬化(8)性能が広いひずみ範囲に渡り維持されることを解明しました。
 以上の成果は「鉄鋼材料は水素により脆化する」という従来の固定観念を根底から覆すものであり、この先の耐水素構造用材料の開発にも新たな風を吹き込むものと期待されます。
 本研究成果は、金属材料工学分野で最も権威ある英文誌『Acta Materialia』のオンライン速報版に8月15日付で掲載されました。また、本研究はJSPS科学研究費補助金基盤研究(S)(16H06365)およびJST産学共創基礎基盤研究プログラム(20100113:JPMJSK1411)の支援により遂行されました。

(参考図1)水素ガス中で顕著な強度・延性低下を示す一般的な18Cr-8Niステンレス(A)と、高濃度水素の添加により高強度・高延性化を実現したFe-Cr-Ni鋼(B)。固溶水素が双晶変形の密度を増加させ、強度と延性がともに大きく向上(C)。

研究者からひとこと

水素脆化研究に長期間携わる私達にとって、水素による力学特性へのポジティブな効果に焦点を当てた今回の新たな取り組みは、実験の度に新発見と驚きの連続でした。本成果が鉄鋼材料に対する水素のネガティブな印象を少しでも払拭し、水素エネルギー関連機器を人々の信頼とともに社会に浸透させていくための一助になることを願います。

用語の説明

(1) 延性:材料に力を加えた際、破壊が起こる前に大きく塑性変形する性質のこと。例えばガラスやセラミックスなどは力を加えると変形することなく割れてしまうが、鉄鋼を含む金属材料の多くは自由自在に曲げたり伸ばしたりすることができ、一般的に延性に優れている。
(2) 水素エネルギー機器:燃料電池自動車(FCV)や定置型燃料電池など、水素と酸素の電気化学的反応を動力源としている機械や、水素供給用のインフラ設備の総称。多くの場合、水素は圧縮した気体(高圧水素ガス)として輸送・貯蔵され、その最高圧力は1,000気圧以上にも達する。
(3) 格子欠陥:通常の金属材料では、原子が規則的に配列した結晶構造(体心立方構造や面心立方構造)をとっているが、その規則性が局所的に乱れた領域のことを総称して格子欠陥と呼んでいる。具体例としては、原子が欠落して空隙となった原子空孔や、方位の異なる結晶粒同士の界面である結晶粒界、後述する転位などがある。
(4) 高温・高圧水素ガス曝露:金属材料を高温・高圧の水素ガスを封入した炉の中に長時間保持し、水素原子を熱力学的に材料中へと侵入させる手法を指す。本研究では270̊C,1,000気圧という温度・圧力条件を選択することにより、水素原子/金属原子比にして最大約0.7%の水素を実験用試料中に均一に侵入させることに成功している。
(5) 引張試験:細長い形状に加工した金属のサンプルを一方向に引っ張り、その際の変形(伸び)量とそれに要した力(応力)の関係を求めるための強度試験である。金属材料の力学特性を調べる上で、最も頻繁に用いられている。
(6) 転位:参考図2のような構造を持つ、格子欠陥の一種。金属に力を加えると大量の転位が発生して材料中を移動し、これによって塑性変形が起こる。
(7) 双晶変形:参考図3のように、結晶を構成している原子が、ある面を境として鏡面対象な配置となるように一斉にせん断変形を起こす塑性変形の機構。この鏡面は双晶界面とも呼ばれ、塑性変形中の転位の移動を妨げて材料を強化する働きを持つ。
(8) 加工硬化:塑性変形を加えることにより、金属材料の強化が増す現象のこと。変形が一か所に集中して材料が破壊してしまうのを防ぐ働きがあり、故に延性の大きい材料を作りたい場合には、加工硬化能を高めることが必要となる。

論文情報

T i t l e: Hydrogen, as an alloying element, enables a greater strength-ductility balance in an Fe-Cr-Ni-based, stable austenitic stainless steel 
Journal: Acta Materialia 
D O I: 10.1016/j.actamat.2020.08.024

研究に関するお問い合わせ先

小川祐平 工学研究院 助教